【キナリ★マガジン更新】春の醍醐味を全速力で納めろ〜しいたけの楽園〜

 

朝目が覚めたら、のどに強烈な痛みが銀河鉄道。立ち上がれば、くしゃみの多い料理店。うそだろ。まさか。

「これが……あの……花粉だって……いうの……!?」

なんたること。ついにきてしまった。33年ずっと逃げ続けてきた恐怖が、ついに足首を掴んできた。顔に縦線が入った。

そしてわたしは、悲劇の花粉ヒロインになった。

ああ、悲しい。悲しい。もう今までみたいに、春を朗らかな気持ちで迎えることはできないんだわ。鼻水ズビズビ、目ん玉カユカユの顔面大崩落で、ふらっと桜を見に行ったり、山を登ったりの行楽も、心からの笑顔では叶わないんだわ。

オヨヨヨヨ……。

こういう深い悲しみは徹底的に大げさに演じて、やかましく転げ回り、味がしなくなるまで噛み尽くすのが、わたしである。

「今年が春を楽しむ、最後の時になるのだわ」


まもなく決意した。

春を……納めよう……!

いつでもできるからええやんと先送りにして結局しないまま終えていた、めくるめく春の行楽を、今のうちに全部やったる。

春をめくるめいてやる!

思い立ったが即日だが、ちょうどいい友人もいないので、母を連行することにした。お腹を痛めて産んだ娘には、春を悼ませたくなるのが親心のはずである。叩き起こされた母はずっと、寝ぼけ眼で「なぜ……」を繰り返していた。引き続き人生をお楽しみください。

手はじめに、春めいている何かを、狩ろう。
そのあと、桜を見よう。

狩るなら、母の好物でもあるイチゴが妥当だろうと思った。今日の今日では、どこのビニールハウスの予約も取れなかった。

5件連続で断られたので、

「いいよもう、イチゴなんか狩らなくても。イチゴはスーパーで買ってきたのをキンッキンに冷やすからおいしいんや」

「それもそうや。イチゴ狩りっちゅうのは持って帰られへんし。その場で腹にイチゴを詰め込んでも、苦しゅうて、損した気分にもなるわ」

イソップ物語のキツネみたいな、みにくい負け惜しみを言い合った。

では、なにを狩るか。

「……しいたけ狩りは?」

盲点だった。

そういや、小学生の時に聞いた伝説が、あった。

わたしが住む神戸市と三田市のちょうど間あたりに、小高い山がそびえている。その山の中腹に、しいたけがワサワサ生えた楽園があるらしい。

しかし、子どもにとってしいたけは「しいたけか……」としか言いようのない食べ物だったので、それ以上、話題にのぼることもなく。楽園に行ったという人間の話も聞かず。なんという、地味な伝説。

調べてみたら、あった。

しい茸園 有馬富士!

ラピュタは本当にあったんだ。

ウェブサイトの予約ページを見ると、なんと、今日の一時間後からの予約もまだ受け付けていた。なんという懐の深さ。

しいたけ狩りをして、七輪で焼いて食べられるという。

しかし、申し込めるメニューが、しいたけにしてはそれなりのお値段だった。

しいたけ狩りのみは許されず、若鶏や和牛が強制的に添えられるセットを選ばなければならなかった。

しいたけ……お前……しいたけの楽園でも主役になれないのかよ……!

ドラマでいえば主人公の友人ポジションで、恋愛の相談には盛大に乗るけども、ろくな見せ場がないタイプ。若鶏、どしたん話聞こか?和牛、あんたそれ絶対に空港で告んないと後悔するよ!

けっこういい肉っぽくて、一番安いメニューも3400円する。しいたけ目当てでそんなに払うのか……後ろ髪を引かれる思いだったが、狩るならしいたけしかない。

というわけで、行きました。しい茸園有馬富士<ラピュタ>。

「この中に好きなだけしいたけを狩ってきてください」

受付でおもちゃのカゴを手渡された。

ブワーッとビニールシートを剥いだら、丸太が重なり合っていて、よく見ると、とや、よく見るまでもなく、

ぎゃーっ!でかいっ!顔よりもでかいっ!

スーパーで見るのとは全然違う、しいたけが化けて出たサイズに、のけぞってしまう。この時点でもうカゴより余裕ででっかいし、絶対に入らないんだが。そういう詐欺だったらどうしよう。

とりあえず、これを狩って……狩っ……

狩れないよ。

引っこ抜こうとしても、まるで無理。わたしと母のふたりで力をあわせたけど、びくともしない。おおきなかぶを抜くスターティングメンバーのうち、2/3が集まっていても抜けないなんて。

「あっ、そうじゃないです。茎をつまんで、右と左にクニクニしてみてください」

クニクニという聞き慣れない単語に戸惑いながら、茎を掴んだ。意外と太い。力を入れたら、クニュッ、右にやわらかく倒れた。

なんか……なんか……
すげえ生きてる……

植物を触る時とも、野菜を触る時とも、ぜんぜん違う。茎が太くて、柔らかくて、ふわふわしてて、はねっ返りも感じて、こう、育った菌って、こんなことになるんや。生きてる。地球の吹き出物だ。

右と左にクニクニしたら、ボロンッ。

力尽きたかのように、しいたけが落ちてきた。さっきまでの弾力はなんだったのと驚くほど、突然である。こわい。急に死んだ。

(ここからゲームの話)ファイナルファンタジー7リメイク版で、主人公のクラウドが脈絡もなく巨大キノコを採集する局面に陥り、プレーヤーが操作するのだが、そういえば、あれもわざわざコントローラーのスティックを左右に倒しまくるという超めんどくさいミニゲームだった。なんで世界を救うイケメンが、情けなく背中を丸め、ちまちまとキノコをもぐねんボケと思っていたが、あれは、徹底的にリアルだったのだ。いま気づいた。気づいたとて……。(ここまでゲームの話)

かごにひとつも入らず、右手にカラッポのかごを、左手の五本指にしいたけを挟むというストロング脱法スタイルでの退場になったが、見逃してもらえた。


さあ、お待ちかね!
しいたけバーベキューの開幕だ!

木の長机とベンチが、山の斜面にズラーッと並んでいて、きのこ狩り界のホグワーツ魔法魔術学校の食堂みたいな光景。

燃えたぎる七輪の網に、しいたけの傘を下にして、焼けと。

「これ、いつひっくり返したらいいんですか?」

「ひっくり返さなくていいです。傘がジワーッと汗をかいてきたら、それが焼き上がりの合図ですよ」

店員さんが言うので、森の中でしいたけを凝視するタイムが始まった。誰かが汗ばむことを、こんなにも待ちわびる日が来るとはな。

やがて、しいたけが湯気が立ち上ってきた。
いい香りがしてくる。

「汗や!汗!しいたけが汗かいとる!」

高校球児の汗よりも美しい汗を見た。

「あちちちちち!これどないして食べるん!」

「アジシオあるで」

青色キャップの、親の顔よりも見たチープな瓶を、親が持っていた。

えっ、塩だけ?

なんだよ。バター醤油とか、チーズとか、味噌ガーリックとか、そういうのを期待してたのに。アジシオって。がっかりした。

しゃあなく、しいたけにアジシオを振って、食べた。

瞳孔が開いた。


目の奥あたりに稲妻が落ちたかと思った。母を見た。咀嚼しながら、母も、無言でこくこく頷いていた。目がギンギンだった。

「うっまーーーーーー!!!!!!!!」

肉厚な繊維を歯でぷつっと切ると、ただちに濃厚な汁が吹き出してくる。

しいたけの中で、しいたけおばさんが「しいたけおばさんのシチューの秘密♪それはしいたけ♪しいたけとしいたけをじっくり♪じーっくり♪」と歌いながら寸胴をかき混ぜている姿が浮かんだ。もてなされている。

なんやこれ。なんやこれ。今まで食べてたしいたけは、なんやったんや。これに比べると山岡さんの鮎はカスや。

母が半泣きになりながら、つぶやいた。

「今だかつてこれほどまでに、アジシオの存在感が輝くことってあった……?」

そうなのだ。アジシオが良い仕事をしすぎている。旨味をさりげなく引き出して、次へ、次へと、やみつきに。白い粉に伸ばす手が止まらない。

現代なんて、もう、塩偏差値が上がりまくりやないですか。アンデスの塩とか、ろく助の塩とか、ぬちまーすとか、成城石井やらカルディやらでツンと澄ました顔で並んどる、シャレた塩で食うやないですか。

そこにきて、この、アジシオよ!

場末の町食堂に、得体の知れない油でべたべたぬるついた、アジシオくんの偉大さ。ごめんね。今までべたべたにして。

しいたけがあまりにもおいしすぎるのに、食べても、食べても、でかすぎて減らない。うれしい。絵面も強い。

これ、いけるんちゃうか。竹下通りで売れるんちゃうか。クレープとタピオカの次は、しいたけちゃうか。巨大しいたけを手渡され、はしゃぐギャルの姿が浮かぶ。

いや、やはり、しいたけ園の喜びにはかなわんか。

おひつごとドカンと出される、炊き込みご飯もむちゃくちゃおいしい。

細切りのしいたけが、ちょっと不安を覚えるレベルで大量投入されている。かといって、手間暇かけてる料理にも見えない。すべての具材が機械的に切られ、パワーでぶち込まれている。底の方に溜まっている。その雑さが、不安をいい感じでかき消してくれる。ダメ押しのおかわり無料である。

おかわり無料!?

小皿に盛られた、しいたけの佃煮もあった。すべての調味料が強めに効いていて、一切れで、炊き込みご飯が消える。

気がつけば、

おれたち、しいたけをおかずに、しいたけを食っている……?


栄養バランスの六角形が、しいたけ方面にだけ尖り続けていく。森の狂人の食卓。

わたしたちは、ここで、あることに気がついた。

「肉、いらねえな……」

つやつやと光った若鶏と和牛に、まったく手が伸びない。いつもならこんな良い肉、先を争って食い散らかすのに。

しいたけを食べたい。
しいたけだけを食べたい。

しかし、もったいないので、肉を焼くしかない。

そうか。この肉がないと、みんな、しいたけだけを食べてしまうんだ。あまりにしいたけがうますぎるから、しいたけが狩り尽くされてしまうんだ。肉という名の制御装置。しいたけ中毒者と園の採算を救う最後の砦。

若鶏と和牛が、バーターになる世界線ってあるんだ。

満腹で恍惚としながら、わたしは、しばし呆然とした。春のやわらかな日差しが差し込む森の木々を、ぼうっと眺めていた。

ああ……いいな……。
しいたけの森に住みたいな……。

ムーミンみたいになれるかな。ムーミンといえばヨクサル(スナフキンの父親)が、かっこよくてさ。恋心を乱されたんだ。ここでヨクサルと一緒にしいたけを育てながら暮らそうかな。いや、でも、ヨクサルがタイプだっていう女が幸せになってるの、見たことないんだよな。

ねえ、しいたけ、あんたはどう思う……?


戻ってこれなくなりそうなので、終わります。

この時はまだ、わたしの花粉症らしき症状に待ち受ける衝撃の結末を、予想もしていなかった。


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