【キナリ★マガジン更新】【内書評】田舎で米をつくるとかいうホラ話

 

2023年3月7日、WEBサイト『好書好日』に寄稿した連載『大好きだった』から、note用に大幅改稿のち掲載しています。

内書評(ないしょひょう)では、岸田奈美が岸田奈美のために、好きな作品の内緒にしていた好きなところを、誤読を恐れず好きなだけ言葉にします。


なんやねん。

なんでいま、送ってくるねん。

かんべんしてや。

そう思った。

中学二年生の夏、包みが届いた。

中身は映画のDVDで。

父が亡くなってから、すぐのことで。

映画なんか観れるわけないやろ、と。

送り主は、父の古い友人。

といわれましても、顔がわからん。

葬式のことをほぼ覚えてない。

思い出したくもない。

それまで泣かずにシャンとしてた母が、喪主のあいさつで立つと、糸が切れたように泣き崩れた。わたしは、母の喪服の裾を握りしめていた。

包みは、ほったらかしにするしかなく。

母が代わりに、お礼状を書いた。

わたしは父の声を忘れた。

顔を忘れた。

喜びも悲しみも忘れることが、生活を停止させないコツだ。

考えたらもう、生きてられなくなるので。

いま、わたしの頭のなかには。

強烈すぎて忘れられなかった、記憶の精鋭たちが残ってる。

父が吹いたホラ話、とか。

どういうホラかってーと、

神戸の六甲山を車で抜けて帰ってくるなり「キタキツネがおったぞォ!」と大騒ぎして、家族を叩き起こし。

風呂で追い焚きすると「足が溶けたァ!」と絶叫して沈んでいき。

あたふたする母と、びっくり泣きするわたしを指さしてゲラゲラと笑う父など。

ろくでもねえ!

群を抜いて、ろくでもねえホラ話を、ここでひとつ。

あれは、わたしが中学校にあがったときのこと。

顔をあわせるたびに父は言う。

「良太が小学校を卒業したら、俺と一緒に田舎へ引っ込むんや!ほんで、うまい米をつくって、売りまくりながら暮らすんや!」

は?

良太とは、4つ下のわたしの弟だ。

父は不動産会社を辞め、いきなり大工に弟子入りし、リノベーション会社を必死のパッチで立ち上げたところだった。

米づくりなど、寝耳にウォーターにも程がある。人生という線路に置き石でもされたかのような岐路。

「もう田んぼのあてはあるし、米づくりも学んどる!」

この世で一番恐ろしいのは、稲川淳二が語る怪談よりも、稼ぎ頭が語る根拠なき夢物語ではないか。母は台所でガシャーン!と皿を落っことした。

「いや、わたしはどうしたらええの?」

「知るか!お前は都会でもどこへでも、好きにやっとれ!」

は??????

大ゲンカになったが、父のことがそれなりに好きだったわたしは、仲間はずれにされたみたいで、ちょっと悲しかった。

翌日、わたしは弟の宝物であるレゴブロックをタンスの裏にばらまいて、弟を泣かせた。

この米づくり宣言は、一度で終わることなく。

二度、三度と。

しつけーのなんのって。

しまいにゃわたしもイヤになって、部屋でスンスン泣いた。母がやっと父をしばいてくれた。

弟が小学校を卒業するのを待たずして、父は心筋梗塞で急死した。

米作りの夢は、灰とともに火葬場の煙突から散ったのだった。

ここからが、このホラ話最大の謎である。

父には、田んぼのあてなどなかった。

米作りも学んでなかった。

挙げ句の果てに、弟は土に触るのが大嫌いだということも判明した。

一から百まで、父のひどいホラ話だったのだ。

ほんまにもう、ね、わけがわからんよ。

わたしが、アホみたいである。

ずっと傷ついてたし。

うっかり謎が解けたのは、さらに三年後のこと。

部屋の掃除をしていて、あの包みを見つけた。

映画のDVDだ。

ああ、こんなのもらったっけな。

捨てるのもなんだし、デッキに押し込んでみる。

『ビッグ・フィッシュ』が再生された。

ティム・バートン監督の。

ホラ話ばかりする父・エドワードと、最初はホラ話をワクワクして聞いてたけど、成長するにつれてうんざりする息子・ウィルの話だ。

おいおい。

身に覚えがありすぎやせんか?

病気で死期が近づくエドワードの看病のため、数年ぶりに会話しようとするウィルだが、それでも聞かされるのはホラ話ばかり。

「沼地に住む魔女に未来を見せてもらった」

「巨人と旅をした」

「なかなか捕まえられない大魚を、結婚指輪をエサにして釣り上げた」

ホラ話ばーーーーーっか!

ふざけてんのかと!お前もう死ぬんやぞと!

エドワードが語る話の真実が気になりはじめ、ウィルは彼の人生を辿ろうとする。

フタを開けてみれば、すべて、真実にもとづいて、盛りに盛られたホラ話だったのだ。

ホラ話にした理由は、こうだ。

エドワードは、家族や友人を楽しませたかった。楽しませながら、自分が傷ついたこと、愛したこと、人生で得られたものを伝えたかった。

エドワードの古い友人である医師は、ウィルに白状する。

「本当の話はつまらんだろう。きみのお父さんの話のほうがおもしろいと思う。わたしの好みだけどね」

ウィルはこう返す。

「先生の話もいい」

物語は語られる人によって、聞く人によって、形を変える。語られた数だけ、わかることがある。事実とは違ったとしても、違うということ自体に、真実は隠れている。

観終わったあとのわたしは、

なんや難しい映画やな

と文句タラタラだったが、涙が止まらなかった。

包みには、手紙が同封されていた。

『これを奈美さんに。お父さんは、本当にすてきな人でした』

弟には生まれつき、ダウン症で知的障害があった。優しくておもしろいヤツで、なにも考えずに仲よく遊んでいたけど、父はこう思ったのかもしれない。

奈美よ。

家族のしがらみなど心配せず、広い世界へ出ていって、好きなことをしなさい。

とかって。ちゃうか。

『ビッグ・フィッシュ』のポスターには、一面に敷き詰められたスイセンの花畑のなかで、エドワードが最愛の妻を見つめている。空想の花畑と、実在の愛は、どちらも眩しく美しい。

あるはずもない黄金色に輝く米の稲穂に囲まれ、手を振る父と弟の姿が見える。見えてたまるか、と叫び返すわたしの姿も見える。

……ような気がする。


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