【キナリ★マガジン更新】三船敏郎が朝からパンを食べるかよ!
わが弟が、ハンガーストライキを決行したとの一報が入った。
世間様に主張するため断食をして座り込むという、身体を張った闘争戦術である。
わたしがグータラ寝肥えている間に、一族からそんな豪傑が出るとは!こりゃ野次馬せずにはおられまい!
リビングでは、母が電話に出ながら、
「はい……はい……良太が……一口も食べないんですか?ああ……それはもう本当に……ご迷惑をおかけして……」
エアお辞儀でべこべこ謝り倒していた。
相手はグループホームの管理人だった。ダウン症の弟・良太は、障害のある人たちで力をあわせて、そこで暮らしている。
「はあ……」
電話を切った母が、深い深い、ため息をついた。
「良太がね、パンを食べへんらしい」
は?
「グループホームでは、ずっと朝ごはんがお米やったんやけど、最近から週に二回はパンになったらしい」
「へえ」
「でも、良太はそのパンを断固として拒否して、まったく口をつけへんらしい」
パンガーストライキだ……。
言われてみれば、良太は根っからのご飯党。王将でチャーハンに小ライスを添える熱狂的党員である。
ただ一度、取材でパンを食べることになったら、この表情
それぐらい許したってやと思うが、事情が少々、込み入っているらしい。
「その週に二回のパンはね、同じ施設の障害のある仲間が作ってるパンやねんて。いまはお米の値段が高いから、みんなでパンを食べて助けようってことになったらしいねんけど……良太は断固拒否!」
仲間のパンにも容赦ない。
弟ながら見上げた根性よ。現代のアンパンマンの宿敵は、バイキンマンではなく、パン絶対食べないマンかもしれん。無視こそ最強の攻撃。
わたしは無責任な姉なので、良太のパンガーストライキをゲラゲラ笑いながら応援したい所存だが、そうもいかないのが母の立場である。
良太が成人したとて、保護者は保護者。弟が現場を困らせていれば、ただちに母へとお鉢がベイブレードのごとく高速で回ってくる。ギュワッ。
まるで立てこもった銀行強盗犯に、メガホンで、
「新治〜ッ!お母さんよォ!こんなことはもうやめて〜ッ!」
と外から語りかける役目だ。
あれはしんどいのだろう。実際、うちの母もすでにしんどそうだ。謝らなければならないし、母は人が良いので、律儀に困り果てている。
わたしも笑ってる場合ではなくなってきた。
「良太は頑固やからなあ……ひとり分だけお米を炊いてもらうにも申し訳ないしなあ……説得できるかなあ……どうしようかなあ……」
50歳の大台を越えた母が謝ってるのを見るのは、わたしだって、ちょっと切ない。
だけども、わたしが言えるのは、
「なんとかなるって」
マカロニチーズ的な大味の激励のみ。繊細な母と豪快なわたしでは、性格がまるで違うので。
長い時間をかければ、自然に解決していく問題ばかりだけど、それまでたっぷり、母はめそめそするのだった。
母の根底には、障害のある良太が自立できるかどうかの切実な心配があるんだろう。わたしみたいに笑っていられないのはかわいそう。
――そんな岸田家に、革命がもたらされた!
わたしの結婚による、夫・みずきくんの登場である!
実家で一緒に夕飯を食べていて、パンガーストライキのことをポロッと話すと、みずきくんはなんでもない顔でつぶやいた。
「そりゃ、漢(おとこ)はご飯でしょ」
なんて?
「三船敏郎が朝からパン食ってたら嫌やろ!?」
三船敏郎が朝からパン食ってたら嫌やな。
「良太くんは漢なだけです。当然のごとく、ご飯一択!」
母がちぎれるかと思うぐらい爆笑した。母がちぎれそうになってるところは愉快なり。
「そうや、そうや。言われてみたらそうやわ……」
何度もうなずいて、そして、母はパッと明るくなった顔で、そのまま開き直ったのだった。もちろんパンガーストライキの電話がきたら、しっかり謝るし、ご飯を炊いてあげてほしいと陳謝するので対応は変わらないが、声はどこか凛としている。
こういう事件が起きた時、今までは、良太は特別扱いだった。
障害があるから、良太は他の子とはちがう。昔からの友人にも、母はなかなか相談できなかったという。なぜならあまりにも、困りごとがちがいすぎるから。
いまのご時世、男だ!女だ!で大雑把にくくられるのは、嫌な気持ちになる人もいるだろう。しかし、うちの母の場合は逆だ。
「障害のある良太のことを、漢って、みんなと同じくくりに入れてくれたんが嬉しいわ」
母が大喜びしていた。
時代に逆行する定義に、全力で救われる我々がここにいる。うちは父を亡くしてから、女だらけの家族だ。弟の漢気を、同胞として褒め称えられる者はいなかった。
わたしはちょっと、ホッとした。わたしでは共鳴しきれない良太の心を、無理にわかろうとしなくても、もういいのだ。
また別の日には。
「はい……はい……良太が……そんなことを……?」
母が再び、電話で謝っていた。謝罪に事欠かない家庭。
「今度はどうしたんや!」
「良太が、消灯時間が過ぎたのに、管理人室に侵入しようとしてんて」
「も、目的は?」
「スイッチのゲーム」
グループホームでは深夜にゲームすることが禁じられている。やめられずに起きられなく人が続出したからだ。それで、消灯前に管理人室へ預けるというルールができた。
それを破るとは、叱られて当然の不届き者である。
「しかもな」
母が続ける。
「宿直の管理人さんが、スリスリ……スリスリ……って音がするから、懐中電灯で照らしたら、腹ばいの良太が這いつくばってて」
えっ?
「ほふく前進で、忍び込もうとしてたらしい」
どういうことなの!?
侵入しようとした罪と、年配の管理人さんを絶叫させた罪で、良太はギチギチに叱られたらしい。しかし良太は謝らず、世にも見事な逆ギレを炸裂させて、今朝から部屋に引きこもってしまったという。
「家でそんな悪さしたことないのになあ……どうしよう……グループホームで暮らすんがつらいんかな……」
また母が困り果てた。
それを端から真顔で聞いているのが、みずきくんである。
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