【キナリ★マガジン更新】姉のはなむけ(姉のはなむけ日記)
グループホーム入居を目指し、ダバダバと奮闘する姉と弟の記録。前回のお話はこちら。
始まりのお話はこちら。
季節が変わった。
朝、目が冷めた瞬間、汗ばんでいないことに気づいた。あんまり暑くない。これはもしや雨じゃないか。ゾッとしたが、ベランダからは明るい光が差し込んでいた。
秋が先っちょだけやってきたのだ。ことの始まりは春だったのに、なんという信じられない早さ。
ついにこの日がやってきた。
送迎車の納車だ!
グループホームに送迎車がなくて弟が入居できない、というシンプルなお題であったはずが、なぜか看板を作り、電話口で泣き、警察を呼ばれ、脱走劇を繰り広げることになるとは。
誰が想像できただろうか。
なにもかもが破綻する紆余曲折っぷりであるが「車良ければすべてよし」の気持ちでお送りしていく。
わたしより遅く寝ていたはずの弟が、わたしより早く起きていて、リビングで朝ごはんを食べていた。
「おっ!なみちゃん、おあよー」
朝ごはんはチャーハンだった。納車への期待が感じられる。
母、弟、わたしの三人で、兵庫日産になだれ込んだ。お馴染み、サザエさんのエンディングテーマのフォーメーションで。
「わーあ、ども、ひさひさぶりです!」
だれより早く気づいて、直角にお辞儀をペコリーヌしたのは弟だった。
「あっ」
ニッシン自動車工業関西の山本社長と、Loopの馬〆社長だった。送迎車を探しまわり、手を尽くして1台のセレナを確保してくれた恩人コンビ。
「馬〆さん、わざわざ別府からきてくれたんですか……!」
「そりゃもう。思い入れがはんぱない車なんで、見届けたくて」
馬〆社長は、別府からセレナが輸送されるときから、涙がこみあげてきたらしい。我が子を送り出す気持ちだったとか。
「それはもう、ありがとうございます」
「いやいや。前入りして、中華街で山本くんご馳走してもらったんで」
神戸には中華街がある。よかった、ちゃんと観光も楽しんでくれたんか。
「エビチリ、パッサパサでしたけども」
「えっ」
「春巻き、具が入ってませんでしたけども」
よりにもよって、とんでもない店を掴まされていた。山本社長が大笑いしている。行ったことのない店だったみたいだ。
「それは……なんか……わが神戸がすみません……」
「大丈夫です、今日の夕飯でリベンジするんで」
「よかった。どこ行くんですか?」
「王将」
うまいけども。うまいけども。弟が王将というワードにだけ反応して、目を輝かせて「ぼくは、このくらいのチャーハン、すきです」と両手でチャーハンの大きさを表現していた。
週末の兵庫日産は大盛況だった。
しばらくして「セレナ、到着しました!」と呼ばれた。ファンファーレのような響きだった。
外に出ると、目もくらみそうなほど、燦然と輝く白いボディ。
三ヶ月ぶりのセレナだ。
別府からやってきたセレナだ。道中、さみしくなかったかい。ガソリンいっぱい食べさせてもらったかい。思わず抱きつきたくなる。
それらの気持ちをすべてまとめて、拍手を送る。車を最高神とみなす独特の信仰のようだ。
初めて実物を見た母は「キャーッ!すごいすごい!」と大興奮していた。弟が得意気に母をなだめていた。
「これな、ここ、マクドのやつ」
弟が乗り込んで、大のお気に入りポイントであるテーブルを披露した。勝手知ったる我が家か。
弟がハンバーガーとコーラを食らう姿が目に浮かぶ。
住めそうなほど広い車内。足元のセンサーで自動的に開くドア。液晶モニターに早変わりするフロントミラー。わたしが一人暮らしのときに使っていたやつよりデカいテレビ。
母が目を丸くしながら、わたしに聞いた。
「このセレナって、土日とかは借してもらえるんかな」
アンタが乗る気満々でどないするんや。
「いや……これ、手で運転できるやつじゃないし」
わたしは運転免許を持っていないので、乗せてあげられない。
「やりましょうか?」
山本社長がニュッと近づいてきた。ありとあらゆる仕事が早すぎるので、やりかねない。
先日『探偵!ナイトスクープ』に出演したばかりの山本社長。右半身がマヒしてしまった人が車を運転できるように二日以内で改造してほしいという依頼に答えたらしい。どうかしている。
来週からはフェラーリを手だけで運転できるように改造するらしい。どうかしている。
どうかしているほど面倒見の良いお二人と、日産のみなさんのおかげで、夢の送迎車がやってきた。
しかし時刻は11時。今日というハレの日はまだまだ終わらない。
セレナの新しいお家、グループホームへ向けて出発だ。
わたしはセレナの助手席に乗り込む。ゆっくりと発進すると、後ろからすすり泣きが聞こえた。
弟が泣いていた。
そういうフリかと思ったが、しゃくりあげて、本当に泣いていた。びっくりして、わたしはわかりやすく焦った。
「どうしたん?」
弟は首を振っている。泣きすぎていて、声にならない。
そんなに嬉しかったのか。
わたしも、熱い感動が胸にこみ上げてくる。くちびるが震える。弟は嬉し泣きなどしたことがない。弟に喜んでもらえて、姉は冥利に尽きる。
「……しい」
「そうか、そうか。うれしいんか」
「ほしい」
「ん?」
「はっちにも、ほしい」
はっちというのは、弟が通っている福祉作業所の名前だ。まさか。
「セレナを、もう一台、はっちに買ってほしいってこと?」
弟は首がもげてまうんちゃうかと思うほど、盛大にうなずいた。
まさかの……セレナおかわり泣き……。
さすがの姉もどう反応していいのかわからない。セレナのおかわりが欲しくて泣いてる人間に対峙したことがない。強欲の壺を家族表示で召喚、ターンエンド。
「なんではっちにほしいん?」
「みんなと、のる」
「みんなと乗って、どこ行くん?」
「マクド」
マクドナルド直通シャトルバスの野望。そんなものを作ろうとしていたとは。ますます、どうしたらいいかわからない。弟の夢が姉の手に余りすぎる。
セレナのおかげで、運転手さんや、グループホームのみんなと一緒に出かけることができて、嬉しい。嬉しいから、はっちのみんなにも、わけてあげたい。
そういう弟の気持ちがあふれて、泣いているのだ。
「良太くん!」
山本社長と馬〆社長が、なかなか出発しないセレナを心配して窓からのぞき込んでいた。
しまった。
「そんなに喜んでくれて……むちゃくちゃ嬉しい!ありがとう!」
山本社長がうるんだ目で、弟の手を強く握った。
おかわり泣きだとはとても明かせず、胸が痛い。
山本社長のおかげで、結果的に弟は落ち着いた。弟も「これはあかん」と察したのかもしれない。
セレナおかわりは、また今度な。
グループホームに到着すると、中谷のとっつぁんと、奥さんが待ち構えていてくれた。
・「姉のはなむけ日記」の後半は、キナリ★マガジン(月額1,000円)の購読者さんのみが読めます。
・購読料はすべて弟が入居予定のグループホーム(送迎車の購入費、支援員の人件費など500万円程度)に充てます。
・連載期間中に一度でも購読すると、数ヶ月後にこの連載をまとめた書籍(約200p)が無料で届きます。記事最下部のフォームからお申し込みください。
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2022/9/1