よくわかんないけど、なんかわかってしまうのには理由がある(機動戦士ガンダムGQuuuuuuX)
機動戦士ガンダムシリーズの新アニメ「GQuuuuuuX(ジークアクス)」がはじまった。今年の冬、映画館での先行上映を見たとき、喜びを噛み締めた。創作衝動の答え合わせみたいなものが、見つかったからだ。
何年経っても読み返して己を奮い立たせられるセーブポイントとして、感想を書き殴るぞい!
見終えたあと、
「これは考えるガンダムじゃねえ。感じるガンダムだ」
と思った。
とにかく展開が超早い。
あらすじ
戦争後の世界、宇宙コロニーで暮らす主人公の女子高生・マチュは、怪しいアルバイト中の少女と遭遇する。運び屋として少女が運んでいたのは、ロボット(ガンダム)を戦闘兵器に変える部品だった。その後、軍警察のロボットが、難民区域を破壊する。怒ったマチュは、部品を使ってロボットに乗り込み、撃破する!
※ガンダムに絶望的に疎い人にもわかるようロボットという言葉をあえて使いました、許してください。
たった30分の第一話で、そこまでギュンッと進む。通常アニメの三話分ぐらいの情報があるんじゃなかろうか。シーンに無駄がない。無駄がなさすぎて、逆に怖い。
舞台が現代でも日本でもないのに、説明はほとんどされない。マチュは学校は何を学ぶのかも、でけえロボットがなぜ存在するかも、軍警察の仕事も、言語では説明されない。
「そういうもんなんで!」
マチュたちは、わたしたちの方を向かない。その世界で普通に暮らしてる。暮らすことに、野暮な説明などいらない。
難民区域なんて言葉もふつうに使われてるけど。難民区域ってなんやねん。なぜ難民が生まれたんか、どんな店があるんか、治安はどないなんか、濃ゆくておもしろい情報が眠ってそうな場所なのに。
ビビるレベルで説明が少ないのよ。たった3秒ほどの静止画と「難民区域」という単語で済まされるぐらいで。そういうもんなんで。
ビックリしたのは、わたしの方も、
「あ、難民街的な感じのやつね」
スッと納得してしまえたことだ。
わたしの頭には、ガンダム以外の、例えばゲームのファイナルファンタジーとか、ニーアオートマタとか、九龍城とか、他の作品で登場したサイバーパンク的な「難民街」のおぼろげな記憶が浮かんでいた。
それらがパチパチと組み合わさり、勝手に脳がこんな感じねって、補完してくれた。まるでAI生成のように。
マチュが遭遇する少女の怪しいアルバイトも。特に説明がなくとも、ニュースでよく見る「闇バイト」の記憶が組み合わさり、彼女が置かれている境遇や巻き込まれるであろう事件が、すんなり予測できてしまう。
説明がないのは、世界観だけじゃない。
マチュたちの行動にも、説明がない。
マチュはすべてが早い。行動も判断も感情も、早すぎるほどに早い。敵に追われて逃げ込んだ地下道で、巨大なロボットを見つける。なんか強そう。コックピットは開いている。
マチュはどうする?
秒で乗る。
特に葛藤も、検討もなく、なんか、ノリで飛び乗る。死ぬかもしれんその状況で、操作方法もわからないロボットに、人間はスルッと乗り込めるだろうか。物語としてそれはご都合主義すぎて、不自然じゃないのか。
いや、十年以上前の平成の時代だったら、きっと不自然だった。
エヴァンゲリオンのシンジくんみたいに「乗りとうない!乗りとうない!」「乗らんなら帰りんさい!」「逃げたらあかん!」みたいな感情丸出しの押し問答にも、心から納得できていた。
令和はちがう。
大量のアニメ、マンガ、ゲームを浴びるように摂取する毎日のなかで、わたしたちは、なんとなく頭で理解をしている。テレビから、スマホから、あふれる無数の物語が、血肉となって、この身に染み付いている。
アニメの主人公以上に、わたしたちはもう、ご存知なのだ!
ロボットにはコックピットがあることを。機械が身体能力を拡張することを。うだつの上がらない人生から一発逆転できる機会が転がっていることを。落ちている強い武器を先に拾えば勝てることを。直感でキラキラしたものに飛び込めば、異世界に転生できるように、運命が変わることを。
もちろん現実でそんなうまい経験をしたわけではないけど、フィクションで経験する物語の数が、現実で経験する物語の数を上回った。時代の共通知として、ファンタジーは存在する。
いまの若者は、道端にガンダムが落ちていたら、もしかしたら、秒で乗ってしまえるのではないか。マニュアルなんて読まずとも、iPhoneを操作するように、直感的に動かせるのではないか。
進研ゼミ的な感じで。
これ、見たことあるやつだ!つって。
マチュも、操作方法も何もかもわからないガンダムに勢い1000000%で乗り込んだあと、叫んだわけで。
「よくわかんないけど、なんかわかった!」
そうなんです。よくわかんないけど、なんかわかっちゃう。わかっちゃえるギリギリのハイスピードとハイカロリーで、情報積載量カツカツのまま走り抜ける、それがGQuuuuuuXなのだ!
過去の創作物をわたしたちの頭の中に呼び起こし、物語と設定を共有させ、補完させることが、その爆走を可能にしている。引用元など、もはやわからない、巨大でカオスな意識の引用だ。
縦スクロールのマンガを初めて見たときの驚きにも似ていた。あれらは「レベルアップ」とか「ダンジョン」とか「追放」とか、何百もの作品で、同じ言葉とお約束を共有しており、いちいち深く説明されない。説明がいらないので、第一話から展開をブッ飛ばし、クライマックスまでいきなり突っ込む。GQuuuuuuXは縦スクロールガンダムだ。
令和ロマンも、今年のM-1グランプリで『タイムスリップ』というネタで優勝した。
江戸時代に飛んだ現代人を待ち構える、個性豊かな敵たちを見て、
「なんか2.5次元みたいなやつらでてきた!」
というケムリのツッコミが、笑いを爆発させた。
あの瞬間、みんなの頭の中で、2.5次元舞台の補完が起きた。テニミュが流行り、刀剣乱舞が流行り、10年以上が経って、2.5次元はやっとお茶の間の共通知となり、漫才での引用を可能にした。
ガンダム、闇バイト、地下闘技場、難民スラム街……それらを「よくわかんないけど、なんかわかった!」と、人々が想像できる、今、この時代、この瞬間まで待たなければ、GQuuuuuuXは誕生しなかったのだと思う。
暴力的とも言えるこの速度でいったい、どこまで、本当に人を楽しませることができるのか。わたしは期待にまみれながら、めちゃめちゃ応援してんのよ!
なんでかっていうと、わたしが、引用芸の人間だからです。
わたしのエッセイでは「石原裕次郎のお見舞いみてえなメロン」みたいな、例え話を、ばんばん使っている。まともに書けば数十行かかりそうな情報量の多い感情を、一行、一言で、バッと例えるのは得意だし、なにより、書いてて本当に楽しい。
だがしかし、悩みもつきまとう。こういう文章は30年もすれば残らないと言われている。例え話の元ネタは、細ければ細かいほど、世代をまたいで伝わることが難しいからだ。
できるだけ引用を減らそうと思うけど、やっぱり、平成のインターネット老人会に揉まれながら、持って生まれた芸は簡単に変えられない。書くこともやめられない。
そんなわたしがGQuuuuuuXに出会った。涙が出た。積み上げられた創作を力に変え、速度に変え、アクセル全開で走り抜ける新たなエンターテイメントに、ものすごい勇気をもらった。
それでええ。みんなが笑ってくれてるなら、今はそれでいけ。走り抜けろ。そう言われた気がした。よくわかんないけど、なんかわかった!
ところで。
わたしはずっと、ガンダムオタクたちのことが、恐ろしかった。
「ガンダム、なに言ってんのか、わっかんねえ」
五年前、はじめて『機動戦士ガンダム(1979年)』と『機動戦士Ζガンダム(1985年)』を見て、わたしはむせび泣いた。感動でも歓喜でもなく、悲しくて泣いた。
だって、ついていけなかった
『宇宙世紀0079、地球から最も遠い宇宙都市サイドスリーはジオン公国を名乗り、地球連邦政府に独立戦争を挑んできた……』
一発目のナレーションからもう、三回巻き戻した。
宇宙都市ってなんだ?サイドってなんだ?スリーっつうことはツーとワンがあるのか?ほんで急に、ジオン公国を……な、名乗ったの?誰が?そんな学級委員みたいなシステムでいけんの?
『この一ヶ月あまりの戦いで、ジオン公国と連邦軍は総人口の半分を死に至らしめた。 人々はみずからの行為に恐怖した。』
出てきたと思ったら、もう半分死んだ……。
なにがあった。たった数秒で、歴史の教科書が高速朗読され、物語の幕が勝手に開いた。
オッケー、オッケー。これ、いちいちツッコミ入れてたら、終わんないやつね。うん。わからん固有名詞はスルーしよう。
それで見続けてたら、主人公と赤い服の男が登場した。こいつらのことは知ってる。アムロとシャア。知ってるやつが出てきて、ホッとした。
ただ、彼らの会話に、ことごとく、わたしがつまずく。
『われわれのザクモビルスーツより、すぐれたモビルスーツを開発しているかもしれんぞ』
モビルスーツってロボットじゃないの?スーツなの?じゃあ誰かが、変身して着るってことなの?えっ、ガンダムとモビルスーツって、違うんかいな?混乱してると、まもなくモビルアーマーという単語も出てきた。追い打ちに次ぐ追い打ち。
世界と言葉の理解が追いつかないまま、撃ったり燃えたり、ばんばん人が死んでいく。わけもわからぬまま視聴するわたしは、さながら戦場に放り込まれた子羊のごとくうろたえた。
そのままアムロが成り行きでガンダムに乗り、なんやかんや宇宙で戦う爆速の展開を呆然として見ていたら、第15話あたりでわたしは詰んだ。
『ミノフスキー粒子がえらく濃いので、敵影をキャッチできません!』
このミノフスキー粒子とかいう単語が連発され、どうもミノフスキー粒子のせいで、なんらかの障害が起き、戦況がうまいこと進まんらしいので、重要な概念に違いないのだが、
ミノフスキー粒子がわからない。
いったいどういう仕組みで、どこにある粒子なのかすらもわからん。なんもわからん。わたしが重大な説明を聞き逃したのかと、不安になって巻き戻した。やっぱり説明はない。
知り合いのガンダムオタクにたずねたら、
「ミノフスキー粒子を戦闘濃度で散布したら、そりゃミサイルとか打てないよ。えっ、説明?特にされてないよ」
「説明ないの!?」
「そういうもんだよ」
涼しい顔で、片付けられてしまった。
なぜお前はわかるんだ。
知人には、モビルスーツについても詳細を聞いたが、納得できるような回答は得られず「モビルスーツの性能の違いが、戦力の決定的差ではないということを教えてやる!」などと、よくわからない言葉を上機嫌で高速で繰り出しはじめ、まともな会話ができなくなった。
その後も『コロニー落とし』『木星帰りのシロッコ』『サイコフレーム』『ティターンズ』『エウーゴ』など、説明のない単語が劇中で使いまくられるたび、頭痛がした。
『エゥーゴを知らないだと!?ハイスクールの学生が、知らないわけがないだろ!チッ!』
知らんよ。第一話だっつの。舌打ちされたのはアニメのキャラのはずが、流れ弾でわたしの心が骨折した。
情報量が……情報量が多い……!
初見殺しに、律儀に殺されてるわたしが、悪いのかもしれない。もしかしたら本格SF作品というのは、いちいち造語にツッコミを入れるものではないかもしれない。
不気味だったのは、特に説明がない単語や、異常なスピードで展開される戦争の物語に、ガンダムオタクが余裕でついていってることだった。
ガンダムの世界のよくわからん事情に、キレることもなく、そういうもんだと即座に理解し、マシンガントークを繰り広げる。初見殺しの設定と専門用語にも臆することなく、まるで最初からその世界の住人だったかのように、ガンダムオタクは話に混ざっている。
な、なんなんだ、この異様に適応能力の高い人類は。
恐怖と尊敬の狭間で、わたしはガンダムオタクを傍観するしかなかった。
ガンダム作品のなかで、めちゃくちゃ出てくるのに、よくわからない単語の筆頭に『ニュータイプ』がある。わたしは未だに、ふんわりとしか理解できない。言葉がなくても通じ合える、見ていなくても感じられる、超能力者じみて感覚の鋭い人のことを言うらしい。
わたしにとって、ガンダム作品とガンダムオタクは、ニュータイプにしか見えなかった。
わけわからん記号だけの会話で、感情を高ぶらせ、通じ合い、笑ったり泣いたりしている人たち。恐ろしくも羨ましくもあった。
ニュータイプ的物語解釈能力!
ちなみに、GQuuuuuuXの劇場上映版だけで観られる「Beginnig」で、初代機動戦士ガンダムの第1話を再現するシーンがある。30分ほどの物語だが、専門用語が多く早口すぎて、最初から最後まで、ほぼ何言ってんのかわかんねえのよ。悪夢が蘇った。(4/9追記 第2話でこれやるのか……?)
とてつもなく大量の記号でできた言語を、ガンダムオタクが操っていた時代がかつてあり、時を超えて、その言語がギュッと圧縮され、共通意識の粒子として世界中にばらまかれた。展開と絵だけで、GQuuuuuuXが興奮を伝えられるようになった。
そして、やっと、そういうもんだとわかるようになった。あの時のガンダムオタクたちが楽しんでいた世界の豊かさを味わえる日がきた。今のわたしも、ほんの少し、ニュータイプになれたのかもしれない。うれしい。
(ただ、こうやってノリと爆速で戦争に突っ込んでいくマチュを、手放しで喜ぶシリーズだとも思えないので、作中のどこかで暗転しそうではあるよね)