【キナリ★マガジン更新】同じことが続きますように(しょうぶ学園訪問記)
鹿児島の障害者福祉施設・しょうぶ学園を見学したことは、きっとこれからのわたしを支え続けてくれると思うので、忘れないように書いています。
これが三作目でラストです。おまけ以外の本文は無料で全文公開しています。
▼ 前回は、いい人とは待てる人だと思ったこと。
陶芸の工房で、振り返った瞬間、わっと声が出た。
星、星、星!
棚のどの段にも、下の木箱にも、作業台の端にも、星がつみ重なっている。土の銀河だ。
作ったのは南 裕貴(みなみ ゆうき)さん。今日も星を、明日も星を。星を生み続けている。
別の部屋には、車がずらっと並ぶ。
一台できあがると、南さんは「できました」と職員さんに伝える。車には居場所がある。美しく整った列へと、南さんは大切に、大切に、車を置いてあげる。
その数、600台。
すべてが彼にとっての最高傑作です、と職員さんは言った。
『涙が出るまで心の中でも頭の中でも吐き出すぐらい。幸せです。』
南さんが展覧会のために書いた言葉に圧倒された。好きなものを、毎日、毎日、作る。衝動と創作と感動が、ひとりの体内で、爆発して回転を続けている。
しょうぶ学園には、彼のような人たちがたくさんいる。
工房をじっくり見ていると、他の人とは違う動きをしている、高齢の利用者さんがいた。
彼女は、土のかたまりを、餃子のようにまーるく、まーるく伸ばしている。なめらかな手つきに、ほう……と心奪われていると、突然、ベチャッ!とつぶして、土をバケツに戻してしまった。
「えっ?」
あんなにきれいな丸なのに。
惜しくないんか?
のばして、つぶしてを、延々と繰り返す。眺めているうちに、少しずつわけがわかってきた。
彼女にとっては、それが一番好きな作業なんだ。何年も、何十年も、続けられるほどに好きなんだ。
ノルマや指導はないので「自由にやってください」と言われて、利用者さんたちは、自由に同じものを作り続けている。
たまたまその形が得意なのかもしれないし、こだわりなのかもしれない。呼吸や儀式のように、やめられないことかもしれない。
理由は人によって違うだろうけど、その繰り返しがどれだけ心地いいことかは伝わってくる。
しょうぶ学園に流れる居心地のよさは、こうやってできてるのか。
工房で、あれっ、と思った。
「ここに職員さんはいないんですか?」
わたしがたずねると、
「ずっといますよ、あそこに」
と笑われた。
真剣な顔つきで、お皿に何かを塗り続けている人がいるなあとは思っていた。あまりに静かな熱中っぷりだったから、まさか職員さんだとは知らず、びっくりした。
工房では障害のある人もない人も、一緒にものづくりをする。没頭する姿は、障害の境界もわからなくする。
からからとヤスリの箱が回る音。ぺたぺたと土をこねる音。何かを作り続ける音だけが、静かに響いていた。
見学のあと、施設長の福森伸さんが、こんなことをおっしゃった。
「社会ではみんな“成長しろ”と“自立しろ”とか、あたりまえのように言うけど……成長って、なんでしょうね?」
福森さんから放たれる質問は、どれもドキッとする。思い込んでいた常識を、べろりと皮みたいにめくられるから。
「昨日の自分ではできなかったことが、できるようになること……でしょうか?」
福森さんは、うん、と優しくうなずいてから、眉を寄せた。
「それは“飽きる”ってことでもあると思うんです」
飽きる?
「昨日の自分に飽きてるだけ。なんで飽きるかっていうと、欲望があるからですよね」
「あ……」
わたしたちがスマホを見れば、ほしいものや、活躍する人たちが次々に現れる。それを手に入れたいから、成長しなくちゃと思う。
「それも外から入る情報っていう、欲望にさらされてるわけだから」
飽きるって、欲望なんだ。
そっか、そう考えることもできるのか!
数字を見て、前より伸びたかどうか。褒められたら、拍手が大きくなったかどうか。わたしはいつも変化を気にしてしまう。
守備範囲を広げて、スピードを上げて、研鑽、研鑽、研鑽……そうやって爆速で成長することが、自立することが、社会に居場所を得る条件だと信じてきた。
「成長しているかどうかなんて気にせず、飽きることもなく、毎日同じものを作り続けることが、どれだけすごいことか。ぼくにはとてもできないですよ」
利用者さんが変わらないことに、福森さんは深い尊敬のまなざしを向けていた。
「情報や選択肢が多いほうが幸せな人もいるけれど、少ないほうが幸せな人もたくさんいると思うんです。しょうぶ学園はそういう人たちの集まりですね」
「ここにいる人たちは何十年も同じ生活を続けています。外に出ないから、選択肢も少ないかもしれない。でも、自立してますよ」
自立。
自分で立つことって書くけど、しょうぶ学園で見たそれは、自分のリズムで息をすることに近い。体が楽になるほど気持ちのいい呼吸が、永遠に続けられる場所を、しょうぶ学園は守っている。
玄関先で「ジュワーッチ!」と声があがった。
利用者さんが福森さんに駆け寄って、呪文のような会話をしていた。あまりにスピーディで聞き取れないと思っていたら、ふたり同時にビョーンッ!と背伸びをした。
二人だけが知る、なにかの儀式みたい。
走っていく利用者さんを見送って、福森さんが笑った。
「これもね、もう30年以上おなじ会話してるんです」
「えっ、めっちゃ楽しそうで、そんな風には見えませんでした」
「飽きないんですよ。30年間、毎日、ほんのちょっとずつ違う。おなじ会話なのに、お互いの体調の変化にも気づいたりしてね」
繰り返すことでしか感じ取れない、微粒子のような違い。それが積み重なって、ようやく、相手のことがわかるのだ。
成長とは、別の場所へ行くことではなく、同じことの中で起きるわずかな違いに気づくことかもしれない。
しょうぶ学園を訪れてよかった。鹿児島を離れてからも、思い出さない日はない。
文章というものづくりをする作家としても、わたしは少しだけ変わった。
帰りの車の中で、編集者の佐渡島さんが言った。
「認められたいとか、好かれたいとか、そういう欲望は、人に無理をさせるよね」
「そうですね。無理しまくって、ヘトヘトになって、がんばったぞ!って安心したいのもありますし」
今は若いから、超短距離走を繰り返すような創作でもなんとかなっているけど、いつかは体力の限界がきてしまいそうだ。
「工房で土を丸く伸ばしては戻してたあの人みたいに、無理なく、何年も書き続けられるやり方を見つけられたらいいね」
「はい」
「その文章の中に、岸田さんがお母さんや弟くんに向けるような、誰かをケアするまなざしがスッと入って、その状態でずーっと書き続けられたら……」
「どうなるんですか?」
「20年後ぐらいに、すごい作家になると思うよ!」
なげーーーーーな!
1年先のことも予想できないのに、20年後を言われて、宇宙猫の顔になってしまった。でも不思議なことに、根拠なき励ましにも希望がわいてくる。
同じことを続けるのが、どれだけ尊いことか。自分の心地よさを諦めずに追い続ければ、どれだけ他人と助け合えるか。しょうぶ学園という先輩を見て、わたしも、あんな風になりたいと思った。将来の夢が“学園”になったのなんて初めてよ。
わたしは犬のお皿と、キリンのブローチを、買わずにはいられなかった。なんなんだろ、この愛おしさ。お芋さんを食べさせたい。
作品と社会をつなぐことは、職員さんの仕事だ。
工房で作られるものだけじゃなく、利用者さんのちょっとした日記やノートに出現する落書きにも「これいいかも!」を発見したらば、お皿に描いてもらったり、ポストカードにしたりする。
「いい作品がどんどん生まれていくんですけど、いわゆる、誰かが買ってくれる商品になるのは半分ぐらいですね」
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