【小説】聖母の天職(3-和菓子屋の元アルバイト 板見叶恵の証言)
あらすじ 探偵・相沢たくみに「婚約者の仕事を調べてほしい」と依頼する御曹司。聖女のように可憐で清楚な恋人の職業は———借金の取り立て?証言を重ねていくたび、奇妙な彼女の人生が浮かび上がってきて……。全8話完結、第1話はこちら(装画は星野ちいこさん、本作のための描き下ろし)
川野鞠亜が働いているという会社に、債務者のふりをして電話をした。
「はい、株式会社ナブディス・フィナンシャル・エスでございます」
意外にも丁寧な男の声だった。その声の背後で、
「ですからあ、お約束は昨日だったでしょう?これもう何度目……あ、クソッ!ガチャ切りしよった!いてもうたろか!」
別の男が声を荒らげているのが聞こえた。
電話口の男は
「川野鞠亜ですか?出張で四日間は戻りませんが」
と答えた。感情を消し去ることに慣れたような、抑揚のない声が逆に不気味だった。
弁天様のように慈悲深いほほ笑みを浮かべながら、むき出しの怒声が弾丸のように飛び交う修羅場に鞠亜はいる。千寿の言うとおり、何かの間違いで放り込まれているのか、それとも。
千寿の依頼には、鞠亜の仕事の確認に加えて、最終的には進藤家に迎え入れても問題ない女性であるかの証拠も含まれている。
彼女を深く知るには、過去の人間関係にも遡るしかない。
おれは鞠亜のSNSから、かつて和菓子屋でともに働いていたという女性を特定し、客として接触した。
日時 2025年5月21日14:32
場所 京都市二条通 和菓子店
対象 板見 叶恵 (52歳)
以下、板見の発言記録
いらっしゃい。羊羹を二十箱も?ああ、四十九日のご法要やね。お兄さんもまだ若いのに、ご苦労さんやねえ。ほな短冊は『志』で、内のしにしときましょか。
……え?川野鞠亜ちゃん?
お友達なん!?
ちょっと、懐かしいわあ!もう五年も前かしら、京都駅の地下で一緒に働いてた子ぉやわ。色が白おて、ふっくらしてて……あの子の横に並んだら、あたしなんか、干からびたゴボウみたいやったんよ。この制服も、鞠亜ちゃんにはよう似合っとった。
まあ、とにかく“おっとり”した子やった。かわいらしいけど、一分一秒を争うほど忙しい店舗やと“どんくさい”ってよく叱られて、かわいそうやった。
ある時ね、ものすごい剣幕で怒鳴り込んできたお客さんがいはって。
「昨日買うた羊羹の箱、角が潰れとったやないか!縁起でもない!」
あたしなんか、頭下げながら「そらアンタがぶつけたんやろ」って内心で毒づいてたんやけど。
……鞠亜ちゃんは違った。
あの子、カウンターの横からスルッと出てね。潰れた箱と、その人の顔をじぃーっと見てね。
「ちょっと、鞠亜ちゃん」
あたしは気が気じゃなかったんよ。そしたら、あの子、
「そちら、大切な恩師さまへの贈り物でしたよね。かけがえのないハレの日のために、あんなに時間をかけて、心をこめて選んでくださったのに……ああ……」
あの、耳に残るような、ミョーに湿った声で言うんよ。
はよ謝らなあかんやろ!ってあたしは肝冷やしたんやけど、そのお客さん、毒気抜かれたみたいに突っ立ってしもて。
「あ、いや、渡すのは今日の晩やし……」
「でしたら、今まで気を揉まれましたよね。わざわざここまで足を運んでくださったなんて、なんとお詫びしたらいいか」
「……まあ、先生はここの羊羹が一番好きやからな」
同窓会で還暦の恩師を祝うとか、そういうことやったみたい。ともかく、お客さんも鞠亜ちゃんと得意げにお話しはじめてね。
そしたらね、お客さん、スルッと財布を出しはってん。包み直しの手数料なんて、うちは取ってへんのに「受け取ってくれ」って。出さずにはおれんくなったみたいで。あれは……不思議やったわあ。
後ろにぎょうさん人が並んでるから、あたし、何度も『代わるから!』って目配せしたんやけど。鞠亜ちゃんったら、ぜんぜん気づかへんの。
あの子は一事が万事そうよ。周りが見えてへん。
よう気ィつくけど、賢くて頭が回るって感じとはちゃうんよねえ。一生懸命、言葉を探してるっていうか。手も口もごっつい遅くて、どんくさい。
……そんな言い方したら、かわいそやけど。
鞠亜ちゃん、店の上司からはいつも大目玉くらってたわ。
「一組に何分もかけんといて!あんたのせいで売上さがってるんがわからんの?』
とにかく忙しい店やったし、しゃあないね。
結局、体調やられてもうたんか、だんだん見かけんようになって……。その頃、あたしもこっちの店舗を任されたばっかりで忙しくてね。鞠亜ちゃんとは、それっきり。
鞠亜ちゃんがあなたに、うちの羊羹、すすめてくれたん?
そら嬉しいわあ。まだうちの店のこと、好きでおってくれとるんやろか。あの子、元気してる?
え?鞠亜ちゃんが、金融のお仕事……?
銀行の受付のお姉さんとか?
へえ……それは正直、意外やわ。
あの子、レジ締めも一番遅くて、よう間違えてたんよ。計算が合うまで帰られへんから、自分の財布からしゃあなし小銭出してるのも見たことあるわ。ご法度やのに。
銀行で困ってるお客さんにも気ィつかいすぎて、身銭切ってでも助けてもうたりして。心配やわ。楽しくやれてるならいいけど。
以上、板見の発言記録
板見叶恵の証言をまとめて電話で伝えると、黙っていた千寿が、
「ぼくもそう思ったんですよ!」
音が割れるほど叫んだので、おれはスマホを少し遠ざけた。
「借金っていっても、受付のお姉さんなら鞠亜っぽくて納得できます」
「残念ですが、ナブディス・フィナンシャル・エスの業務は取り立てのみでした」
「うっ……で、でも、そこの電話番って可能性もまだありますよね」
ただの電話番が四日間も出張するとは考えにくいが。長引くと電話代がもったいないから、残酷な推測は口にしないでおいた。
「にしても。たった二日でたくみさんから電話がきたんで、びっくりしました」
「鞠亜さんの前職が和菓子屋ということは?」
「それは教えてもらってました。他にもホテルのフロントとか、祇園のお土産屋さんとか、接客の仕事はひと通りやってきたって」
「客に寄り添うことと、組織の利益を守ること。二つの正しさを両立できるほど、鞠亜さんは器用じゃなかったみたいですね」
どんくさいという表現をぼかして伝えたが、耳が痛かった。おれも同じ烙印を何度も押されて、排除されてきたから。
「そこが鞠亜らしい、やさしさです。ぼくなんか忙しいとつい、さっさと診察を回してしもて、ナースから小言いわれるんで。彼女の不器用でひたむきなところを見てたら救われるんですよ」
鞠亜の欠点をそのまま美徳に翻訳する千寿の声には「惚れ直した」としかいえない熱が宿っていた。
「でも……その板見さんって人。辞めた同僚のことをよくそんなに喋ってくれましたね」
千寿が不思議そうに言う。
「まあ、四十九日の話をしましたから」
「え?」
「あの世代って、法事と病気の話題になると、ガードがゼロになるんです。身を乗り出す角度がとつぜん鋭角になるっていうか、親戚の距離感で一気に首を突っ込んできてお節介を焼いてくれるんですよ」
「……たしかに。ぼくの母もそうです」
「それで、さすがに鞠亜さんがひとりで、ナブディスへの転職を決めたわけではなかったようです」
「やっぱり弱みを?」
千寿の声がまた一段、明るくなった。弱みを握るなんて物騒な響きも、彼にとっては、光に向かう道標なのだ。
「いえ。鞠亜さんはある人物に転職の相談をして、ナブディスを斡旋されたということがわかりました」
「斡旋……って、そいつが鞠亜に借金取りの仕事を紹介したってことですか」
「そうです」
「ちょっと、理解できません。なんでそんなところへ」
千寿の声に少し憤りがまじりはじめた。
「その前にひとつ確認させてください。千寿さんも鞠亜さんに転職をすすめたって言ってましたよね」
「……はい」
「いつ、どんな風に?」
「一ヶ月ほど前です。休みが不規則ってこともあるし、鞠亜は倹約家で生活に余裕があるようにも見えんかったから……うちの系列で働いたらどうかって」
喫茶店で渡された千寿の名刺の裏を、おれは見た。医療法人SHINDO会が経営する富裕層向けフイットネスジム、産後ケアホテル、メディカルコスメショップなど見栄えのいい言葉が行儀よく並んでいた。
「給料かてじゅうぶんに出してあげられるし、産休や育休も評判よくて……」
「鞠亜さんは喜んでましたか?」
「……困らせてしまったかもしれません」
鞠亜が返事をにごす表情は、たやすく想像できた。会ったことはないが、波風をできるだけ立てぬよう、曖昧にほほ笑んで受け流す仕草が彼女にはよく似合う。
「それからどうなりましたか?」
「会うのをはぐらかされるようになって、電話もLINEの返信も……まばらに……」
「なるほど」
「ぼくの気が急いてしもて、鞠亜の気持ちを無視したなら謝りたいんです。だってどう考えても、そんな仕事より……」
「進藤さん」
必死に話し出す千寿を、おれは遮った。
「鞠亜さんが連絡を絶ったのは、あなたの提案を嫌がったからか、まだわかりません。大切にしたいものが、彼女にはあったのではないでしょうか?」
「大切にしたいもの……?」
「ということで、さっき話を聞いてきました。ナブディスへの転職を斡旋した人間です。音声だけ先に送ります」
「えっ、もうですか?」
「はい。思ったよりもずいぶんと、愉快な男でしたよ」
(つづく)