【キナリ★マガジン更新】中型犬の悪霊に取り憑かれてもなんとかなるなら、墓地を駆け抜けることなんて
その日は阪神タイガースが負けたので、自転車で帰ることになった。
いまの家から甲子園球場までは電車で20分かからない。もともとは京都で、新婚生活をはんなり続けるはずが、天国で食洗機が爆発したかのような漏水に見舞われ、わたしたちは兵庫の西宮市へ転がり込んだ。
家も家具も失った。人生ゲームのハズレのマスかよ。しかし、夫のみずきくんは大喜びだった。
「阪神の応援、行き放題や!」
みずきくんが小学校で宣言した将来の夢は「お坊さん と 私設応援団のラッパ」だったそうだ。いねえよそんな兼業。
わたしはみずくんほど熱狂的な“トラ”ではない。甲子園球場といえば真夏にホットコーヒーを売り歩かされたバイト先にすぎない。
それでも、みずきくんに付き合って、月に一度は球場へ通う。
ごはんが、おいしいので!
以前、目の前でサトテル丼を買い占められ阿鼻叫喚する地獄に堕ちたことがあるので、今はプレイボール前に買い込んでいる。味が濃くて、喉が乾くので、ビールやジュースを流し込む。するとまた、しょっぱいものを食べたくなる。
永久機関!
何年か前、アメリカ行きの飛行機に乗ったとき、何度目かの機内食に睡眠を邪魔されたおじさんが、
「動いてへんのに腹減るわけないやろが!おれはブロイラーか!?」
と、寝起きでブチギレてたのを思い出す。
飛行機はおじさんをフォアグラにするために飛んでいるが、わたしも球場でフォアグラになっている。
「チャーンスだー♪振ーりー抜けー♪かっとばせー♪」
声をはりあげると、摂取したカロリーが燃焼する。気のせいである。外野の私設応援団ならまだしも、内野席の軟弱者が疲れることなどあるわけがない。
カラオケの最後に出るカロリー表示で「すくなっ!」と驚愕し、いま食ってるフライドポテトの油をチャラにするためには何百曲歌えばいのかを計算して、絶望した覚えは誰にでもあることでしょう?
しかもこの日は、延長線で負けたので、最悪だった。
勝利にも貢献できず、ただのフォアグラになり果てて帰る罪悪感に押しつぶされ、みずきくんに提案した。
「これから自転車で帰ってみいひん?」
「ええやん!」
運動、消費、発散。すべてを混同してうやむやにできる最後の手段が、チャリ爆走帰宅だ。疲れて爆睡してしまった日曜の夕方に、あわててイオンモールに出かけ、週末を巻き返す心理と同じ。
ということで、球場の横でレンタサイクルを借りた。家の近くで返却できるらしい。
山へ向かって45分ほど走るから、かなりいい運動だ。
しかし、阪神タイガースが負けただけで、こんなにも行動が急変化するのとは。すごい影響力だ。たぶん世の中には、阪神タイガースが敗北したというだけの理由で、巡り巡って、ピラルクを飼い始めたり、先祖の墓じまいをしたり、わけのわからん行動をする羽目になった人がいるはずだ。
片っぱしから取材して「阪神タイガースが負けたので」の一行から始まる群像劇を、いつか書いてみたい。
邪念まみれで自転車を走らせてると、道を見失った。
「あれっ?さっきの道で曲がらなあかんかった?」
「どうせ北なんやから、登っていけば着くやろ」
テキトーにこぎこぎしてたら、どんどん人気がない狭い道に入ってしまった。スマホの地図を見たら、ものすごく面倒くさい場所にいることがわかった。
山を切り開いてできた住宅街で、この先は行き止まりだ。
22時も回って、もう真っ暗。
「うわっ、どないしよ!引き返したら15分もかかる!」
「……いや、ここ通れそうやで」
車モードから歩行者モードに変えると、新しいルートがポッと提示された。そこからなら引き返さず、山を越えられそうだ。
しばらく、こぎまくった。
すると、急に、街灯がなくなった。
暗ッ。
なんでこんな一瞬で暗くなるんだろうと思いながら、ハッとした。
墓地や!
自転車が一台ずつ縦走するのがやっとの道は、無数の黒くて四角い影に囲まれてる。めちゃくちゃ墓地やないかボケェ!
山の霊園を突っ切るルートだったのだ。
おのれ、Googleマップ!
「こわいこわいこわいこわいこわい!」
こいでも、こいでも、ひたすらに墓。どんだけでかい霊園なんだ。フェスかよ。自転車のライトで、パッ、と前方に墓石と枯れた花が照らされた。
「オギャアアァァァァーッ!ハーッハッハッハ!」
怖すぎると、人間は笑うのである。
叫びと笑いのマリアージュでおかしくなりそうだった。すぐにでも引き返したいが、時すでに遅し。急な下り坂に入ってしまい、自転車は止まらない。墓地がビッグサンダーマウンテン。
後ろが妙に静かなのに気づいた。
あれっ、みずきくんは!?
腰抜かして、どこかで倒れてるんじゃないか。あいつは劇場版ドラえもんの野比のび太みたいなところがある。
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