文体は生存戦略(イ・スラ×岸田奈美)5/8
誰からも依頼されずに文章を書く、韓国人の作家、イ・スラ。
借金を返し、家族を養うため、インターネットで文章を売る彼女。並々ならぬ親しみを抱いた岸田奈美が、どうしても友だちになりたくて、韓国まで行きました。書くことで生きるふたりの、打ち明け話がはじまります。
▼会いに行くまでの話
▼第1回
5.文体は生存戦略
岸田
スラさんはエッセイ、私小説……と
書かれてきましたが、
次はどんな物語を書きたいんですか?
スラ
一緒に仕事をしてきた編集者さんたちの
物語を書きたいんです。
日本のマンガの『重版出来!』みたいな。
松田奈緒子作『重版出来!』描いて、刷って、売って、読んで、もがいて、あがいて、諦めず、信じて、信じて――そこに見えた希望を描く、マンガ編集者たちの群像劇
岸田
えーっ!
わたしも大好きなマンガです!
スラ
日本のマンガがすごく好きで。
作家になったきっかけは、
『彼氏彼女の事情』って作品です。
知ってますか?
岸田
なんと!知ってますよ!
まさか韓国でその名を聞くとは……
津田雅美作『彼氏彼女の事情』“仮面優等生”の事情を持つ主人公2人の恋愛と成長、トラウマとの対峙、周りを固める個性豊かなキャラクター達の人間模様が描かれる
スラ
これは中学生の時に……
ほんとうにハマりました。
岸田
30年ぐらい前の作品ですけど、
日本ではすっごく根強いファンがいるんですよ。
スラ
よく知らない人からは、パッと見て、
「暗そう……」って言われるんですけど、
読めば読むほど、すさまじく良い作品で。
岸田
『彼氏彼女の事情』を読んで、
なぜ作家になろうと?
スラ
登場人物がとにかく多いからです。
全員にのめり込みました。
こんなにたくさんの人物を描ける作者さんは、
どんなに楽しかっただろう!と思って。
岸田
いろんな人の、いろんな感情を
同時に交差させていく群像劇を、
スラさんはやりたかったんですね。
スラ
そう、そうです。
岸田
『重版出来!』もまさに。
スラ
人と人がお互いの影響を受けて、
どんなふうに変わっていくのかに、
ものすごく興味があったんです。
家族って、そういう共同体ですよね?
よく知ってると思っていたけど、
一緒に暮らす時間が長くなると、
知らなかった一面があったりして。
岸田
はい、はい。
スラ
その知らなかった一面のおかげで、
自分が変化するっていうのが、
おもしろいことだと思うんです。
それを作家になって自分で書きたいなと。
岸田
家族って一番近くにいるのに、
一番遠い存在だから。
わかってくれるはず!って思うから
わざわざしゃべらないし、
期待しちゃってるから、失望もしちゃう。
……家族を書くのは、おもしろいですよね。
スラ
奈美さんは、弟さんを通じて、
世界を見るっていうところもおもしろいです。
弟さんのエピソードを読んでると、
世の中まだまだ捨てたもんじゃないなって。
岸田
あら!
スラ
ああ、優しい人はちゃんといるんだなあ、
って奈美さんの作品を読むと思えます。
でも、書けなかったつらいことも
いろいろあるんだろうなという想像も
同時に伝わってきました。
岸田
わあ……そんな……
そっか……わかってくれたんですね……。
ダウン症の弟のことについては、
エッセイでは書けないこともあるから、
小説にして書きたいこともあって。
スラ
うーん……?
その、エッセイで書けないっていうのは、
実名を出せないってこと?
岸田
ええと……。
なんて言えばいいのかなあ?
会ったことない大勢の人たちから、
弟に向けられる目を、わたしが勝手に
変えちゃう可能性があるというか。
わたしが書いたことによって、
彼の人生に影響が出てしまうので。
スラ
ああー……はい、はい。
なるほど。
岸田
本当ならそれは、弟自身が、
出会って、話して、わかってもらうことなのに、
わたしが勝手に印象操作してしまうことへの抵抗が。
いいことなら、まあ、問題ないんですけど、
ほら、よくないこともあるから。
スラ
ありますね。
岸田
わかりますか?
スラ
はい。
エッセイを書いたことによる
実生活への悪影響って、
いやですよね。
岸田
そうなんです。
スラ
わたしは、エッセイに登場する人には
許可をもらってから書くようにしてて。
奈美さんはどうしてますか?
岸田
半々ぐらいかなあ。
許可を取らずに書くこともあります。
相手のすばらしさを伝えたい!
といういいことの時だけに限りますが。
スラ
わたしも、やっぱりまわりの人たちの
いいところを際立たせたくて、
一生懸命に書くんですけども。
岸田
そうですよね。
スラ
ただ、許可をもらって書いたはずの人が、
わたしのところに来て、
掲載を反対されたこともあるんです。
岸田
そんなことあるの!?
スラ
そうですね、たとえば……
「わたしはそんなにいい人じゃない!」って
言われたこともありますね。
岸田
なるほど。
いい人として書いても怒るんだ。
スラ
あと、家族からひどい暴力を
受けていた友だちについて
書いたことがあったんですけど。
岸田
うん、うん。
スラ
その友だちはオッケーしてくれたけど、
友だちの弟さんから「やめてくれ」と
言われて、文章を削除しました。
岸田
そっかあ……。
日本の有名なエッセイストにも、
家族のことをおもしろおかしく書きすぎて、
縁を切られちゃった人がいるしなあ。
スラ
あー……。
岸田
書いていると、いろんな批判があるけど、
その批判たちの全部が全部、
本音でもないだろうなと思った時があって。
スラ
はい。
岸田
「岸田さんのエッセイは、
社会問題を美化しすぎている」って
SNSに書かれたことがあって。
2000人とかにリポストされたんですよね。
スラ
問題は、家族のこと?
岸田
弟の知的障害のこと。
まあ、福祉の問題ですよね。
わたしは弟の日々を支えてくれた
あるスタッフさんのことについて
伝えたかっただけなのに。
福祉全体の問題を美談にするな!って、
ものすごく怒ってる人がいて。
スラ
ああ……。
岸田
あまりに何回も何回も、
熱のこもった抗議文を投稿されるから、
もうこれは話し合わなきゃと思って。
スラ
えっ!?
会ってですか?
岸田
オンラインで。
一時間ぐらいずーっと、
わたしのダメなところを聞かされました。
一方的にボコボコにされましたね。
スラ
おお……。
岸田
そしたら話の途中で、その人が
「わたしも岸田さんと同じぐらいつらいのに、
わたしのつらさを書いた文章は
だれにも読まれない!
お金ももらえない。みんなひどい!」
って、突然泣き出しちゃったんです。
スラ
うう。
そうか……そうなんですか……!
岸田
その人もわたしと同じような境遇で。
で、本音はわたしへの批判よりも、
共感されたいという本音だったんですよね。
スラ
奈美さんの文章を読んで、
嫉妬したり、あと……
なんて言えばいいんだろう、
「奪われた」みたいな風に思ったんですね。
そう感じる人は、いると思います。かなり。
岸田
そうですか。
スラ
奈美さんはとてもつらそうなのに明るいから。
でも、奈美さんがあんなお母さんや弟さんと
一緒に暮らすことがつらいことだとは、
わたしは思わないです。
かといって簡単に明るく書けるとも思わない。
岸田さんがそういう文体にしようと、
がんばって選択しただけであって。
岸田
ああ、それはすごくうれしいです。
この文体で書くのが楽しいっていうのもあるけど、
何より、わたしは姉だから……。
弟を置いて先に死んじゃった時のために、
弟の味方が多い社会であってほしい。
明るくユーモアのある文体っていうのは、
生存戦略なんですよ。わたしの。
スラ
うん、うん……。
ああ、今、すごく感動しました。
岸田
その文体を選んだことをつらいとは、
まったく思わないんです。
スラさんもきっとそうやって、
文体を選んだのだと思うのですが。
