【小説】聖母の天職(2-形成外科医 進藤千寿の依頼)
あらすじ 探偵・相沢たくみに「婚約者の仕事を調べてほしい」と依頼する御曹司。聖女のように可憐で清楚な恋人の職業は———借金の取り立て?証言を重ねていくたび、奇妙な彼女の人生が浮かび上がってきて……。全8話完結、第1話はこちら(装画は星野ちいこさん、本作のための描き下ろし)
京都の鴨川沿い『純喫茶あいちゃん』の陽に焼けたテーブルの上に、
「調べてほしいのは、ぼくの恋人です」
依頼人の男がスマホを置いた。
進藤 千寿(しんどう かずひさ)。おれとは正反対の、どこに居ても目立ちまくる顔だ。整いすぎていて、もはや内側から発光してるように見える。
「川野 鞠亜(かわの まりあ)といいます。付き合うて、半年になります」
やわらかな京都弁が、彼の育ちの良さをこれでもかと物語っている。画面に視線を落とすと、そこには華奢な女が映っていた。白くふっくらした肌が際立っているのを見て、
「……弁天様」
おれはつぶやいた。
「七福神の?」
千寿が不安げに聞き直した。
「あ、いや、なんていうか、日本画っぽい女性だなって。ああいうのに描かれる美人って、どこか幼いけど、慈悲深さもあるじゃないですか」
「すごい!ようわかりますねえ!」
千寿がまるで宝物を褒められた子どものように、嬉しそうに笑った。
「鞠亜は年下だしおっとりしてるんですけど、いざって時は芯が強くて。ぼくが仕事でまいってる時も、隣でニコニコしながら聞いてくれて……沈んだ気持ちが吸い取られるみたいに消えていくんです!」
写真の中で千寿に肩を抱かれ、少しだけ首をかしげて笑う彼女を見た。
クセの残るロングの黒髪も、クリームイエローのカーディガンを首元まできちんと留めた姿も、派手ではないが、地味でもない。完ぺきな進藤千寿に、川野鞠亜はよく馴染んでいた。
「なのに……最近はだんだんと、連絡が取りづらくなってしもうて……」
千寿はうつむいた。スーツは引き締まった千寿の体にぴたりと合っていて、無駄な皺がない。32歳の医者。おれより二つ下なんて、とても思えないほど大人びている。代々続く医者の家系だから、身だしなみは叩き込まれているのだろうが、やたらに肌まできれいなのはなぜだ。
「彼女とはどこで?」
「鞠亜がうちのクリニックを受診したんがきっかけで、出会いまして」
「病気ですか」
「いえ、ほくろを取るだけの……兄が開発したレーザーなら、かんたんに取れるんですよ」
「千寿さんはお兄さんと一緒にクリニックを?」
「はい。兄は美容外科の天才ですから。腕も経営のセンスもええし。兄に助けてもらわなきゃ、ぼくなんて」
「……いや、医療法人SINDO会といえば、京都では知らない人はいませんよ」
「そのSINDO会の期待を一身に背負ってるのは兄です。脳外科をあきらめて、地味な形成外科医になったぼくは、オマケみたいなもんです」
千寿は苦笑いした。
「ぼくは形成外科の診察をしてますが、なんせ美容外科のほうが患者さんが多いので、問診を手伝うこともありまして」
「それで、鞠亜さんのほくろの問診を?」
「はい。おでこのほくろがかわいらしいのにってぼくは言うたんですが……前髪を短くしてみたいんですって、鞠亜は恥ずかしそうに笑って。そこで、グラッときましたね」
「はあ……」
「ダウンタイムがあるんですが、鞠亜は『お客さんに顔を見せる仕事じゃないから大丈夫』って」
「彼女のお仕事は?」
「金融系の事務員だと」
イメージどおりだ。鞠亜が丸みを帯びた指先で、丁寧に札束を勘定してゆく姿が目に浮かぶ。
「……最初はそう聞いてたんですけどね」
千寿が不穏な言葉を吐いた。
「ってことは、嘘つかれたんですか?」
「とんでもない!確かに金融……の事務員ではあったんですけど、その、ぼくの想像とだいぶ違うタイプの金融で……」
千寿が口ごもって、
「……鞠亜がそんな仕事をするわけないんです!」
悲痛に語気を強めた。
「ああいう……取り立てみたいな仕事ができる人やないのに……」
「取り立て?」
千寿はだまって、スマホを操作する。見せられた画面は、会社のWEBサイトだった。
株式会社ナブディス・フィナンシャル・エス。
ロゴの下に『債権管理・回収』とあった。
「これって、借金取りの会社ってことですよね?」
青ざめた顔で、千寿は問う。
「……まあ、借金する人じゃなくて、借金とり戻す方なんだから。よかったじゃないですか」
「よくないですよ!」
今にも椅子から立ち上がりそうな千寿を、どうどう、とジェスチャーで落ち着かせる。
「落ち着きましょう。取り立てって言ってもこのご時世ですし、さすがにドア蹴ったり、落書きしたりみたいな反社会的行為はないでしょう?」
「グーグルマップ見てください。こんな星1だらけの会社、見たことあります?」
千寿はほとんど悲鳴のように言った。
会社名を検索して出る口コミはすさまじく低評価で、だいたいは厳しく取り立てられた債務者からの罵詈雑言や恨み辛みの機銃掃射であった。これは、なかなか激しい業務みたいだ。
鞠亜とは確かに噛み合っていない。
「ローンを踏み倒すやつらの民度なんて、こんなもんでは?」
推測が綻びはじめたことへの好奇心が顔に出ないよう、おれは冷静に言った。
「そうなんですか?」
「挙げ句に逆恨みなんて、ツラの皮が厚すぎてろくな客じゃない。まともに読まないほうがいいですよ」
「はあ……恥ずかしながらそういう……月賦を組むような機会がなくて」
でしょうねえ、と心の中でつぶやいた。
4000万円越えの私立医大の学費を一括でポンと支払える進藤家だ。ローンを組んでまで生活するなど想像もできないだろうし、ましてや、踏み倒すやつの心境など、宇宙人ほどに意味不明だろう。
「で、鞠亜さんはなんて言ってるんですか?」
千寿は黙って、首を横に振った。
「社名を知ったのは、ぼくがたまたま、鞠亜が会社から出てくるところを見かけたからです」
「じゃあ……」
「鞠亜から直接、仕事についてくわしく聞いたことはありません」
なるほど。この件は、鞠亜にも極秘の、千寿ひとりの胸の内というわけだ。
「ぼくもいい年です。鞠亜は潔白やて動かぬ証拠がある上で、家族に堂々と紹介したいんです」
「それはつまり、結婚を見据えて、という」
千寿は照れくさそうに、小さくうなずいた。
患者としてたまたま出会った鞠亜は、進藤家のお家柄に釣り合うステイタスを持たないのだろう。そんな鞠亜と結婚まで見据えている千寿には、なかなかの気骨を感じる。愛に生きる男だった。
「進藤家のこういう信用調査は、ずっとうちで担当させてもらってるんですよね」
「そう聞いてます。大事な婚約や契約の前は、いつも必ずアイザワ総合リサーチさんに頼るんやと、母が言ってました」
今の時代にもこんなものを平然と利用する進藤家は、ひょっとすると探偵どころか、御庭番衆ぐらいは平気で抱えているのかもしれない。
「先日も姉の婚約者の件で、いつもの背ェ高い探偵さんが報告に来てくださって」
「ああ。それ兄貴です。うちの家族で一番優秀な」
「本来ならそのお兄様にお願いすべきなんやろうけど、今回はまだ、ぼくと鞠亜だけの話なんで……」
だから彼は下鴨におわしまする大豪邸ではなく、わざわざここ『純喫茶あいちゃん』まで来たのだ。一族のお抱え探偵である親父や兄貴は、進藤家当主への報告なしには動けないからだ。
さっき渡したおれの名刺を、千寿はそっと確認し、
「えっと、たくみさんは……」
「アイザワ総合リサーチに出戻りした次男です」
おれは立ち上がり、カウンターに向かった。ポットを持ち、カップにコーヒーを注ぐ。
「前は普通の仕事をしてました。どれも向いてなくて、辞めましたけど」
「はああ、人生経験が豊富なんですねえ」
湯気が静かに立ちのぼるのと同時に、千寿がおれを見た。
「家族の中でも一番下っ端だから、うちの喫茶店で働きながら、探偵の仕事を受けるように言われたんですよ」
「えっ。この喫茶店ってもしかして」
「ビル丸ごと、うちの所有です。親父や兄妹は三階の事務所に」
千寿が面食らった。
「どうりで店員が誰もいないなあと思ったんですよ!たくみさんが勝手にコーヒー淹れてるし!」
「依頼がない間はコーヒー代だけでも稼げっていわれまして」
千寿の手にあるカップに注ぎ足そうとしたら、
「あ、おかわりはまだ……」
彼のコーヒーは並々たっぷり入ったまま、冷めていた。
「いや、あの、おいしいですよ」
相当まずいのだろう。おれは喫茶店すらも向いていないようだ。
「たくみさんで……その、本当に、大丈夫でしょうか」
千寿がおれを心配そうに見つめる。無理もない。
「調べる前なので、大丈夫かどうかは、なんとも」
「ぼくは鞠亜を信じたいだけなんです。わかっていただけますか?」
千寿の目はまっすぐだ。信じたいから、調べたい。彼の矛盾した欲望に、今は気づかないふりをした。
「……やってみます」
「実は先週、鞠亜と仕事の話になったんです。休みが不規則やから、合わせづらくてごめんって謝られて。いっそ転職を考えないのかって聞いたら『まさか』って」
「辞めるつもりはないと」
「借金の取り立ての仕事ですよ?」
千寿は信じられないという顔をした。
「……もしかして鞠亜は、会社に弱みでも握られてるんでしょうか?」
スマホの中で彼女は、女神のようにほほ笑んでいた。取り立ての仕事に熱心なようにはとても見えない。——この笑顔の裏に、何があるのか。
「まずは、彼女が本当に在籍しているのかを調べてきます。そのあとは聞き込みも……」
「ああっ。だからあえての無精髭なんですね」
千寿はぱんっ、と手を叩いた。
「え?」
「剃るヒマもないぐらいお忙しいんだったら、うちで脱毛のサービスをさせてくださいって、言おうか迷ってたんです」
「いや……これは……」
おれは髭がまだらに生えた顎に手をやった。
「そう言われたら、いかにも探偵っぽいなあ。すみません、プロには脱毛なんて余計なお世話でしたね」
本当に余計なお世話だよ、と思った。
さっきまで落ち込んでいた千寿の顔が、少年のような目になっている。彼にとっては、愛する人の無罪を晴らす聖戦であると同時に、輝かしくも順調すぎる日常にあらわれた探偵ごっこという刺激でもあるのだろう。
“川野鞠亜は聖女だ。仕事は何かの間違いだ。”
そう確信している千寿は、これから掘り返す事実が、理想ごとブチ壊す爆弾になるかもしれないと想像したことはあるのだろうか。
喉元まで出かかった言葉を、おれは飲み込んだ。おれが求められているのは、説教ではなく調査だ。
「こちら前金です。足りなければ遠慮なく言ってください」
やたらと分厚い封筒を受け取りながら、やっぱり探偵なんて最低の仕事だな、と思った。
(つづく)