【小説】氷ひとかけら

 

【あらすじ】余命わずかな母によりそう娘・澄のもとに、十年以上ぶりに旧友があらわれた。彼女がもたらしたものは、澄がずっと気づけなかった、たったひとつのもの。腐れ縁のような地獄の共犯者のような、ふたりの話。(7300文字、読了まで10〜15分)

病院からの帰り道、澄はスマートフォンを開いた。さっき、母の富美から預かってきたものだ。もう自分では返事ができなくなるから、と渡された。

新着メッセージがあった。

『明日、会いにいくから 瑠衣子より』

なつかしい名前に、立ち止まってしまった。

最後に会ったのは、もう十年も前になるだろうか。

澄が覚えている瑠衣子の姿は、猛烈、のひと言だった。瑠衣子は、古びた百貨店をあざやかに蘇らせた物産展のプロデューサーで、北海道へ弾丸で飛んでいっては、漁師や農家を口説き落とすのが仕事だった。

澄の十歳の誕生日会に、紐でぶら下がったままの新巻き鮭を肩にかついで、玄関にあらわれた時には、ピンヒールを履いたヒグマかと思った。

「澄ちゃん、おめでとう!何色が好きなんやっけ?」

「ピ、ピンク……」

「よっしゃ、合ってた!」

ほい、と瑠衣子に渡された鮭はずっしり重く、澄は尻もちをついた。

「ほら、お腹ンとこの裂け目。きれいなサーモンピンクやろ?」

参加した子どもの母たちは顔を引きつらせながら愛想笑いを浮かべていたが、澄の母だけはちがった。

「あんた、いい加減にしいや」

富美は堂々と呆れを顔に出し、ぴしゃりと言い放った。

「なんでよ、富美ちゃん」

「生ぐさくてかなわんわ。今すぐ持って帰りなさい」

「いやん。意地悪言わんと、お台所貸してえ……」

ふたりは和歌山の高校の同級生で、寮のルームメイトだったらしい。派手で豪快な瑠衣子と、口数が少なく倹約家な富美。どう見たって水と油なふたりが、大人になってまでどうして一緒にいるのか、澄には不思議だった。

「ただの腐れ縁や」

「そうね。田舎モン同士の生存本能かも」

富美と瑠衣子は顔を見合わせて、無言で鼻を鳴らした。

父親が出ていったのは、澄が中学生の時だった。家にいてもいなくてもあまり変わらず、むしろいた方が夫婦喧嘩で空気を重くする父だったので、澄は「ふうん」の返事だけで離婚を受け入れた。

引っ越し先のこぢんまりしたアパートで、富美と荷解きをしていると、チャイムが鳴った。瑠衣子だった。

「はい、陣中見舞い」

カップ焼きそばだ。北海道限定、スープ付の。

「……呼んでへんわ」

富美は顔をしかめた。

名字が変わった報告を、職場の同僚や友人にした時、同情されたり哀れまれたりしたことが耐えられなかった。だからなるべく静かにそっと、生活を整えなおすつもりだったのだ。

「離婚ねえ。まあ、富美ちゃんは頑固やから、そらそうなるか」

ずかずかと上がり込んで、瑠衣子はさらっと言った。今まで富美に向けられてきた言葉のどれとも違うストレートさに、澄は少し肝が冷えた。

「でもな」

勝手にポットへ水を足しながら、瑠衣子は続けた。

「頑固な富美ちゃんが、あたしは一番好きやで。おもろいし、頼りになるもん。旦那はさ、惜しいことしたね。ありゃバカよ!」

富美は何も言わなかった。でも、ふ、と口角が緩んだのを澄は見逃さなかった。

「夕飯、かんたんなもんしか作れへんけど食べてく?」

台所に立とうとした富美に、

「こんな時まで優等生やってる」

瑠衣子が呆れた。

「でも、澄もおるし、ちゃんとせな……」

「澄ちゃんかて、カップやきそばすすってるマヌケな富美ちゃんのほうが、話しやすいやんなあ?女ふたり、ハラ割れたほうがええやんなあ?」

ずいずいっと迫られ、澄は笑いながらうなずいた。その晩、澄ははじめて、同じクラスに彼氏がいることを打ち明けた。

それから瑠衣子は、用もないのによく遊びにきた。新しい商品の試食だとか、高級いくら弁当が余ったからとか、何かと理由をつけて、お土産を抱えきれないほど持ってきた。いつも唐突な訪問に富美は呆れていたが、追い返したことはなかった。

その瑠衣子が、ある時からぴたりと姿を見せなくなった。理由を聞いても、最初、富美ははぐらかすだけだった。

澄が高校生になって、ようやく富美が口を開いた。

「……こっちの病院にうつったらしいし、一緒にお見舞い行こか」

富美に連れられて病院へ行くと、まるで別人みたいにやつれた瑠衣子が、枯れ枝のような体をベッドに横たえていた。

「澄ちゃんまでこんなとこへ連れてくるなんて。ほんまに富美ちゃんは意地悪」

出張中に瑠衣子は、雪でスリップしたトラックに巻き込まれたのだ。命は助かったが、神経をやられて、しびれと痛みで、思うように動けなくなっていた。あまりの変わりように、澄は言葉が出なかった。

「なんであたしだけ、こんな目に遭うんやろな。考えても、考えても、なんのバチなんかわからへんのよ……」

瑠衣子が、天井に向かってつぶやいた。ぞくっとするほど、黒く落ちくぼんだ目だった。

「あんたのせいやない」

富美が言った。

「じゃ、他にだれ恨んだらええか、教えて」

瑠衣子は鼻で笑った。

あとから聞いた話では、この頃の瑠衣子は、誰ともうまくやれなかったそうだ。見舞いに来た部下や友人とも、病院スタッフとも。醜く縮み、言うことをきかない体に苛立ちがつのり、火花みたいに散って、押さえても止まらないようだった。

だからみんな、だんだん足が遠のいていった。

富美はちがった。仕事終わりに時間さえできれば、瑠衣子の病室へ通った。介護士だった富美は、むくんだ足をさすったり、体の向きを変えたり、見舞いのついでに軽々とやってあげていた。

「いったあ……富美ちゃん、へったくそ!」

「悪いもんを流したってんねん。辛抱しい」

「鬼や」

瑠衣子が本当に虫の居所が悪いときは「出てって」と怒鳴ることもあった。富美は黙って出ていったが、次の週末になれば、むすっとした顔のまま、また病室にいた。

ピリピリした沈黙が気まずくて、澄はそっと病室を出たこともあった。

純粋な友情だとは思えなかった。なぜ忙しい富美が、瑠衣子にそこまで付き合ってやるのか、わからなかった。澄はこっそり、家の通帳を見たこともある。母は瑠衣子に金の負い目でもあるんじゃないかと疑ったのだ。でも、そんな事実は見つけられなかった。


一年後、瑠衣子は退院した。

身のまわりのことをできるまで回復したが、手の震えと痛みが残ったせいで、百貨店の仕事は続けられなくなった。

退院の世話は富美がしてやった。

ほったらかしになっていた瑠衣子の愛車であるランドクルーザーを、富美が代わりに運転して迎えに行った。

「潮時やと思わん?」

雨の降る窓をながめながら、瑠衣子がつぶやいた。

「知り合いに会って、いちいちギョッとされるのも癪やし、富美ちゃんにも甘えすぎたし……」

この頃の富美は介護の職場では責任者に昇格し、ぐっと忙しくなったところだった。

「これからは一日限りの観光客相手にたっかいたっかいイカでも焼いて、豪勢に老いていこかしら」

暗い冗談だと思ったが、瑠衣子は本気だった。羽振りのいい頃の瑠衣子が借りっぱなしにしていたニセコの別荘を、終の棲家にするらしい。今までの人付きあいも、さっぱり切ったといった。

「抜け駆け」

富美が言った。

「どんだけ儲けたか、たまには教えにきなさいよ」

「赤字でヒィヒィやったら、一緒にスナックでもやってくれる?」

「アホ」

ハンドルを握りながら、富美が言い放った。

「あはは。立つのもやっとやし、立ち仕事は無謀か」

「なに言うてんの」

「横でお酌も、手が震えてアカンわ。ってか、喜ばれるトシでもないし」

「口さえ動いてりゃ、イカでも羽布団でも大喜びで買わせるのがあんたよ」

瑠衣子は少し目を見開いて、吹き出した。富美は笑わなかった。澄は後部座席で眠ったふりをしながら、ふたりの会話と雨の叩く音を聞いていた。

瑠衣子がニセコに発ってからも、ふたりはぽつぽつと連絡を続けていた。

「何をどうしたら、カニをうどんにしようと思うんや……?」

きつい夜勤明けに、目を細めてメッセージを読む富美は、嬉しそうでも、困ってそうでもなかった。すんとした真顔のまま、返事を打つのに一分もかかっていなかった。

瑠衣子が帰ってくることはなく、大人になるにつれ澄も、瑠衣子のことを忘れていった。

富美のがんがわかったのは、澄が社会人になって最初の春だった。

数年前から「太ももが痛い」と富美はこぼしていた。

「シフトを代わる人がおらんから。利用者さんにも迷惑かかるし」

忙しさと責任を言い訳にして、なかなか病院に行こうとしなかった。倒れたときにはもう遅かった。朝から晩まで、懸命に他人を介護してきた富美が、自分の不調には最後まで気づけなかった。いや、気づかないふりをしていたのかもしれない。

どうして無理やりにでも検査を受けさせなかったのかと、澄は自分を責めた。

手術をして、抗がん剤をして、やれることは全部やった。それでも秋には病院に引き戻された。

澄は毎日、病院に通った。娘として何をすべきかを考え続けた。富美が好きな果物もパジャマも、いちばんいいものを毎日とりかえた。看護師に何度も確認して、冷たくなった手をゆっくりとマッサージした。

富美はどれも「ありがとね」と受け取ってくれた。だけど、なにがほしいかという望みは口にしなかった。母がどうすればわがままになってくれるのか、考えても考えても、澄にはわからなかった。

「年を越してしまう前にここで、会いたい方には会わせてあげてください」

担当に告げられた澄が病室に戻ると、富美はベッドでスマートフォンを触っていた。

「もっかいぐらい家に帰れるかなって思ってたの。だから、友だちにはお茶のついでがよかったんやけど、しゃあないね」

富美はスマートフォンを差し出した。

「澄、これ、あずかってて。あたしが寝てたら、返事しといてほしい」

富美が咳き込んだ。鼻から絶えず酸素が送られてくるせいで、口が乾燥するのだ。澄は背中をさすった。

そこからあっという間だった。

強い痛み止めと酸素のおかげで、前みたいに富美が苦しそうな顔をすることはなくなったが、眠って過ごす時間が増えていった。

翌週から、続々とお見舞いの約束が増えた。高校の友人たちは、日曜日の朝にやって来た。

「……富美ちゃん、今まではお見舞いなんかいらんよって言うてくれてたから、元気やとばっかり。でも突然、お茶でも飲みにおいでって返事くれたから、おかしいなって思ったの」

富美は目をうすく開け、口をわずかに動かすだけだった。

ご、め、ん。

友人たちは、涙をにじませて首を振って答えた。澄は奮発して買った紅茶を、ていねいに淹れながら、

「弱ったところを見せたくないって、強がってたら結局、いちばん弱いところを見せられちゃって。ねえ、ママ……」

眉根をよせて笑った。シングルマザーのひとり娘である澄に向けられる視線は、不憫、の一色だった。澄はできるだけ明るく振る舞った。

澄は、意識が朦朧として喋ることができない富美の、ちょっとした表情の動きを、読み取るのにだいぶ慣れてきていた。

「あっ。くちびる、拭いたげるね」

誤嚥が命とりになるので、水が飲めない富美の唇は乾燥で裂けている。濡らしたガーゼで口を拭いてはリップクリームを塗ることが、澄の日課になっていた。

そろそろお開きという雰囲気になった頃、飛び込んできた人がいた。

「……瑠衣子?」

誰かが小声で言った。

無理もない。彼女たちは元気だった時の瑠衣子しか知らなかった。今の瑠衣子は、化粧と服こそゴージャスだけど、痩せて皺が目立ち、腕輪つきの杖が体を支えていた。

それでも、病室の空気がパッと変わった。昔の瑠衣子を、澄は思い出した。

瑠衣子は病室をぐるりと見回してから、ゆっくり口を開いた。

「お久しぶりね」

友人たちは「うん……」とか「来られたんやねえ」とか、まだうまく瑠衣子の変化を飲み込めないまま、たどたどしく口にした。

「今日はお土産のひとつもないけど」

瑠衣子は、澄を見て、なつかしそうに目を細めた。

「……悩んだら、なにも買えんくて。手ぶらでごめんね、澄ちゃん」

「いいんです」

富美は何日も前から、食べものを受け付けていないことは、誰でもわかった。

瑠衣子はまっすぐベッドの脇に歩いていった。ピンヒールと杖が交互に鳴った。杖を壁に立てかけ、震える右手を毛皮のコートのポケットに押し込んで、じっと富美の顔を見つめた。

眠りに落ちていた富美が、目を開けた。
悶えた吐息のような声が聞こえた。

「ママ、だいじょうぶ?しゃべる?」

ところが、

「富美ちゃん。あんた、喉、乾いてんちゃうの」

瑠衣子が、ズイッと横入りした。

「待ってて」

澄が返事するよりも先に、杖をパッと掴みなおし、瑠衣子は病室を出ていった。

「もうお水は飲めないって言ってなかった……?」

「うん。誤嚥しちゃうから」

澄は追いかけるのをやめて、呆然と答えた。

「じゃ、どうするつもりなんやろ、あの人」

心配そうに顔を見合わせる友人たちの中で、澄はひとり、むかっ腹が立っていた。他人の事情などお構いなしの瑠衣子の行動力が、今は鬱陶しかった。なにも知らない瑠衣子が無神経にペットボトルなんかを買ってきたら、突き返してやろうと思った。

十五分ほどして、瑠衣子が戻ってきた。ほかの友人たちは気まずかったのか、もう帰ったあとだった。

瑠衣子は肩で息をして、額からは汗が伝っていた。

「これ」

震える手に、スタバのプラスチックカップを持っていた。
ふたを開けて、氷をひとかけら、つまみ出した。

「ちょっと!だめっ!」

澄はとっさに声を上げた。取りあげようとすると、瑠衣子がひょいっとかわした。

「だいじょうぶ。さっきナースステーションで、先生つかまえて、ちゃんと聞いてきた。ちいちゃな氷ひと粒ずつやったら大丈夫やって」

「え。だってそんなん、わたしにはひと言も」

「聞いてへんから、教えんかったやろ?……やっぱりね」

瑠衣子はカップを富美の顔のそばに近づけた。

「これはな、あたしが集中治療室におった時、世界でいっちばん、ほしかったもんやの。ねえ、富美ちゃんも?」

その時、澄は見た。
富美が、にっこぉー、と渾身の笑みを浮かべたのを。

「いくで」

小刻みに揺れる指から、氷が富美の唇に触れた。
その瞬間だった。

さっきまで生気のなかった富美が、がりがりがりがり!と音を立てて、子どもみたいに夢中で氷を噛み砕いた。

澄は息を飲んで、見守っていた。

「おいしい?よかったなあ」

もう、ひとかけら。
今度はゆっくり、唇で転がされた。

「よかったなあ……富美ちゃん、よかったなあ……」

瑠衣子がだんだん涙声になり、ついに泣きじゃくってしまった。澄は立ち尽くしていた。毎日ここへ来ていた。毎日そばにいた。それでも、富美がこんな顔をするのを、一度も見たことがなかった。

日の暮れかけた病室に、澄と瑠衣子がいた。富美は少し前から、すっと落ちるように、眠ってしまった。

瑠衣子は椅子に座って、プラスチックカップごと円を描くように、がしゃがしゃ振っていた。

「なにしてるんですか」

澄が聞いた。

「角とってんねん」

「氷の?」

「味が丸くなるっていうやんか。さっきは焦って食べさせてもうたから。あたし、前からスタバの氷っておいしいと思ってたんよな。うちの函館氷にはかなわんけど」

「遅いから心配してたんです」

「ニセコもシーズンで、昼の便のキャンセル待ちギリギリやったんよ。だいたい、遅いっていうなら富美ちゃんやろ?」

瑠衣子はため息をついた。

「富美ちゃんたら、こんなことになってるんやったら、もうちょいはよ言ってくれんと。久しぶりの連絡でいきなり死ぬかもって、こんなひどい知らせはないわ」

「……わたしのほうが、ひどい」

「うん?」

「気づけんかった。わたしは毎日来てたのに」

ベッドのそばのサイドテーブルには、手つかずのまま黒ずみはじめた果物や、袋から出してさえいないパジャマが、置いてあった。富美は笑って受け取ってくれたけど、もう富美の体には必要ないものだらけだった。

「気づいてあげな、あかんかったのに……」

澄はたまらず、目を逸らした。泣き出したいのをどうにか押さえこんで、膝の上で痛いほど手を握りしめた。そっと瑠衣子の手が重なった。

「ふつうは知らんよ。知らんもんは気づけへん」

「でも瑠衣子さんは」

「あたしは地獄におったことがあるから、わかっただけ」

澄が顔をあげた。瑠衣子は遠い目をして、話しはじめた。

「体じゅう管だらけで、熱くて痛くて、もう死なせてって思う経験やった。喉が焼けそうやのに、水も飲ませてもらえへんくてな。ボロッボロ泣いて、うめいてたら、夜勤の先生が、氷やったらええよって教えてくれて……はよ言わんかいってそん時はしばいたろかと思ったけど」

瑠衣子は、カップで丸く溶けていく氷に視線を落とした。

「忘れられへんよ、あの味」

まるで夢でも見るように、うっとりと。

「スタバでアイスコーヒーのコーヒー抜きって頼むの、勇気いったわ。あ、澄ちゃん、あとでコーヒーだけもらいに行っとく?」

「やめときます」

「わあ。もっぺん言うて」

「……なんですか」

「富美ちゃんにそっくり。あたしのお見舞いに来てくれた時から、親子やなあ、似てるなあって思ってたんよ」

「あの時は、わたしも、その」

澄は口ごもった。

「ちゃんと覚えてるよ。澄ちゃんが途中で出ていったことも」

一瞬、澄はどきりとしたが、瑠衣子に責める口ぶりはない。

「あたしでもそうするわ。だって、あの時のあたしったら、ひどすぎて見てられへんかったと思うし。富美ちゃんだけは、こりずにずっと付き合ってくれた。あのまま甘えてしまったら、人間がダメになるって思って、あたしはニセコに逃げたけど……」

不器用でお節介な恩人が眠りつづけているのを、しばらく見つめた。

「自分がしんどい時は、よう言わんのやね」

怒りたいのか泣きたいのか、澄にはわからない言い方だった。

「あたしはね、ずっと、なんであんな目におうたんやろって思ってた。耐えて、耐えて、なあんにも残らん人生やった。いっそあの事故で亡うなってしまったほうがマシやった」

瑠衣子は顔を覆った。

「でも、今やったんやなあ……富美ちゃん。さっき、にっこぉーって笑ってくれてさ。あたし、今、いっぺんに報われたような気ぃした……」

静かに、噛みしめるように、瑠衣子がつぶやいた。富美の小さな寝息がかろうじて聞こえている。気づいたら、澄の頬もぬれていた。カップの中の氷が、夕陽を反射してまぶしく光った。

 
コルク