困るということが、働くということ(しょうぶ学園訪問記)
ずっと行きたかった鹿児島のある場所に、行けるきっかけが、ついにできてしまった!
半年ぐらい前に、編集の佐渡島庸平さんから、
「ライターの尹 雄大(ユン ウンデ)さんって知ってる? 彼と会話すると、人にしゃべったことがない話ができて、自分でも自分の言葉にハッとしちゃうんだよ!」
やや興奮気味に教えられた。
何千人と話しまくってる佐渡島さんが言うなら、そりゃよっぽどである。どうやらものすごい聞き上手がいるらしい。
それで、まず、尹さんが書いた本を読んだ。
むちゃくちゃ、よかった……!
「うまく聞かないと」「ちゃんと話さないと」って、わかりやすい言葉を選んだり、共感しようとがんばったりすると、本当のことから遠ざかっていく。生きるしんどさを、生きるよろこびに変えていくための会話について、説明が尽くされていた。読むタイプの治癒だった。
尹さんは、いま、鹿児島にいるそうだ。
佐渡島さんからのタレコミで知った。
「しょうぶ学園っていう福祉施設への興味が止まらなくて、通ってるうちに引っ越して、取材しながらそこで働いてるんだって」
本の重厚感からは想像できない、フットワークの軽さというか、軽すぎてタップダンスのごとき足さばきの残像に戸惑った。
「知的障害のある人たちへの尹さんの向き合い方が、学びだらけですごくおもしろそうだから、一緒に見学いかない?」
「いくに決まっとります!」
わたしは小躍りした。鹿児島のしょうぶ学園っつったらもう、寝てても名前は轟いてくる。福祉とアートで有名な施設だ。
本当に行ってみたかったので、なんちゅうチャンスや!
しょうぶ学園へ行く前日の夜、尹さんと晩ごはんを食べることになった。
煮え立つ鍋の横で、しゃぶれば絶対においしいであろう鹿児島の黒豚がモリモリ積まれていたが、これが無事に喉を通るのか、わたしは気が気じゃなかった。
爆裂に緊張していたので。
(尹さんと、うまく話せるやろか……?)」
彼は見せかけの愛想や共感で「ウェ〜イ!その話はわかりみ第三協栄丸!」などと、雑に会話できるような相手ではないことは、本を読んでわかっていた。緊張すると、まさにわたしはそういう雑な方面に逃げがちだ。
尹さんは並の聞き上手ではない。これまでのインタビュー相手の面々を見ればわかるが、恐らく、妖怪級の聞き上手だろう。
直前になって佐渡島さんから、
「そういえば、尹さんは10代で陽明学にふれて、柔道や空手をはじめたらしいよ」
と言うので、わたしは震え上がってしまった。
きっと細木数子と江原啓之を足して、ゲッターズ飯田で割ったような男が出てくるにちがいない。終わった。
「すみません……遅れました……」
店に現れた尹さんは、思てたんと全然、違った。
強そうじゃない。自信ありそうじゃない。なんていうか、全体的に羽海野チカ作画のような人だ。
しゃぶしゃぶコースの小鉢がどんどん運ばれてくるので、
「うわあ……たくさんくる……」
机がいっぱいになって、ほんのり困っていた。困っていながら、ちょっと嬉しそうだった。
不思議なことに、自信がないとか、存在感がないとか、そういうのとはちがう。尹さんは自信もあって、存在感もあって、ただ、のびのびと困ってる人に見えた。
わたしたちは低音でずーっと途切れずに流れ続ける、バスドラム4名編成バンドのような感じで、おしゃべりしていた。
たまにわたしが「グエーッ!なんスかその萌え設定!いつボイスドラマ化するんスか!」などと、尹さんのプロフィールに対する無礼千万な感想をガシャーン!ガシャーン!と、猿のシンバルみたいに打ち鳴らして場を乱した。誰か電池を抜いてくれ。
「しょうぶ学園で働きはじめて、どうですか?」
尹さんはしばし考えて、
「働くって、どういうことを“働く”っていうんだろうって……」
と言った。
何やら、誠実に揺らいでいる。
猿シンバルのわたしは、尹さんが大好きになった。
しょうぶ学園は、噂にたがわぬ、きもちいい場所だった。
緑がいっぱいというかもはや林の中にあるようで、あちこちで木漏れ日が揺れていて、古くておもしろそうな建物たちが照らされていた。
とても静かだけど、大きなガラス窓からのぞく内側はにぎやかそうで、フラ〜ッと入りたくなる。全人類が一度は訪れてほしい。
見学を歓迎しているようで、ツアーみたいに案内してもらった。
めちゃくちゃ話し慣れている、タージン(関西におけるロケの神様)のような飯山智史さんが先導してくれた。
(なるほど……こんなに有名になるとプロのツアーコンダクターが招集されるのだな……?)
わたしは納得したが、名刺をもらってびっくりした。しょうぶ学園の総務部長だった。総務部長が、ロケの神様並みに案内うまい。
そして、なんか、尹さんもいた。
っていうか、ずっといた。
静かに馴染みすぎていて、気づかなかった。
「なんか……同行していいって、さっき言われまして……」
尹さんに、飯山さんがタージンの笑顔で言う。
「サプライズです」
サプライズにしては、あまりにも自然由来の発生すぎる。佇まいのフィット感が異常。
しょうぶ学園は広かった。
障害のある人が暮らす家、ものづくりをする工房、カフェやショップ、音楽ホールなんかもある。
はえ〜〜〜ぜんぶおしゃれで居心地よさそう〜〜〜!
ぽてぽて歩きながら、次から次へとあらわれる光景に圧倒された。
「ここは紙すきの工房です。平らに少しずつ伸ばして……むずかしいんですけど、利用者さん(障害のある人)はもう手の感覚だけでわかっちゃうようで……」
「ここは刺繍の工房です。利用者さんそれぞれ、好きな繊維や糸がちがうので、職員はパッと見ただけで誰の作品かすぐにわかるという……」
工房から生まれている製品は、どれもすばらしい。
けど、だんだん、集中できなくなってくる。
「次は……」
「すいません、ちょっと待ってもらっていいですか?」
申し訳ない。完ぺきに進行してくださっているツアーを止めてしまって、本当に申し訳ない。でもごめんなさい。気になって、仕方ないんです。
尹さんがさっきからずっと、視界のはしっこでワタワタしている。
わたしたちが説明を受けている間、同じように並んで歩いてるはずの尹さんだけ、なぜか利用者さんに声をかけられまくっている。
「ゆんさん、ゆんさーん」
一人目は、赤いエプロンを着た、高齢の女性の利用者さんだった。
「おにいさん、あなたはねえ、赤のコーヒー!」
コーヒーが好きな人なのかな?
お茶の誘いかな?
尹さんってば好かれて……
「今日は、赤のコーヒーだけ、いっぱい飲みなさーい!」
食事制限の指示だった。
「えええええ……コーヒーだけですか……?」
尹さんが困っている。
「赤のコーヒーだけ、いっぱい飲みなさーい」
この視界の片すみで、尹さんがとてつもなく唐突で厳しい食事制限を課せられている。
「そうか……わかりました……やってみます……」
やってみるのかよ!
次の工房へ向かうとき、尹さんにこそっと聞いた。
「さっきの赤いエプロンの人とは、その、仲が良くて……?」
「どうでしょう?ぼく、10ヶ月いるんですけど……会ったことない人も多いし……そもそも覚えられてるかどうか……」
「初手でアレ!?」
このあとランチの約束をしていたのに、赤のコーヒーしか飲めなくなった男は、弱々しげにへへへと笑っていた。
そのあとも、視界の尹さんは、やかましかった。
おかしい。口数少なく、誰より穏やかで静かなのに、巻き込まれ続ける動きだけが、ものすごくやかましい。尹さんは歩くたび、利用者さんからしゃべりかけられている。
「あなたも、猫すき?猫すき?」
黄色い糸で猫を刺繍していた利用者さんが、尹さんを呼び止めた。
「猫、すきですよ」
「うれしーっ!エイヤーーーーーッッッ!」
熊を狩るような声量で、満面の笑みで、尹さんが親指を全身全霊でアタックされていた。その10分の1ぐらいの声量で「エイヤー!」と、尹さんも返していた。
作品をじっくり見ていると、寡黙に絵を書き続けていた利用者さんが、
ちょい、ちょい、と尹さんに手招きした。
「はい、はい?」
尹さんが、その人に耳打ちされながら、ふんふん頷くと、
「たいほですね……それは……たいほされちゃいます……」
利用者さんの両手をそっとつかみ、逮捕していた。
いったいどんな計画を耳打ちされたというのだ。逮捕しておきながら、その手をどうしようか、尹さんは困っているようだった。
逮捕されたその人は、満足げにニコニコしてた。
飯山さんの案内は続く。
「だいたい、ひとつの工房に職員はひとりかふたりで、利用者さんと一緒にものづくりをして過ごします」
さすが、アート&クラフトがテーマのしょうぶ学園。刺繍をしたり、椅子を作ったりしながら、さりげなくケアをする職員がいる。
工房でものづくりだけでなく、敷地内の生活寮や訓練施設で、介護をする専門の職員もいるそうだ。
「尹さんはどんなお仕事を?」
あまりにも馴染みすぎて忘れていたが、尹さんの目的は取材だ。いい取材のために、ほかの職員と同じ条件で働いているらしい。
「ぼくは陶芸の工房に配属されまして」
そうか。尹さんの落ち着いたたたずまいは、洗練された陶芸家の貫禄だったのか。それ早く言ってよね。
「なるほどー、陶芸のご経験があるんですね」
「いや、それがなくて……」
「ないの!?」
「なぜ配属されたのかさっぱり……」
福祉については研修を受けたものの、陶芸についてはわからないまま、来る日も来る日も、利用者と一緒に土をこねているらしい。
「利用者さんとおしゃべりしながら、ぼくが教わってるぐらいで……」
ズブの素人だった。いまだかつて、こんなにも前向きで楽しそうなズブの素人が、いただろうか。
「新しくどうぶつの置き物を作ったら、おもしろいんじゃないかっていう話になって、利用者さんにお願いしてみたんですけど。『あっ、見本がないと作りづらいよな』って気づいて」
「そうですよね」
「それで、まずぼくが、ゾウを作ってみたんです」
「うろ覚えで……一日かかって……」
100%うろ覚え由来のアンバランスさ。うすらぼんやりした愛おしさとともに、ゾウがほのかに浮かび上がってくる。くせになる造形。
「なるほど。これをお手本に、利用者さんがゾウを作るわけですね」
隣で黙々と作業をしている利用者さんを見た。
伝言ゲームの終盤みたいになってる!?
概念として進化したゾウ。これはなんですかと聞いてみると、利用者さんは、ちょっと首をかしげて、
「うーーーーん?」
と言った。
首はかしげているが、その手からは迷いなくどんどん、同じ生き物が誕生していくのだった。
生命は止まらないぜ!
尹さんがはははと、遠い目でほほ笑んでいた。
爆誕し続けるゾウのような何かは、尹さんゾウへのゆるやかな肯定にも見えた。
これはなんというすばらしいことだろうか。
わたしが胸が熱くなった。
その日ずっと、尹さんは声をかけられていた。
たまに世話も焼かれていた。
声がけや世話は、する方もケアだけど、される方もケアだと思った。人は誰かの役に立っていると、生きていく喜びがわいてくるからだ。
(働くって、どういうことを“働く”っていうんだろう……)
昨晩の問いを思い出す。
尹さんはまだ新米だから、職員なのに、利用者よりも困っているときがある。でも困っていることで、迷っていることで、“じゃあ、そこにいていいよ”と、居場所をわけてもらっているようにも見えた。
その場所が心地よくなるために、何かが存在しているなら、その何かは働いているということだ。
尹さんは働いているし、利用者も働いている。
みんな、働いている。
見学の最後、施設長の福森伸さんとお話することができた。
「尹さんもよく困ってるけど、ここじゃ利用者さんより、職員のほうが困ってることが多いですね。利用者さんは堂々と過ごしてるのに、職員はパソコンのバージョンが変わっただけで、てんやわんやになったりね」
そう、そう、と飯山さんがうなずいた。直近で困ったことがあったんだろう。
「困ってる人が、お金をもらって助けられているのは、言ってみれば当たり前のことですかね」
冗談っぽくおっしゃっていたが、わたしはハッとした。
偉いからとか、賢いからとか、そんな風に人の役割を決めていないんだ。困ってる人が助けられてほしいという自然な心の動きが、ここにはあるんだ。
障害のある人を、“社会において困っている人”とするならば、しょうぶ学園では障害のある人とない人も、困ったり困らなかったり、毎日止まることなく、立場が入れ替わり続けている。
海を泳ぐ魚たちみたいに、あまりにも自然なことだ。
尹さんが引っ越してまで、しょうぶ学園で働きたいと思った理由がわかった気がした。
尹さんだから聞ける言葉や、見せてもらえる関係があるんだろうなあ。
緩くてやわらかいとか、妙にあったかそうとか、いい具合になめられるとか、何気にほうっておけないとか、言い尽くせないいろんな要素が、身体の内側からにじみ出ている人だけに、開かれた交流ってあるのだ。
そういう人が書く文章は、明るいおどろきに満ちていて、おもしろい。
尹さんというライターを、わたしは尊敬する。
しょうぶ学園への訪問が、とんでもなく楽しいものだったので、何回かにわけて、次もエッセイを書いていきます。
わたしのおすそわけにしばらくお付き合いください。
尹さんについて、もっと知りたい人はこちらへどうぞ。