【キナリ★マガジン更新】スポーツ音痴のわたしが、パラリンピックでアレするまで(後編)
9月5日、パラリンピックの最終日であり、わたしの出演の最終日。
あれよあれよと怒涛で勝ち進み、決勝を迎えた男子車いすバスケットボールの試合は素晴らしかった。
相手はあのアメリカだ。バスケといえばアメリカだなんて、スポーツ音痴のわたしでもよくわかる。あちらさんの選手が入場したときから、もう、ガタイの良さが中継カメラ越しに圧倒してくる。
そのアメリカ相手に、金メダルへ手をかけながら互角に戦った。2012年のロンドン大会も、2016年のリオ大会も、9位で予選落ちをした日本のチームが。ここまで勝ち進んだだけでも、スーパーウルトラジャイアント・キリング。
解説の根木慎志さんが、どんだけ尺がカツカツになろうとも
「ベリーハードワーク!彼らが目指したのはベリーハードワークですから!ベリーハードワークで強くなったんです!」
と拳を握りながら繰り返していた。
ベリーハードワークが情緒のすべてをねじ伏せている。スティーブ・ジョブスの顔が頭をよぎったが、あれは確かステイフーリッシュだ。あぶねえ。とつぜんの自己啓発。
あまりにも、いろんな報道で当たり前のように「さすがのベリーハードワーク!」と言われているので、今さら知らないとは言えず、知ったかぶりをしながら内心、冷や汗をかいて調べたところ
「試合が終わるまで走りまくり、ボールの競り合いも絶対に負けず、ボールを取られたら執念で取り返しに行く」
というプレースタイルだった。
要は「めっちゃ頑張る」。
単純にベリーハードすぎる。思えばわたしの9年余りの会社員生活もベリーハードワークだったのだ。いつも終電に間に合わず、東梅田のあたりを酔っ払いとゲロを巧みに避けながら駆け、むくんだ四肢をねじこみ座席は譲らなかった。
言うのは簡単だが、行うのは地獄のような苦しさだ。見ているこっちが息切れしそうな中で放たれるたったひとつのシュート、ひとつのゴールが、こんなに遠いとは。
選手のみなさんがベリーハードワークの境地にたどりつくまでには、どんな日々があったんだろうと、僅差を競り合う試合を見つめながら、思いを馳せる。
6年前。
会社員だったわたしは、障害のある社員も楽しめるレクリエーションを考えてほしいと言われて、車いすを使った運動会を企画した。
車いすメーカーが喜んで協力してくれ、障害のある社員もコーチを務めてくれるということで張り切っていた。
しかし、残すところ会場の確保だけというところで、つまずいた。
「車いすですか……床に傷がつくといけないので、許可できません」
安く借りられる市営の体育館に連絡すると、軒並み断られてしまった。
「えっ……でも、車いす用の駐車場もトイレもあるじゃないですか」
「観客として来たり、スポーツするときは歩く人はいますけどねえ」
「コーティングしてるなら、タイヤ跡や傷がついても、すぐモップで磨けば……あっ、養生シートとか使ってもだめですか?卒業式とかで敷くやつ!」
「はあ……。すみませんけど、そういう決まりなんで」
聞く耳を持ってくれなかったのだ。
悔しいけど、自治体が運営しているのなら、お硬いのも仕方ないかもしれない。気を取り直して、有名な企業が運営している私営の体育館に電話をした。
「そういうのは、自治体が運営されている方に問い合わせてみてください。ほら、大阪の舞洲の方に、障害のある人専用の体育館がありますよね」
使用の申し出すら意外だったのか、若干の困惑をされながら、断られた。
舞洲かあ、あそこ結構遠いんだよな、と思いつつ背に腹は変えられない。障害者スポーツセンターと銘打たれたそこへ予約の電話をすると、なんと、体育館は4ヶ月待ちの大人気で、しかも抽選だった。
体育館だけではない。
知的障害のあるわたしの弟は、子どものころから水泳が好きで、健康診断でも運動をせなヤバいと言われてから通おうとしたのだが、わたしが付き添わずに利用できるスイミングスクールを探すのが大変だった。
弟はバタフライで2キロくらいは泳げるのだが、一般のジムやスクールからは「なにかあったら責任がとれないから」と断られ、障害者用のプールからは「介助者が一緒に入水しないと利用できません」と断られ、外出支援の福祉サービスからは「余暇としてごくたまに行くなら支援できますが、国の決まりで、毎週の習い事には付き添えません」と断られた。
何ヶ月も断られ続け、新品の水着とゴーグルを抱えながら「まだ?まだ?」とウキウキしながら聞いてくる弟の姿に心折れそうになったところ、歩いて通えるジムのとあるコーチが「前例はありませんがぜひ!」と受け入れてくれた。それは幸運だったが、マンツーマンのレッスンでしか対応ができないので、一ヶ月数万円の料金をわたしがギリギリ払えるのも幸運だった。
全国にスポーツ施設は19万箇所ある。
そのうち、障害者が優先的に使えるのは139ヶ所。人口の7%は障害者だというのに、彼らが使えるスポーツ施設は0.7%しかないとは。
(優先的に使えなくてもいいじゃんと思われるかもしれないが、これは調査の設定上そういう項目になってるので、実際は優先的に使えない=規則がなく現場で都度判断するので障害者が使うのは難しいことが多い)
パラリンピックに出場する元日本代表レベルともなれば、問題なく体育館などを使っていると信じたいけど、「障害を理由にスポーツ施設の利用を断られた経験、条件付きで認められた経験があるか?」というアンケートに「ある」と答えたパラリンピアンは21.6%にのぼっている。5人に1人は、パラリンピアンですら、断られているのだ。
ちなみに、ドイツはパラスポーツが社会保障の一部に組み込まれていたり、アメリカは怪我をして退役した軍人のためのスポーツ施設が豊富だったりするので、環境や意識の壁は日本よりずっと低いと思う。
身体に障害があるのに、スポーツでスーパープレイをしてるのがすごいんじゃない。
社会にある環境や意識の障害に、ぶちあたってもなお、スポーツでスーパープレイをしているのがとてつもなくすごいのだ。
そう思うと、あのバスケットボールの広くて狭いコートのなかに、12名もの個性豊かで強い選手たちが揃い、世界で戦うには、どれだけの幸運と努力が彼らの後押しをしただろうと思う。
「この舞台に立てたことを、まずはお礼を言いたい」
オリンピックに比べると、パラリンピックの方が、競技後の突撃インタビューで開口一番こう発言するのが多かった。謙遜ではないとわたしは思う。障害のある人がスポーツの努力をするには、運と他人の協力の影響が大きすぎる。
だからといって、それが不幸、ってわけじゃないと思うのだ。わたしは母と弟に障害があることで、父がいないことで、壁は増えたし、それで何度も泣いては怒った。だけど、その過程でたくさんの人と出会い、成長をした。
この壁がなければ、岸田一家ファイヤー!のハッピーな物語は存在しない。
そこまでして、障害者がスポーツなんてしなくていいじゃん、という声もあると思う。
どっちかっていうと、そこまでしてスポーツなんてしたくない派なんだ、わたしも。不要不急なスポーツなんて、パラリンピックなんて、しなくたって、死にゃしないし。
でも、スポーツがあるから、学校へ行こうと思える。スポーツがあるから、働いてお金を稼ごうと思える。そんな人たちがたくさんいる。このどうしようもない世の中で、幸せでありたいと願っている。
不要不急だからこそ、心が死にそうになったときの居場所になり、生きるために必要ななにかを頑張る理由になる。スポーツなんてしなくたって死にゃしないが、スポーツがなくっちゃ生きてて頑張れない。
そういう人の気持ちは、愛しいほどにわかる。
わたしは、書くということができているから、読んでくれる人たちがいるから、こんなにもあかんすぎる毎日を、生きてきてよかったと笑える。
そんなわたしの愛があふれ出した結果、惜しくも4点差で男子車いすバスケットボールの日本代表が4点差で破れ、武井壮さんと根木慎志さんがそろって漢泣きするスタジオで、
「涙腺がゆるんだいま、財布の紐も緩めていきましょう」
とコメントした。
「障害のある人たちがスポーツをできる環境が多いとは言えない。次世代につなげるため、この選手たちの活躍を見守るためにも、試合を観に行ったり、手伝ったり、今はなにもできなければ協会への寄付やサポートを!」
実際、プロ野球やJリーグに比べるとずっと興行収入が少ないパラスポーツ団体の多くは賛助会員を募っている。(まとめはこちら)
NHKの中継で、お金の話をした。だれかがだれかを応援したいと思うときの、身を削ってでも渡したいと思う、心の形にも似たそのお金に何度も助けられてきたからだ。わたしが見つけたひとつの愛は、そんなお金だ。
怒られるかと思ったけど、怒られなかった。ツイッターでは当然、何人かから「下品だ」「感動が台無し」と苦虫噛み潰しリプライをいただいたけど。泣く子も黙る、最終日なもんで。
幸せとは、なにか。
スポーツとは、なにか。
思いもがけず、数え切れないほどのことを教えてもらったパラリンピックの仕事だった。
最後に、NHKのみなさんを讃えて、お礼を伝えたい。
パラリンピックにおいてあれほどの密度の取材や、時間をいっぱいいっぱい使った中継は、NHKしか成し得なかったと思う。
障害やパラスポーツについてなにも知らない人向けには、アニメーションや解説タイムをわざわざ作ってでもわかりやすく説明し、その一方で、「障害者がスポーツ=感動」という単純な枠に当てはめず、競技のかっこよさを複数のVTR引き出したり、超絶におもしろくて熱のこもった解説の人をアサインしたり、選手たちに密着し続けた膨大な記録を丁寧に見せたりしていた。
NHKの中継をまじまじと見て、パラスポーツってこんなにおもしろいのか、こんな選手が日本にいたのか、と気づいた人は多いと思う。その気づきは、関係者たちが何年、何十年、喉から手が出るほど求めてきたものか。
わたしは最終日まで、アナウンサーの中野淳さんとご一緒していたのだけど、中野さんはいっときも気の抜けない中継に出演しながら、なんと毎日深夜までかかって構成や原稿を自分で仕上げていた。
車いすバスケットボールの中継の途中、スタジオで「今は健常者も障害者も一緒にプレイできる車いすバスケットボールのチームが立ち上がっている」というさらっとした説明と写真があったのだが、あれは最初から台本にあったわけではない。中野さんが自分で取材し、関係者に電話をしてあたって、素材を集めて、ギリギリでねじ込んだのだ。
もうそれは放送作家かディレクターではないのか、と驚いてしまったのだが、中野さんにとっては、何年も追い続けて、関係性を築いてきたパラスポーツへの愛が、四年に一度の祭典で爆発しただけのこと。
不夜城とされている、新国立競技場のすぐ近くのホテルを要塞のように改造した臨時放送局で、中野さんの先輩であるアナウンサーの山田賢治さんにもお会いした。
山田さんたちはこの日を迎えるずっと前から、ハートネットTVという番組を担当していた。
このハートネットTVは、とても民法では放送できないような企画だ。福祉の社会課題に深く切り込み、当事者に取材を重ねて、本当の声を引き出している。
きれいごとだけでは済まされない、障害者の現実も、絶望も希望も。そもそもコミュニケーションをとり、信頼関係を築くことが難しい障害者も多いのに、10年も色褪せないまま、密度だけが濃くなり、放送は続いている。こんなことをやってきたのがNHKであり、スタッフのみなさんなのだ。
演出に携わった方々だけではなく、技術や調整の方々も、だれもが「こんな大規模なこと、初めてやるんです」と言いながら、ずっと不夜城にこもりきりで中継に奔走されていた。
一朝一夕ではない。今まで積み重ねてきた誇り、伝えきれず変えられなかった悔しさ、投じられた莫大な労力と財力が、今回のパラリンピックの良い波紋を日本中に広げた。
ならば、役目をひとつ終えたわたしがやることはひとつ。
これからも全力で受信料を払おうな。
以下、キナリ★マガジン読者さん向けのおまけ。
「男子サッカーのほうが、女子サッカーよりもおもしろい」
なでしこジャパンという言葉が生まれる前、そういう声をよく聞いた。それはひどいなと思ったので、人前で口にするなどもってのほかだったが、心の底ではたぶん、わたしもそう感じていたときがあった。
—————
▼記事の続きはこちら
https://note.kishidanami.com/n/n98b19fd006b5
▼キナリ★マガジンとは
noteの有料定期購読マガジン「キナリ★マガジン」をはじめました。月額1000円で岸田奈美の描き下ろし限定エッセイを、月3本読むことができます。大部分は無料ですが、なんてことないおまけ文章はマガジン限定で読めます。