おいしい料理じゃなくて、料理がおいしくなるしくみを知ればよかったんか

 

昔からなんとなく、ずっと思ってた。
わたしはいつか、料理上手になるのだと。

母が、まさにそうだった。
正月を迎えるごとにテカりと旨みが伸びてゆく黒豆を炊いて、

ハンバーグやカレーライスは、付け合わせまでこだわる洋食屋のよう。

母が腕をふるうと、みんなが大喜びした。父は誇らしげに客人をつれてきた。その料理をわたしは毎日食べていたのだ。

メシウマの家庭に育った自負があった。わたしも自然にそうなるのだと信じて疑わなかった。

「26歳までは仕事が忙しくて外食やったけど、そろそろ自分で作れるようになった方が健康にも財布にもええよな!」

漠然とした理由で、満を持して料理を始めた。
7年が経った。
もう5,000回はつくったはずだ。

……おかしい。
なんつうか、どこにもたどり着かない。

まず、レシピを見ずに作れるメニューがない。冷奴とかカプレーゼみたいな、ぶった切って乗せるだけならいけるけど、焼いたり煮たりが挟まると、途端にあやふやだ。

料理のたびにクックパッドを見るが、前はどのレシピで作ったかを忘れているので、味がいつも違う。

調味料の分量も、一生覚えられない。何をどんだけ入れたら、味がどう変わるのかもあまりわかってない。カレーなんて、いまだにルーの箱裏を充血した目でガン見している。

冷蔵庫やスーパーの売り場をサッと見て、料理をパッと思い浮かべられない。いつも一から食材を買い集めるので、家では使いかけの玉ねぎとトマト缶が常時腐っている。

今まで食べてくれた人たちが嘘をついていなければ、わたしの料理がまずいわけではないと思う。手際もそこまで悪くないはずだ。

しかし、料理上手ならできるはずのことが、何もできない。

ただレシピどおり作って、レシピどおり完成する。味はいつも想像のちょっと下ぐらい。

それだけである。

アレンジや工夫をくわえる余裕は一切ない。だから成長も発見もなく、喜びも驚きもない。

虚無。

料理なんて、やればやるほど、上手になると思ってた。得意料理とか、我が家の味とか、勝手に生まれるもんだと思ってた。

現実は、その日限りの作業の連続!

例えるなら、賽の河原で料理という名の石を積み続けても、鬼にゲラゲラ笑いながらブッ壊されるのを繰り返している、賽の河原クッキングである。逆ピラミッド工事と言ってもいい。

とにかく、虚無。

つい先日も、もう何十回作ったかわからん「無限ピーマン ツナ レシピ」をスマホで検索していた。これも簡単だから作り続けているだけで、別にこれが好きでもないことに気づいた。最近胃もたれするし。

……わたしは、何をしてるんだ!?

突如として、料理に疲れ果ててしまった。
やーめぴ★

夕飯を放棄し、実家の母に電話で泣きついたら、絶句された。

「えっ……そんなにつらいなら、もう料理せんでよくない?」

「ちゃうねん、嫌いではないんや。なんも楽しくないだけで」

「前よりおいしく作れたかを目標にしたら、楽しくなるで?」

「まず前の味をあんまり覚えてないから、違いがわからへん」

「誰かに食べてもらって、その人のもっと喜ぶ顔を見るためにがんばってみるのは?わたしはパパの感想を励みにしてたで」

「みずきくん(夫)は、人間が作ったご飯が目の前に存在するだけで、手を合わせて頭を深々と下げて、なに作っても震えるほど大喜びしてくれるから、変化とかないねん」

「そうやったね……」

母はさらに絶句した。

村人が初めてシュレックを見るような目で、母がわたしを見ると、

「……料理って正解がないのがおもしろさやと思うねん。でもレシピには正解しか書いてないから、自分の好きな味つけを知らんままレシピ通り作り続けると、テストみたいで楽しくないんかも?」

と言った。

「ひろみん(母の最近の呼び名)は、味つけをどう学んだん?」

「わたしは曾祖母ちゃんが教えてくれてん。出汁じゃこは頭とはらわたを取ったら澄んだ味になるんやでって、薄いかなって不安に思うぐらいがちょうどいいんやでって、好みの味を見つけるまで食べ比べもさせてくれて……」

ちょっと待てェ!それやん!
わたしにない知識、それやん!

「なんでそれをわたしに教えてくれんかったんや!?」

母は少し考えて、遠い目をした。

「……うちにそんな時間があったか?」

ありませんでした。
そうでした。

わたしは19歳から大学に通いながらベンチャー企業で馬車馬の馬が副業でサーカスにやるぐらい働いていたので、ほぼ家に帰らなかった。母も祖母も病気でてんやわんやになり、料理など教わるヒマなどなかった。家事はそれぞれできるヤツがノー育成で超速完遂するシフト制の限界家庭でした。

かと言って、今から料理教室に通う気力もない。
大人は大人で、忙しいのである。

仕事の合間に1時間で料理を作らねばならない毎日で、料理の楽しみを一から追求してみるなど、そんな時間があるわけない。もう手遅れだ。

……しかし、料理の神はわたしを見捨てていなかった。

味の素さんが
「料理自由化プロジェクト」
に誘ってくれた。

動画とテキストで好きな時間に料理を学べる、期間限定の企画だった。(現在は終了していますが、書籍になったので詳しくは最後に)

プロジェクトの紹介文を見た瞬間「これや!!!!!!!!」と思った。まだいける。ここから料理をまくれる。この状態からでも入れる保険がある。

これは、おいしい料理を知るのではなく、料理をおいしくするしくみによって、賽の河原クッキングの地獄から抜け出すことができ、喜びにまみれていくわたしの日記である。

大切なふたつのこと

キッチンにiPadとテキストを用意し、早速学びはじめた。

 料理の先生とアシスタントがいて、まあ普通の料理教室やな……と思っていたら、どう見ても北新地あたりの創作中華料理のカリスマシェフにしか見えない先生が「味の素の社員です」と自己紹介なさって、びっくりしてしまった。

会社員に料理を教わって……大丈夫なのか……?
 
思ってたんと違う出だしに、失礼千万の不信感を抱いてしまったが、この先生はなんと、味の素で“味・香り・うま味”をガチで研究しているスペシャリストらしい。
 
「料理上手になるために大切なのは、まず“知る”こと。知るのはレシピの工程ではなく、その奥にある、理由です。玉ねぎはなぜみじん切りにするのか、パスタはなぜ塩を加えてゆでるのか、すべてに味を引き出す意味があることを知っていきましょう」
 
信用できるわ。
 
疑ってすみませんでした。
むちゃくちゃ信用できるわ。

今まで、なんで塩入れるのか、知らんかったもん。

わたしはレシピに書かれたことを鵜呑みにして作るだけのマシーンになってたので、こういう、味について一から教えてくれる機会をずっと待っていた。
 
「しかし、知るだけでは忘れてしまいます。同じ工程を“くりかえす”ことが大切です。ひとつのメニューを何度も作って、味見をくりかえすことで、体がおいしい料理を覚えていきますからね」
 
今までハンバーグも50回ぐらい作ってるけど、細かいことなんも覚えてないしな……。
 
ワクワクとモヤモヤが一緒くたになりながら、まずは一品目のメニューに挑戦してみることにした。

トマトに塩と油をかけるだけのサラダ


「サラダの語源はsal、塩です。つまり素材に塩をふるだけで立派なサラダなんですよ」

さすがにこのわたくしを、なめすぎていましてよ?
 
トマトを切って塩をかけるだけは、さすがに初心者すぎて、肩透かしのはずみでお嬢様になってしまった。わたくしでもそれぐらいできましてよ。
 
トマトは切り方で味が変わるって、知ってますか?」
 
今、なんとおっしゃいまして?
 
知らなかった。

っていうか、切り方なんて、食べやすさと見た目以外に考えたことなかった。
 
「トマトは自然のものですからね。人間のために育ったわけじゃないですから。だから自然の声を聞けば、どう料理してほしいかがわかります」
 
いや、そんなこと言われたとて……。
 
矢野顕子さんが「楽器にはそれぞれ出してほしい音色があるの。その楽器が喜ぶように奏でてあげれば、上手になるのよ」的な神がかりなアドバイスを誰かにしていたが、その時も同じことを思った。

言われたとて……!言われたとて……!
 
「トマトだって生き残ろうとしてるわけですから。種を守るために水分や栄養をゼリー状に集めているんですね。ということは、このゼリーのところがうまいんです」
 
あっ、自然ってそういうこと!?
 
トマトにはグルタミン酸という旨み成分が含まれていて、それは果肉よりも、種のまわりのゼリー状の部分が高濃度らしい。だから、クシ型ではなく、薄切りに切ったほうが、ゼリーが流れ落ちず濃厚な味になるそうだ。
 
科学だった。
よかった。大地讃頌的な話じゃなかった。

せっかくなので、クシ型と薄切りで、切り方を変えてみた。食べ比べてみたら、本当にさっぱりトマトと濃厚トマトで、味が違った。
 
「次に味つけですが……オリーブオイルと塩をかける場合、どちらを先にかける方がおいしいでしょうか?」
 
順番があるの!?

これも一列目はオリーブオイル→塩、二列目は塩→オリーブオイルで、順番を逆にして食べ比べてみた。

こんなシンプルなもん、どうやっても味なんて……
 
変わってる。
 
えっ、怖!
 
一列目のオリーブオイルが先の方は、オリーブの香りがしっかりして、塩が舌に突き刺さる感じがする。二列目の塩が先の方は、トマトのジュレとしょっぱさが調和して、後から旨みになってオリーブオイルと一緒に追いあげてくる。
 
「塩は油に溶けないので、後からかけると浮いちゃうんですね。先に塩をかければトマトとなじんで、オリーブオイルが香りとコクで包んでくれます」
 
へえええ。
 
好みもあるだろうけど、二列目のほうが口の中が楽しい。っていうかトマトがおいしい。マヨもドレッシングもなしで、こんなにおいしいんだ。
 
料理というより、もはや実験だった。

小学校の理科を思い出す。でもあの時間が楽しかった理由がわかる。発見と納得の連続で、見慣れたはずのトマトに心が踊る。
 
トマトにはトマトなりに命を守っている。だから皮があって、種の周りにゼリーがある。何もかも人間の都合のいいようにできてるわけじゃないから、わたしがトマトがどう生きてるかを知って、味を引き出してあげるのだ。
 
……これって、ケアと一緒だな!
 
ダウン症の弟と暮らしていると、つい姉心がいきすぎて、あれこれと世話を焼いてしまうことがあった。通訳なんてその典型だ。わたしは弟の代わりに、彼が言いたいことを周りの人へ伝えていた時期があったが、本当は、身振り手振りでわかりづらくてもいいから、弟は自分の言葉で、会話をする喜びを求めていた。伝わらない悔しさも悲しみもすべて、彼が得たがっていたものだった。
 
病院や福祉施設でも、ケアがうまい人は「教科書や思い込みは一旦置いておいて、その人が本当は何を求めているのかを知る」ことをしている。
 
人を人として見る。
トマトをトマトとして見る。
 そうすれば人は幸せになるし、トマトはおいしくなる。

わたしが人生で欠かしてはいけないと思う大切な共通点が、実は料理にもあったんだということにグッとやる気がわいた。
 
 

ひき肉のだしで野菜を煮る、キーマカレー


 全7回の講座の中でも、印象深かったのがキーマカレーだ。
 
これも最初はおいしいわけないだろ、となめていた。なぜなら材料が普通すぎる。
 
玉ねぎ、合いびき肉、カレー粉、トマト缶、しょうゆ、砂糖、水、サラダ油、バター、塩。
 
カレーはスパイスや隠し味を何種類も合わせるのが本格的なはずだ。そんなこたあ、わたしでも知っている。たったこれだけの材料で、たいしたコクも深みも出るわけがない。
 
ああ、はいはい。
これはね、完全なる初心者カレーですわ?
 
「たまねぎをみじん切りにするのは、メイラード反応を起こしたいからです」
 
メイ……? なんて……!?
 
突如として提示された理科っぽいワードに怖気づいてしまった。メイラード反応とは、つまり料理を炒めると茶色くなる現象らしい。
 
当たり前すぎて、考えたことなかったけど、あれ名前あったんだ。

 「茶色くなるのは、アミノ酸と糖が結合するからで、これによって香ばしさが生まれます。バターで玉ねぎを炒めて、旨みとコクも加えたいのですが、でも完全に焦げると苦くなるので、バターに水を加えておくと焦げません」
 
めっちゃ手順に理屈がある。
なんというか、疑問がひとつもない。
 
進研ゼミのマンガ並みのスムーズさで、知識を飲み込んでいける。
 
「ということで、ひき肉にもメイラード反応を起こしたいのです。ひき肉は炒めるとだしが出るのと、焦げの直前に旨みがつまってるので、フライパンの中央に薄く広げましょう」

ひき肉の炒め方も、理にかなっているなあ。
 
メイラード反応を起こして、後でだしごと煮込みたい、ということさえわかっていれば、一番いい方法はおのずと導き出せるのだ。
 
ぐるぐる混ぜ続けると、なかなか焦げができないので、旨みが出ず、生臭くしあがってしまう。周りに玉ねぎを寄せてあるのは、そこが一番温度が低くて、これ以上焦げすぎずに済むからだ。
 
すべてが、合理的!
 
ひき肉をじっくり観察したのなんて初めてで、おもしろかった。本当にだしが出てやがる。ただの油だと思って、なんなら、キッチンペーパーでわざわざ拭き取った過去もあった。なぜオレはあんなムダな時間を……。

 トマト缶で肉のだしごと煮て、とがってる酸味を無くなるまでグツグツさせればいいということだけを念頭に置いて、

やがてキーマカレーができた。
 
これ、あの、材料のラインナップからはとても信じられないぐらい、おいしくて。今まで食べたカレーでトップに入る感動だった。
 
肉を噛むほどジュワッと旨みが出て、口が喜んでる。後味が引いて、もうちょっと、もうちょっと、ってスプーンが止まらない。
 
食材たちが一致団結して、わたしのためにオーケストラを奏でている……!
 
さらに、わたしはこの日から、キーマカレーの応用でミートソースも麻婆豆腐も作れるようになった。肉のだしで煮れば、うまくなる仲間たち。
 
調味料は違うけど、手順だけはなんとなく覚えていた。こんな無敵感、初めてだ。
 
理屈がわかれば、順番が覚えられるのだ!
 
今までレシピを見ても、まったく順番を覚えられなかったのに「メイラード反応」というしくみを知っただけで、大体何から始めればいいか予想がつくようになった。
 
これは……大学受験の時に必死のパッチで挑んだ、世界史の勉強と同じやないか……!
 
最初は一問一答の問題集を買って、人名や年号だけをひたすら覚えていったけど、次から次に忘れてしまった。国の歴史を見ても、イギリス史とフランス史がごっちゃになって、誰が何やらわからなくなった。
 
成績は低空飛行のまま、あわや不合格かと思った頃

「年号や国をバラバラに覚えるのではなく、世界全体を見て、その時代にどんなことが起き、どんな価値観が広がったのかわかれば、暗記せずとも予想できるようになる」

と、野良の天才塾講師から天啓を授かった。
 
ナポレオンだけを見ればフランスの歴史で終わるけど、ナポレオンがヨーロッパを席巻して資金不足になり、ルイジアナをアメリカに売っぱらったから、西部開拓時代がスタートする……と、流れがわかれば、アメリカの歴史に接続していく。
 
ぷよぷよのような大連鎖で記憶のビッグウェーブを起こし、わたしは世界史の快進撃を遂げたのだった。
 
人間の記憶力には限界がある。
 
調べればなんでもわかる時代だからこそ、わたしたちは覚えることをやめている。他人が作ったレシピをいくら詰め込んだって、忘れるに決まってる。

だから先にしくみを知ればいい
 
予想でなんとかなることが増えれば、脳の空いた隙間で、調味料を覚えられる。
 
ハアッ……ハアッ……。
 
なんて簡単なことだったんだろう。
 
わたしはケアでも世界史でも、他のことはうまく学べてきたのに。それらと料理が一緒だということに気づかなかった。料理だけがずっと勘所を掴めないでいただけだった。
 
いまは、わりと料理が楽しい。
何が楽しいって、しくみを知れることが楽しい。

レシピはもうなんでもいい。煮物は一度冷ますと味が染みるとか、鶏肉は弱火でじっくり加熱した方が柔らかいとか、そういうわかりやすいしくみを知りたい。知れば知るほど、しんどい気持ちが和らいでいく。
 
実は「最高においしいものを作らなくてもいい」とも思えてきた。
 
ノー勉でいったん料理をはじめて、ゲーム気分で予想しながら、後から「あー!ここで醤油ごと焼いたらよかったんか!」と調べて発見するのに、夫婦でハマっている。
 
しくみを知っていれば、食べられないほどの大失敗は避けられるし、こうやって覚えたことはきっと一生忘れない。
 
わたしの目指した料理上手っていうのは、正解のない世界で、どうにかご機嫌に生きていく術を知ることだった。
 
今回、料理への向き合い方を変えてくれたプログラムが、完全版として書籍になるらしい。

販売元のバリューブックスで買うと、本に出てくるキャラ「まなぶくん」のステッカー付き!

▼ Amazonは、3月12日現在、売り切れのようですが、リンクを…貼っておきますね……

「切り干し大根の中華風サラダ」「小松菜と豚バラの炊いたん」「豚の生姜焼き」「オムライス」など、30品のメニューを作っていけば、ほかの料理にも応用が効く知識が身につくとのこと。
 
わたしの悩みに共感してくださった人なら、きっと、好奇心と納得が交互にミルフィーユしてくれると思うので、ぜひ読んでね〜!

あと、2026年3月27日には先生こと川﨑寛也さんがキーマカレーを作るYoutubeLiveをするそうなので、詳しくは公式WEBのお知らせから!

料理をくりかえした先に、いつかわたし好みの味や、家庭の味に、たどり着ける日がくるだろうか。かつて母がわたしたちにそうしてくれたみたいに、他人を笑顔を思いやる余裕が、料理に生まれるだろうか。
 
そんなことをおぼろげに期待しながら、今日は余った酸っぱいりんごを、おもむろに焼いてみた。

わたしの予想が合っていれば、これは甘くなるはずだ。
たぶん。

 
コルク