【キナリ★マガジン更新】いい人の正体(しょうぶ学園訪問記)

 

鹿児島の障害者福祉施設・しょうぶ学園を見学したことは、きっとこれからのわたしを支え続けてくれると思うので、忘れないように書いています。

おまけ以外の本文は、すべて無料で全文公開です。

▼ 前回は、訪問のきっかけを作ってくれた尹雄大さんとのこと。

しょうぶ学園を見学した日の最後、施設長の福森伸さんとお話する時間をもらった。

わたしは人の目を見て話すことが苦手だけど、福森さんからは目が離せない。尊敬はするけど緊張はしない。マスター・ヨーダに対面したジェダイの騎士は、こんな感じだろなと思った。

「ここの職員さんって、いい人たちばかりですね」

つい、口からすべり出た。

福森さんは、ひょえっ、と目を丸くして。

「見ただけで、いい人ってわかるんですか?あなた占い師?」

と、笑った。

そのたった一言に、サクッと射抜かれた。

わたしは “いい人” という表現を、あまりにも簡単に使いすぎてきたのかもしれなかった。

でも、しょうぶ学園の中には、確かにいい空気が流れている。その空気を保っているのは人だとも思う。

わたしが感じとったのは、どんな種類の“いい”なんだろう?

じわっと脇に汗をかくのを感じながら、わたしはもう一度、福森さんに伝えたくて、自分の奥底から嘘のない言葉を探した。



刺繍工房をのぞいた時のことを、まず、思い出してみる。

長机の上には色とりどりの糸と布が散らばっていた。窓からは、木々に反射した光がやわらかくさしこむ。その光の中で、障害のある利用者さんたちがチクチクしていた。

少しずつ、少しずつ、針を通して。

三年かけてシャツ一枚、たいせつに刺繍する人もいるらしい。

工房には、若い職員さんがひとりいた。彼女も刺繍をしていた。利用者さんが刺繍を終えたものを、一枚の作品になるよう繋げたり、糸をきれいに始末したりするらしい。

彼女が利用者さんを紹介してくれた。

集中して作業しているところへ、

「ちょっと見せてもらってもいいですか?」

そっと近づいていく。こういうのは割り込まれるたらイヤだろうに、だれもイヤな顔をしていなかった。

ああ、話しかけるのがじょうずな人だなあ、と思った。

チク、チク、と針を通すリズムの中に、彼女はスッと入っていける。一人ひとりが安心する距離や早さを、きっと無意識に覚えている。

おかげで、わたしたちに喜んで作品を見せてくれる人もいれば、黙々と作業を続けてくれる人もいた。

工房の中は、刺繍の作品があちこちに飾ってある。ものすごい数だけど、職員さんたちは、パッと見ただけで誰が刺繍したかわかるらしい。

「みなさん、はっきりと好きな色や布があるんですよ」

「ずっと同じ素材に刺繍を?」

「そうですね……その日の気分で、ちょっと変わるみたいですけども」

職員さんはサラッと言ったけど、何気にすごいことだと思った。気分で変わるのに、刺繍した人がわかるというのは、どんな気分になればどんなものを作りたくなるかも含めて、その人を知っているということだ。

工房の奥に、四畳半ぐらいの部屋があった。

その部屋の主は、障害のある男性だった。おびただしい数の布のかけらが、雪みたいに床を埋め尽くしていた。彼は部屋のすみで背中を丸め、無言で布を見つめて、次々と縫っていた。

職員さんが、口を開いた。

「こちらの利用者さんは、小さい布になみ縫いするのがお好きで、午前中にまず布の上端を一列ずつどんどん縫います。それで、午後になったら、その下端を縫っていきます」

それが彼のルールみたいだ。
彼が彼らしく、心穏やかに存在するためのルールだ。

知的障害や自閉症のある人には、そういうルールを定めている人が多い。

でも、目の前の彼が、ルールを言葉で説明したとは思えなかった。つまり、午前と午後で一列ずつ縫うという法則は、それを観察した者しかわからない。

すごくね?


だって、ふつうなら、止めちゃうと思うの。

(そんなに次々と布を無駄にしないで!ほらっ、最初からぜんぶ縫ったらいいいじゃん!床も散らかっちゃうし、こっち片づけちゃうからね!)

とか、言っちゃいそうなもんなの。

“仕事”って、そういうとこ、あるじゃん?

でも職員さんは、どっちもしない。じっと見ていたからこそ、午前に一列、午後に一列の法則を発見して、その法則が当たり前に彼の“大切なもの”として損なわれないよう、部屋を用意できた。


すごいと思った。

「ああ、これはそういう法則なんだなっていうのは、すぐ気づくんですか?」

「いや……一年とか二年とか……どれぐらいかな、けっこう長くかかります。毎日見ているうちになんとなく予想はついてて、それが当たったら嬉しいし、外れても予想を超えて嬉しいです」

「何年もかけて答え合わせしてるんですね」

「そう、それが楽しくて」

職員さんがはにかんだ。

この人は、待てる人、なんだ。


理にかなってない行動を止めようとしない。すぐに答えを求めようとしない。わからなさやどっちつかずを恐れない。

一緒に刺繍をしながら、何日も、何年も、人のことを見ている。その人が大切にしようとしている、言葉にできないものに、そっと気づこうとしている。

最後に見せられた机の上に、オーガンジーの布で作ったブローチが並んでいた。三角形のものが多いけど、いくつか丸いものも混ざっている。

「この利用者さんは、ずーっと何年も三角形が好きだったんですけど、なんか今は、丸いものを作ってるみたいで……」

「なんで丸になったんでしょう?」

「……絶賛、みんなで考え中です」

気の長い謎解きゲームだ。いつか答えがわかる瞬間が訪れることを、彼女たちは、ワクワクしながら待っているのだ。

わたしは知っている。期待もせず、催促もせず、ただ待ってくれる人がいるということで、生きることがどんなに楽になるか。安心で満たされるか。

しょうぶ学園で出会った職員さんたちは、待てる人がたくさんいるように見えた。

職員さんは福祉の経験者より、むしろ、旅行代理店や結婚式場など、ぜんぜんちがう場所で働いていた人が多いと聞いて、びっくりした。

ここにいると待てるようになるのか?
待てる人が選ばれているのか?

ちょっと気になった。

利用者さんがつくったものを商品として売ろうとするときも、五年ぐらいかけて、買ってもらいやすい形にやっとできたという職員さんがいた。

紙に絵を描いている利用者さんがいるけれど、絵を描くのが好きなのか、紙をさわるのが好きなのか、どっちだろうかと十年ほど解明を続けてきたけど、どうやらどっちでもなさそうと驚いている職員さんがいた。

みんな、口にする単位がでかい。
五年とか、十年とか、平気で言う。

わたし、五年も十年も付き合ってる人なんて、そんなにいないよ。

でも、人のことをわかるには、本当はそのぐらいの付き合いがいるのだなと思い知る。

この場所だけ、時間の流れが、外とはちがう。ゆっくりだ。何もかも。わたしが感じ続けていた居心地のよさは、たぶん、それだった。




わたしは、まだまだおぼつかない言葉選びで、福森さんに話した。

知的障害があると、思いを言葉にできない、説明で伝えられない、という困難があります。弟を見ていて、それは本当につらいことだと思います。

でも、しょうぶ学園では、伝えることを急がなくても、伝わるまで待ってくれる人たちがいます。困難がつらさになりません。

待てる人、というのが、わたしにとってゆるぎのない、

“いい人”

なんだと、気づきました。

だから、やっぱり、ここの職員さんたちがいい人ばかりっていうのは、嘘じゃないです。そりゃ性格がひねくれた人もいるだろうけど、わたしにとってそれは、いい人かどうかにはあまり関係ないのです。



……と、いうようなことを言いたかったのだけど、あの場所では全然うまくできなかったと思う。マスター・ヨーダの目に吸い込まれて、ただただ、もっとここにいたいなあとハワイのように願うばかりだった。

言いきれなかったことを、エッセイに変えて。

しょうぶ学園の訪問記は、まだまだ書ききれないので、あと一回か二回つづけさせてください。ここから先はキナリ★マガジンの読者の人向けに、もうちょっと詳しく気づきを書きます。

待つことでしか、人のことはわからないのかもしれないな、と思う。

わたしは、待てずにやらかしたことがある。

ダウン症の弟とブッフェに行ったら、弟はかならず、


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