【内書評】俳句の名将、終わることなき百本ノック

 

内書評(ないしょひょう)は、岸田奈美が岸田奈美のために、好きな作品の内緒にしていた好きなところを、誤読を恐れず好きなだけ言葉にします。

『瓢簞(ひょうたん)から人生』は、俳人の夏井いつき先生が「人生に影響を与えた人」について書いた、忘れようとしても忘れられない鮮烈なエッセイ集だった。

その妹分として誕生した新作『パパイアから人生』は、どうやら、瓢箪とは真逆らしい。

夏井先生にとって、三日もたてば忘れてしまうぐらい、どうでもいいことを書いたという。

“姉妹本”のエッセイって、あんまり聞かないけど、この二冊はすごい。

しっかり者で涙もろい姉・瓢簞と、のん気で笑い上戸の妹・パパイア。仲良くケンカしながら、ひとつ屋根の下にチャカポコ暮らす二人の姿が目に浮かぶ。昭和のホームドラマかと思った。

さて。前作『瓢簞から人生』のお父さまと雪道の話には、本を閉じてしばらく放心するぐらい泣かされてしまったわたしであるが。今作『パパイアから人生』にもやられてしまった。

それは北海道で、夏井先生が俳句のイベント『句会ライブ!』を開催した話だ。

会場に集まったファンたちが、作ってきた俳句を持ち寄り、夏井先生と語り合っていた時のこと。

私を希求する手よ夕顔よ

誰かが書いたこの一句。会場からは「助け合いだ!」「激情の恋だ!」などと意見が出る。俳句は人によって、ぜんぜん違う光景が浮かべながら鑑賞しても許されるのが、おもしろい。

「……これは、介護や育児の句だと思う」

会場で、突然、声があがった。年配の女性だった。

彼女は知っていた。家族と一緒に暮らしているのに、ふと、ひとりで背負ってるような孤独を感じることを。どうしようもない切なさは、夕方に押し寄せることを。

その句の作者は、まさに家族を介護している男性だった。

彼はしばらく絶句したあと

「俳句に込めたかったことを、ちゃんと受け取っていただけたものだから、感極まってしまいました……」

と、こぼした。

もうね、この話を読んで、わたしゃ悔しくて悔しくて!
その場にいたかった!

会場で涙を流しながら、全力でスタンディングして、割れんばかりの拍手を送りたかった。体育館ぐらいなら全然、割ってた。窓ガラスの一枚や二枚、割りたかった。

作者は俳句に出会うまで、自分の言葉の無力感に、打ちひしがれてきたんだろう。介護のしんどさは、そのしんどさが外へ伝わらないところにある。

壊れるほど愛しても3分の1も伝わらないのならば、壊れるほどしんどくても10分の1も伝わらないのが介護である。

そのうち、細かすぎるしんどさを他人に説明するのも面倒になって、複雑な心境を胸の底に押し込める。他人とつながるために、本音を捨て、嘘をつく。それはそれで、もっとしんどくなっていく。

俳句が、孤独の淵で彼を救った。

同じ景色を浮かばせ、同じ気持ちでつながれた。そんな力のある言葉が自分から出てきたことが、彼をどんなに驚かせ、喜ばせたことだろう。言葉に背中をさすられ、生きていこうとする人の姿がありありと浮かぶ文章に、わたしの心は鷲掴まれた。

『パパイアから人生』のエッセイには、夏井先生は三日たてば忘れてしまう話ばかり書いたというけど、誰かにとっては決して忘れられない話が含まれているのがおもしろい。

俳句とは17文字だ。17文字しか入らない。その、たった17文字に、大切なものだけを残す作業らしい。

ハッ!
すばらしい俳人は、エッセイを書いても、大切なものだけ残るのか。

くうう……かっこいい……。

夏井先生ほど信頼され、愛されるエッセイの書き手を、わたしは知らない。夏井先生が書くエッセイのほとんどは、実は同じメッセージに帰結する。

いい俳句が書けますように。
いい俳句と出会えますように。

正解は越後製菓!並みの頻度で、何度も何度も、夏井先生は繰り返す。それは祈りであり応援である。俳句は文芸のはずが、夏井先生からは高校野球のごとき情熱と真っ直ぐさがほとばしる。読んでいるだけで、名将の終わることなき百本ノックに引きずり込まれていく。

あなたも読めばわかる。今日も今日とて、世界に何が起こっても、夏井先生はトランクひとつで飛び回り、俳句を詠み、言葉を書き続けていることを。底抜けに元気でいることを。

何もかもが移り変わり、昨日の正解が今日は消し飛ぶ現代で、この安心感ったらないのよ。

わたしは、本当に好きな書き手には、名作をひとつ残すより、どうか、書き続けてくれと願う。読ませてほしい。あなたが生きる限り、ずっと、ずっと。この世界は捨てたもんじゃないんだって、ページをめくるたび背中をさすられるように生きていきたい。

『パパイアから人生』は、変わり続ける世界で、詠み続け、書き続けてくれる、名将の本なのだ。

※女性セブン2025年9月4日号に掲載された書評を、note用に加筆して掲載しました。転載をお許しくださってありがとうございます。

どちらから読んでも大丈夫な姉妹本ですが、わたしは『瓢箪から人生』を先に読んだら、夏井いつき先生の人生に衝撃を受けて、書かれることの凄みをひしひし感じるようになりました。

 
コルク