最愛の母に「死んでもいいよ」と言った日

「ママ、死にたいなら死んでもいいよ」

大好きな母に、私が放った言葉です。
高校2年生の時でした。

ひどい娘だと思いますよね。
私もそう思います。
でも、母を救う唯一の言葉でした。
それしか見つからなかった。

話は少しさかのぼりまして。

私が中学2年生の時、父が突然死しました。
働きすぎによる、心筋梗塞でした。

 
picture_pc_1979c70eea669e625eba06f66c4e269c.jpg
 

父は建築系ベンチャー企業の経営者で、めちゃくちゃカッコいい存在でした。めちゃくちゃ憧れてました。
でも、中学2年生って、反抗期じゃないですか。
「うるさいなあ」「ほっといてよ」とか、散々言いました。

全部謝れないまま、父は亡くなりました。

もう、泣いても泣いても、後悔は消えなくて。
なんであんなこと言ったんだろうって。

多分、私だけだったんじゃないかなあ。
葬式で「ごめん」ってずっと、泣いてたのは。

「父みたいな経営者になること」が、夢になりました。
父の夢を継いで、経営者になって。
いつか天国に行った時、父に認めてもらおうって。

そういう、子どもっぽい、浅はかな夢でした。

そんな矢先。
今度は母が倒れました。
高校一年生の冬のことでした。
母もまた、過労でした。

いっつも穏やかで、優しくて、笑ってる。
家族の太陽。キラッキラの。
それが、私の母。

だから、バカな私は気づかなくて。
母が一人で、塾と大学の学費を稼ごうとしてくれたことに。

私が、大学で経営を学びたいって、意気込んでたから。
お父さんみたいになりたいって、思ってたから。

母は救急車で大学病院に運ばれました。
最初はわりと喋れてて、「あれ?これ大丈夫なんじゃね?」って思ってたんですけど、ちょっとずつ意識が失くなっていって。
握ってた手の力も、どんどん弱くなっていって。

うわ、マジか、と。
どうやったって父が重なるわ。
神様とかいねえんだな、って、思った。(ごめんね神様)

病名は、突発性の大動脈解離。
しかも、重体。
大きな動脈が次々と破れ、剥がれていく病気ですよ。
今でも、説明聞いただけで、寒気がする。

先生が色々説明してくれるんですけど、すぐボーッとしちゃうんです。
首から上、水の中に入ってるみたいで。
目も耳も、うまく働かなくて。

「ご家族の中で、責任者はどなたですか?」って先生に言われて、
ようやくハッとしました。

岸田家陣営は、私と、私の弟と、祖母の三人。

祖母は高齢で、呆然としていました。
弟には生まれつきダウン症で、知的障害があります。

あ、この場の責任者、私じゃん、って。
やっと自覚しました。

「お母さんは重症です。このまま手術をして、手術中に亡くならず成功する確率は20%以下です。手術をしなければ数時間後、確実に亡くなります」

亡くなる。
……亡くなる!?

その単語だけ、耳に飛び込んできました。
嘘でしょ、って反射的に言いそうになった。

「奈美さん。手術の同意書には、あなたがサインをしてください」

用紙を渡された私、完全にフリーズ。
あろうことか、ね。迷っちゃったんです。

私の後悔は、父と最期に会話できなかったことなので。
しかもその時、ちょうど、母の意識が戻ってて。
一時的に強いモルヒネで痛みを麻痺させたからなんですけど。

ああ、このまま手術中に死んじゃうくらいなら、
手術せずに、ゆっくり会話した方が、良いんじゃないかなって。
そんな思いが、頭をよぎってしまったんです。
あろうことか。

結局。
どうしても、母のことを諦められませんでした。
私は手術同意書にサインしました。

(本当は私が未成年だから、祖母とサインしたんだけど、母とこの先生きていくのは君だから君が後悔ないように決めなさい、という先生の優しさだと今は思ってる祖母が背負わなくて本当に良かった)

6時間以上に及んだ手術の結果は、奇跡的に成功。
へなへな〜って腰が抜けました。

でも。
目が覚めた母は、下半身すべての感覚を失いました。
生きるか死ぬかの、大博打みたいな手術だったので。
とにかく全身の血液を心臓に送らないとヤバイ!って過程で、血が行き渡らなくなった下半身の神経が、壊死したと言う。



母は一生、車いすが必要な生活になりました。

それでも、私は嬉しかったんです。
死ななかった。
それだけで良かった。
母も「助かって良かった」と、笑ってくれました。




この時の呑気な私をね、もう、ぶん殴ってやりたい。

歩けていた人が歩けなくなるって、想像を絶する苦しみです。
おへそから下、全部重りになるんですよ。

まず、リハビリに2年かかりました。
母、起き上がるどころか、寝返りすら一人で打てなくて。
ベッドから車いすに移乗できるようになるまで、数ヶ月。

そんな状況でも母はやっぱり、笑っていて。

「頑張るから。もう少しで退院できるはずだから」って。

まあ、それ、ぜんぶ嘘だったんですよね。

学校帰りにお見舞いに行って、家に帰ろうとした時のことです。
病室に携帯忘れちゃったぞ、と。
慌てて取りに戻ったら、母の病室から、泣き声が聞こえてくるんです。

まさか、あの明るい母のじゃないだろうと思ってたら。
母でした。
泣きながら、看護師さんに話してました。

「もう嫌だ!歩けない私なんて、ヒトじゃなくてモノになってしまったのと同じ。自分のことすらできない私が、子どもにしてあげられることなんて何もない」

もうね、動けなくて。
その場から、一歩も。
極めつけに母が言うわけです。

「こんなに辛いなら、死んでしまった方が楽だった!」

なんか、ドゴォッッて。
後ろから頭を思い切り殴られたような気がした。

その瞬間、私の頭に浮かんだのは「私のせいだ」でした。

私があの時、同意書にサインしなかったら。
生きてほしいと願わなかったら。
母は死ぬより辛い生き地獄を、味わわなくて済んだのに。

どうしよう。
取り返しがつかないことをした。

強烈な焦りを抱えながらも、母には言い出せずにいました。

そんなある日、母に外出許可が降りました。
少しでも気が晴れればと、私は母を街へ連れ出しました。

私が母の車いすを押して歩くんですけど。
最初は母も楽しそうで。
よっしゃ!これで元気になるかも!って、思ってたんです。
でも、全然無理で。
どんどん母の顔がズーンと暗くなってくわけです。

カフェ。レストラン。服屋さん。
母とか良い慣れてたお店、全部、入れないの。
全部、階段があるの。

びっくりするよ。
歩いてる時、全然気にならなかった10数cmの段差。
母の車いすじゃ、登れなかった。




人混みで、母の車いすは何度もぶつかって。
「ごめんなさい」「すみません」「通してください」
気がついたら、周りの人たちに謝ってばかりでした。

歩き回って、ようやく車いすで入れるカフェを見つけた頃。
身も心も、クタクタでした。

席につくなり、母が泣き出してしまって。

「ごめんね。奈美ちゃんにずっと言えなかったことがある。ママはもう限界。生きているのが辛い。ずっと死にたいって思ってた」

私が初めて見た、母の涙でした。

目の前で、大好きな人が、絶望している時。
どんな慰めの言葉なら、届くと思います?
「負けないで」「頑張って」「そんなこと言わないで」とか。
私も、最初は言おうと思っていました。

「神様は超えられない試練は与えられないから」って、そんな言葉を大切にしまっていたこともありました。

でも母を見て、励ましなんて何一つ届かない、ってわかりました。
なんかもう、直感的に。
わかりました。

できることがあるとしたら。
一緒に絶望する。
ただ、それだけ。

母と同じ絶望まで、私が落ちていくしかない。
だって、母をこんな目に合わせたのは、私だから。

「ママ、死にたいなら死んでもいいよ」

私が母に寄り添える、たった一つの返事でした。

「ママが死ぬより辛いのを、私はよく知ってる。だから死んでもいい」

母が顔を上げ、私を見ました。
情けないことに、その時急に「やっぱり死んでほしくない!」と、私の心が叫びました。

「でも……もう少しだけ私に時間がほしい。私が、ママが生きてて良かった、って思えるようにする。私に任せて。2億%、大丈夫!

そんなことを、母に言いました。

後から母に聞くと「誰もが、頑張れ!と言う中、まさか娘に死んでもいいよと言われるとは思わなくて、びっくりした。でも死んでもいいよと言われると、途端に心の緊張が解けて、生きたくなった」とのことでした。



2億%、大丈夫。

これも「よくこんな数字、出てきたね。勇気が出た」と、母が言ってくれました。

この2億%という数字。

どうやら衝撃的だったようで、母は今でも度々、取材や講演で口にしていますし、一時期は大手検索サイトでトレンドキーワードにもなりました。

でも、ごめん。ごめんなさい。

母から死にたいと言われた、あの時。

picture_pc_42a0f2433beb3c9de7fcea307ca823c9.jpg

私の視界には「宝くじ ドリームジャンボ2億円」のポスターがありました。

どうしよう。死なないでほしい。どうやって引き留めよう。
そんな極限の状況で、飛び込んできた最大の数字。

それが2億。
2億円の、2億。

人は追い込まれると、目に見えている一番大きな数字を言うんだな、と知りました。

そんで、追い込まれて、大学1年生の19歳の時に出会った、車いすに乗る垣内俊哉と一緒に、株式会社ミライロを創業して。

母と私はいま一緒に働いて、母なんかもう、年間180回くらい講演するすごい人になっちゃったのですが。それはまた別の機会に。


関連記事