となりの国で、生き写しの双子みたいな作家を見つけた

 

彼女のことは、WEBのインタビュー記事で知った。


いま韓国で最もクールな
自分を“メディア化”する作家
イ・スラ(이슬아)さん


読んですぐ、わたしはソウルへ行くと決めた。
会って話してみたかった。

彼女に運命を感じて、ドキドキしていた。

なぜなら!

わたしと同じ生き方をしている人に、初めて出会ったから……!


エッセイも書くし、小説も書く。インターネットとSNSを拠点にする。テレビでもラジオでも話す。読者からお金をもらって、家族と生活が支えられている。

伝えることが、呼吸みたいに、生きることの延長線上にある。

わたしはその生き方にめちゃくちゃ救われてるけど、同じ人に今まで会ったことがなかった。

たまに「このやり方でええんかなァ?」と不安になっても、友だちみたいに相談できる人がいなかった。

そんな時に、スラさんを知った。

スラさんは2018年から、メールマガジンをはじめた。

借金した学費250万円を返すためと、家族を養うために。読者から10,000ウォン(約1,000円)をもらう代わりに一ヶ月間、毎日、エッセイをメールで送っている。

生き方が同じだけでなく、わたしと年齢がひとつしか違わん同年代なの。

しかも……長女ってのも同じ……!

「……この人、わたしと似てる!?!?!?」

砂漠でやっと人間に巡り会えたような喜びだった。

身近なことをさらけ出すことは、愛をもって書いているつもりでも、うっすらと不安がともなう。わたしが一人で抱えていた悩みだけど、スラさんもまさに、葛藤しているのかも……?

スラさんは、わたしが
「このやり方でええんかなァ?」
を、生まれてはじめて、話し合える人かもしれない。

ちょっとおこがましくて申し訳ないけど、とにかく、そんな感激があった。

生き方だけじゃない。

スラさんとは、創作する理由も似ていた。

人生をおもしろがる天才がイ・スラ



スラさんの人生は、かなり厳しいものだ。

彼女の両親は大学を出ておらず、仕事を転々として、家計はいつもギリギリだった。

スラさんは借金をしてなんとか大学を出たけど、韓国の強烈な学歴社会では就職が難しかった。

それで仕方なく、ヌードモデルをして日銭を稼いだ。借金の返済と、家族を養うため、スラさんは働かねばならなかった。

韓国では「男が家のリーダーであるべき」という古いルール(いわゆる家父長制)が根強い。娘が出しゃばるなんて…と後ろ指さされながらも、スラさんは家族のリーダーになった。

そして、スラさんには弟もいる。わたしは長女には並々ならぬ、偏った共感を持つ。家族を愛する長女とは、それはそれは、ハンパねえ機動力と情の深さで、涙をこらえながら奔走する役目なのだ。

人生、ハードモードすぎる!


でも、スラさんの文章には、悲惨さがない。襲い来る不運など、開け放した窓みたいに、清々しく通り抜けていく。

ちょっとやっかいな、お父さんやおじいさんのことも、おもしろがりながら彼女は書く。

父と一緒に食事をしたあと、私は必ずそれを一本要求する。すると彼は、楊枝(ようじ)を私の手に渡しながらこう言う。

「父さんにとってはほんっとーに大事なものだけど、娘だから一本くれてやろう」

私はふんと笑って済ます。父は毎日ユーモアを発動させる。彼のギャグはたいてい長くて、そのせいでいつも失敗する。起承転結があることが問題かもしれない。大爆笑で終わるよう、オチをしっかり準備してから話し始めるからだ。

朝日出版社『日刊イ・スラ 私たちのあいだの話』より

どんな奇妙さや困難さも、彼女が書けば、おかしくて笑ってしまう。そして、愛さずにはいられなくなってしまう。

「あなた大変だね」とか「かわいそうだね」とか、そういう嵐のごとく吹きつけれてきたであろう思い込みにまみれた言葉を、さらに強烈な逆回転の嵐を起こし、スラさんは文章でなぎ払っていく。

なんという強さだろう。

そして、この称賛は、わたしが今まで読者さんから言われてきた称賛でもある。


今までは褒められてもピンとこなかったけど、スラさんの文章を読んで「わたしが褒められた強さって、こういうことか……!」と初めて納得した。

生き方と作風は似ていても、スラさんの活動の幅は、わたしより遥かに広い。


彼女はメールマガジンで書き続けた文章を本にまとめるため、なんと、ひとりで出版社をつくった。

しかも、お母さんとお父さんも部下として雇ってしまった。


社長になったスラさんは、文章だけではなく、マンガも描きはじめた。

エッセイだけではなく、小説も書きはじめた。

小説を原作にしたドラマの脚本も書きはじめた。

書くだけでなく、舞台で歌をうたったり、ダンスをしたり、全身で感情を表現している。先日、自分をモデルにした3Dアニメーションも発表した。

自分が楽しみながら、読者も楽しめることを、スラさんはいつも考えている。

「ずっと“イ・スラ”っていう小さな主語のまま、こんな風にいろんな手段で、大きな感情を伝え続けることができるんだ……!」

そう思えた瞬間、急に勇気がわいてきた。

スラさんと友だちになりたいと思った。


わたしも“岸田奈美”っていう小さな主語のまま、大好きなインターネットで生き続けていきたい。その喜びも苦しみも、スラさんとなら、分かち合えるかもしれない。

同じ人がいないからこそ先の見えない未来も、隣にスラさんがいると思えば、心細さはマシになる。

同じ日本だと、あまりに近すぎて“嫉妬”とか“ライバル”とかになってしまいそうだけど、国も違って、言葉も違うから、素直に打ち明けられる。

生き方は近くて、住む場所は遠い。
だから心強い。

スラさんが今、何を見ているのか、何を考えているのか、まだ文章になっていないことを知りたくてたまらなかった。

本の編集者さんを通じて、思いきって、メールを書いた。

「あまりに一方的すぎたかしら……」ってちょっと後悔したけど、すぐ返事がきた。

『奈美さんが親しみを感じてくれた理由とよく似た理由で、わたしも親しみを感じました。奈美さんの文章を読みながら、まるでほかの人生を歩んでいる、自分自身を見ているようでした。奈美さんの思いに似合うように、わたしも歓迎と出会いで、お応えしたいと思っています。』


う、うれし〜〜〜〜〜〜!!!!!!!


っていうか、メールの文章がすてきすぎる。

どどどどどどうやって会おう!?

オンラインっていう手段もあったけど、即、わたしは韓国に飛ぶ航空券を調べた。

どんな町で書いてるんか、空気ごと味わいたい!
一緒に茶シバいた方が、仲良くなれる気がする!

スラさんに伝えると、


『なんと……!奈美さんがお越しになるというビッグニュース……!わたしは嬉しさのあまり、さっそく、お会いするのに良さそうな場所の下見に行ってまいりました!』


早くね!?

自分から行くって言っといてアレやけど、早くね!?

メールには、天井が高く、いろんな種類の椅子から尻にあうものを自由に選べそうな、最高のカフェの情報が添えてあった。

スラさんがついさっき、スキップ混じりに訪れ、ウキウキしながら調べてくれたような勢いがある。

スラさんのメールは、メールであるということを忘れそうだ。文章の隙間から、今まさに躍動しているスラさんの姿が目に浮かぶ。

ああ、すごいな。
この人は、書くことで、懐へ飛び込んでいける人だ。

書くのがエッセイでも、小説でも、手紙でも、メールでも、なんでも同じなんだ。書かれたものすべてにスラさんがいて、彼女の人生も、読み手の人生も、動き出さずにはいられなくなる。

そしてソウルで、再会としか思えない初対面を果たす!


『わたしたち、ほんっとうに似てますね!』

ソウルのカフェで初対面のわたしとスラさんは、自己紹介もそこそこに、いきなりトップスピードで話し込んだ。

わたしたち、もしかして双子だった……?

そして、会話の中で、核心にも触れた。

『わたしたちの文体は、家族に笑ってもらうために編み出したもので、それは生存戦略なのかも』

生きていくために無意識で身につけた力だ。それに気づいた時、じんわり感動した。

話していくうちに、ぜんぜん違うことも見えてきた。

韓国と日本の社会の違い、ひとりで書くこととチームで書くことの違い、noteとメールマガジンの違い……びっくりするほど興味深かったし、違うからこそ尊敬を抱いた。

話したあと、わたしは変わった


インターネットで書いて生きていくことは、楽しいけどいつも孤独で、どこか正解のない道を歩いているようだった。

でも、スラさんの生き方に共鳴した。

海を隔てた向こうで、同じように悩んで、それでも書かずにはいられない人がいる。作家という肩書の枠を押し広げるように、縦横無尽に活動している。

わたしはたまに「この道でいいんだろうか?」と立ち止まることがあったけど、スラさんと友だちになった今は「この道でどんなこともできるはず!」というワクワクで走り抜けていける。

人生をおもしろがること、書いて誰かに届けること、それを続けていたら、きっとわたしたちは大丈夫。そんな風にスラさんとは手を取り合えた。



というわけで、対談の連載をはじめます


スラさんとわたしが話したことは、ここにも載せていきます。

8話分もありますが、きっとあなたも「なんだかわからないけど、言葉の力で、なんとか明るく生きていく勇気」がわいてきちゃうのではと思います。

どうぞ、わたしたちにお付き合いください!

→対談『ネットで文章を売り歩くふたり』へつづく


 
コルク