【キナリ★マガジン更新】銀行で野望を語る

 

手続きは嫌いではないが、手続きに行くのが嫌いだ。

“すぐやらなければならないがアイデアがウンともスンともわいてこない”類の仕事を抱えて途方に暮れている時にこそ、手続きはおいしい。

氏名とか誕生日とか、目をつぶっても書けることで書類をゴリゴリと埋めているだけで、立派に仕事しとるんや感を味わえる。

世間ではそれを、逃避という。

しかし。

いざ書類を持って、役所だの銀行だのへ行く段階になると、話が変わってくる。

「ここの表記がまちがってます。訂正印を……えっ、印鑑持ってきてない?じゃ、出直してください。今日はもう店じまいなんで、来週に」

これよ、これこれ!

なにかしらの不備で突っぱねられることが、あまりに多い。

ほぼ半泣きで、窓口の職員にすがりつくが、けんもほろろである。高倉健もほろほろと涙を落とすほどの無慈悲がそこにある。

引っ越しなどで、いくつかの手続きが重なるときは地獄だ。

あれは順番が、ミソなのである。

「はいはい、会員証の更新ですね。顔写真つきの身分証明証を……あっ、はい、このカードね。これまだ前の住所になってるんで、役所で変更してもらえます?」

命じられ、役所へ行く。

「はい、住所変更しますね。……あらっ!これ、引っ越し三回もしてはるから、備考欄が満杯になってますね。カード再発行しますわ」

「どんぐらいかかります?」

「そうですね、いまやと二ヶ月ぐらいですか」

「二ヶ月!?」

顔写真つきの身分証明証は、これ以外にパスポートしか持ってないので、パスポートを引っ張り出したら、期限が事切れていた。

更新には戸籍謄本がいるのだが、事情があり、一ヶ月かけて郵送で取り寄せるか、5時間かけて島根県まで取りに行けという。

パスポートさえっ……先にっ……更新していれば……!
グウゥッ!

今から近所の自動車学校に入校し、免許証を取得するのが一番早く身分証明証をゲットできる状態になってしまった。クロサギで1話作ってもらえそうなバグ技である。

一度突っぱねられると無駄足になってしまうのが、よりつらい。

なにも成し遂げられなかった役所帰りに食う蕎麦は砂の味がする。

手続きの方法は調べられても、自分にとって正しい順番までは調べられない。

ゲーム『ゼルダの伝説』のサブクエストならば、村と村をおつかいで何度も行ったり来たりするのは、あんなにも楽しいのに!やりがいあるのに!

だれかアプリでもFlashでも、なんでもいいから『手続きの伝説』を開発してほしい。次に自分がやるべきことを、クエストにして叩き出してくれ。命令を……命令をください……分隊長……!

さて。

昨日も昨日とて、銀行へ手続きをしに行った。

口座を新しく開かにゃならんのだが、その日は午前中に実家で野暮用があって、銀行に到着するのが14時半になった。

15時の閉店をひかえた銀行の入り口には、たいてい、

「屈強かと言われたら首をひねるが、駆け込んでくる客だけは絶対に中へ入れない不屈の精神力を持っている、異常に腰が低くて素早い人間」

が、待ち構えている。

笑顔と物腰がとんでもなく柔らかなので一瞬「これ、入れてもらえるんじゃね?」と思うが「ええ、ええ、あいすいません」と説明されてるうちに、いつの間にかシャッターの外へと締め出されているのだ。文句ひとつ、ぼやかせる暇も与えず。

そういう古武術の達人みたいな人間が、どの銀行でも一人は雇われている。

ちょっと訓練を積めば、相手に気づかれないまま背骨を折るぐらいの能力は習得できる逸材だと、わたしは常々にらんでいる。

わたしは走った。

そして、ギリギリにすべりこんだ。

番号札の発券をすませると、ソッと、例の案内役が近づいてきた。

「本日、たいへん混み合っておりまして、あと13人はお待ちいただいてますから、ご案内まで1時間半はかかってしまうかと……」

1時間半。わたしは唾を飲んだ。

「外のカフェで待ってても?」

「申し訳ありませんが15時でシャッターが閉まりますので、中でお待ちいただかないと」

どうしよう。

ちょっと悩んだが、どうしても今日、手続きを終えたい。

わたしは覚悟を決め、待合ロビーへ向かった。

その時である。

「ええっ!1時間半ッ!?」


銀行中に響き渡る声だった。

振り返ると、わたしのすぐ後に番号札をとった老婆が、素っ頓狂な声をあげていた。

百貨店の一階で売ってそうな、絶対にバーゲン価格にならないであろう帽子をかぶり、淡いピンク色の杖を携えた、上品そうな風格のどこからそんな声が出るのか。意外だった。

「1時間半は、かなわんわァ……このあと、雨でしょ?サッとやってサッと帰ろうおもてたから、傘持ってこんかったのに」

考えてることが全部、口に出るタイプの老婆である。

「1時間半って……どないしよォ……」

ぶつくさ言いながら、わたしのとなりの席に座る。

銀行中の視線が、わたしの近くに集まってるのがわかる。離れて座ってくれよな。

しかし、このあと、不思議なことが起きた。

「532番でお待ちのお客様」

ん?

アナウンスに、わたしは読んでいた本から目を離した。わたしの手元にあるのは、534番の番号札。もう次だ。

まだ、15分しか経ってない。

どういうことだ。

1時間半はかかるんじゃなかったのか。

時空が歪んだのかと思った。

わたしより前に待っていたはずの13人の客が、ほとんど、いなかった。

そうか。

帰ったのだ。

ずいぶん待っているなとは薄々感じていた客たちが、老婆の「一時間半ッ!?」という叫びに気圧され「そんなにかかるんやったら帰ろか……」と迷いはじめた頃に「このあと、雨でしょ?」で背中を押されたのだろう。

有史以来、人類にとって、濡らすと死にたくなるものの一位がベランダに干した布団である。僅差で二位が靴下。

おかげで、爆発的に順番が繰り上がった。

「あらまあ。なんや、早いやないの……」

老婆が、はんなりつぶやいた。微笑んでいた。

頭の中で、ライアーゲームの音楽が鳴り響く。これが京都という街である。油断したらやられるのだ。

結局、20分も待てば、わたしの番になった。

ドキドキしたが、持ってきた書類で事足りた。よかった。

担当してくれたのが、もぎたてフレッシュな気配のあるお姉さんだったので、たまに「あれっ、この書類は……いやっ……大丈夫です!失礼しました!」と、背筋がゾクッとするフェイントが入るものの、一生懸命にやってくださるので気持ちがいい。

「岸田さん、関西学院大学の学生さんとなってますが」

「うわっ。それもうずいぶん前の情報ですわ」

「そうですよね!では、いまの勤務先を……」

「フリーランスです」

「なるほど」

お姉さんが、蛍光ペンで書類にピッと線を引く。

「野望は?」

野望。


予想していなかった問いかけに、脳が一瞬、凍結する。


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