【キナリ★マガジン更新】4年で弟の言語能力が急成長した件について

 

弟にiPhoneを持たせてから、4年が経った。
正直、驚かされることばかりである。

ダウン症の弟は、言葉をはっきりしゃべれない。
わたしや母でも、1割ぐらいしかわかってあげられない。

舌が回らないので発音しづらく、そもそも語彙も少ないので、言葉でのコミュニケーションは退屈……のはずが。

なぜか弟は、おしゃべりの場だけは好きなのである。
母が主婦同士の井戸端会議をしていても、そばに立っている。

むっくりズドーンと黙ったまま、ただ、立っている。

「もうねえ、ミニトマトが高うて高うてえ」

延々と繰り返される会話に“うむうむ”と、相槌だけで果敢に混ざってゆく。謎である。

そんな、聞き役一辺倒な弟に革命が起きたのは、25歳の時だった。

弟に中古のiPhoneを贈った。

母が重病で入院してしまい、弟はグループホームに住むことになったので、

「なんかあったら、これで言うておいでや」

わたしなりの餞別だった。

使うのはせいぜい電話ぐらいだろうなと思ったら、予想もしなかったことに、弟はLINEを気に入った。毎日、ぽちぽち、たっぷり時間をかけて送ってきた。

2021年の弟のLINE

最初は怪文書に近かった。

一生懸命に長文を打ってくるのだが、何が言いたいのかはわからない

恣意は「して」の誤変換で、その後はラーメンを食べたいらしい

「ます」が「お願いします」の意味で、狙った漢字を打てないのでこうなる

弟が送ってくるたびに、わたしと母が解読班となって、夜な夜なグループLINEに出動したものである。

意味がわかるまで、何往復も繰り返した。
わからないこともあった。会話もうまく成り立ってはいなかった。

それでも嬉しかった。今まではなんとなくで想像するしかなかった弟の言い分に、初めて、直接に触れられた気がした。

「ます」

お願いしますを意味するらしい二文字とともに、弟がなにかを欲しがったり、願ったりするメッセージは、障害のある彼が「この世に生まれてきて楽し〜!」と吹き鳴らしてくれるファンファーレみたく聞こえた。

急にグループホームでの暮らしを余儀なくされた弟だったから、前向きな気配のする言葉が届くだけで、わたしたちは本当に嬉しかったのだ。

さて。
そんな弟が、4年を経て、予想外の進化を遂げた。

2025年の弟のLINE

ルームメイトを誘ってロサンゼルスまでの観戦を所望される

クリスマスは弟の外出中に、ほしがってたベッドを夫と組み立てて置いてきた

健康診断の肥満に引っかかったらしく、コーラより健康的な「綾鷹 茶葉のあまみ」を売りたいと直談判してきた

おわかりいただけただろうか……?

使える言葉が増えている。
会話がいい感じにできている。

わたしの誤字まで指摘してきやがる。


こんな日が来るとは。

弟はもう30歳。人間ってこんな、30歳から爆発的に言語能力が上昇するものなのだろうか?このままいけばNASAに目をつけられて捕獲されてしまうのではないか?

「あんた、これ、どうやって打ってるん?」

見せてもらうと、弟は予測変換を使っていた。使い倒していた。弟のLINEの99%は予測変換を駆使して紡がれていたのだ。

なんとなく最初の一文字を打つと、候補がワーッと出てくる。弟はじっくり時間をかけ、そこから選んでいく。これを繰り返して、学習していた。

「キミアイル」は「キミとアイドル」で、コラボホテルに泊まりたいらしい。ちなみに本当に明日は福祉作業所がお休みだったので、弟が正しい……

番組名など新しい言葉は予測変換できないので、自分でぽちぽちしているらしい。まちがっていても、意味は余裕で伝わる。

絵文字とスタンプが、文字で打ちきれなかった弟の感情を補ってくれる。
絵文字は発明……いや、もはや福祉である!

だけど、ちょっと気になることがある。

実家に帰ったら三宮駅へ行って、「ずみき」とハーバーランドで映画を見たいらしい

「ずみき」とバスに乗って、姫路セントラルパークに泊まりたいらしい

「ずみき」

わたしの夫・みずきくんのことだ。
弟より4歳も年上のくせに、なぜか弟の舎弟に甘んじている男だ。

(↓舎弟になった経緯は結婚報告のnoteにて)

「まちがってる!みずきやで、みずき!」

わたしが訂正しても、絶対に「ずみき」になってしまう。

「ええよ。良太くんの中でおれは、きっと、ずみきっていう響きなんや」

みずきくん、改め、ずみきくんが言った。

良太のLINEでは時々、こういうことが起こる。

「欲しい」は、「惜しい」
「行くこう」は、「行こう」
「ぐたさい」は、「ください」

まちがっていても、なんとなく、意味はわかる。

伝わりゃええんやと言わんばかりに、弟は間違ったままの言葉を、どんどん送ってくる。その勢いたるや、ちょっと面倒くさくて既読スルーでもした日には、同じ文面をコピペして3連撃ぐらい叩き込んでくる。絵文字やスタンプを次々に重ねて、送ってくる。

伝わっていないことが、不安なんだろう。

ちゃんと伝わったか?
それで、いまどんな気持ちか?

LINEの向こうで弟は、相手をずっと気にしていた。

まだ弟が子どもだった頃、母がこう言った。

「良太はきっと、わかってるねん。うまくしゃべられへんだけで、頭の中では、全部わかってるはずやと思うねん」

みんなよりも成長が遅く、スイミングスクールでも公園でも、思うようにできない弟に向き合う時、母はいつもそう言った。自分に言い聞かせるみたいだった。

まわりの大人は「どうせ良太くんに言ってもわからないし」と思い込んで、弟の前で、理不尽な言葉を、平気でしゃべっていた。

弟には、伝えたいことがたくさんあるのに。
うまく伝えられなかった人生を送ってきたのかもしれない。

それでも、弟はめげなかった。

人の会話に、全力で首を突っ込んでいった。意味と意味が猛スピードで飛び交っている場所に、最後まで立ち会いたがった。きっとそこで、人の心が伝わる楽しさを、憧れのまなざしで観察していたんだろう。

しゃべるのが遅く、言葉をひとりで思いつけない弟にとっては、会話は一生味わえない喜びだった。そのはずだった。

iPhoneとLINEは、弟にとっての神器になった。

操作が遅くても、間違っていても、意味だけは伝えてくれる、神様の道具だ。




今年、わたしは『ヘラルボニー財団』の理事になった。

障害のある作家を“異彩作家”と呼んで、アートを販売するブランドが、ヘラルボニーだ。代表のお兄さんである、自閉症の松田翔太さんが自由帳に何度も書き連ねた言葉が由来になっている。

(引用)公式WEBサイト「ヘラルボニー100年史」より

松田翔太さんの文字も、異彩作家のアートも、ひと目でわかる個性がある。自閉症や知的障害のある人には、色や形に強烈なこだわりを持つ人が多い。その人のなかで閉じていた美しい世界が、その規律ごと余すことなく、鮮烈に描き出されているから魅力がある。

弟は、異彩作家とは真逆だった。


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