【キナリ★マガジン更新】夕暮れの大脱走(姉のはなむけ日記)
グループホーム入居を目指し、ダバダバと奮闘する姉と弟の記録。前回のお話はこちら。
始まりのお話はこちら。
三週目のグループホーム体験入居が、はじまる。
週末、いったん実家へ帰ってきた弟が、ふらつきながら部屋を出てきた。足がもつれている。とはいえ、どう見てもわざとなので、もつれるというか、小粋なステップを踏んでいる。
「ちょっと、なんかぼく、しんどいねん」
「しんどいん?」
「ねつあるねん」
「マジか。体温計はかったるわ!」
「いいねん、いいねん」
弟は、小粋なステップでわたしの横をすり抜けていく。テレビ台の小さな引き出しから、薬の箱を取り出した。
「くすり、のむねん」
箱に入った錠剤をぽろぽろと手のひらで受けて、お茶と一緒に飲み込む。すこし間があって、弟がハアーッと重いため息をつく。
「しんどいねん、ねつが。やすみます」
そうか。しんどいのか。
その薬はビオフェルミン(整腸剤)やけどな。脇に体温計を挟んでみたが、平熱だった。
一連の行動が、母には覚えがあった。
何年か前、福祉作業所にちょうど通いはじめたとき、弟はこうなった。つまりは仮病なのだ。
そのときは
「お昼ごはんのおみそ汁で、大やけどさせられたから、やすみます」
と弟が言っていた。
福祉作業所のスタッフさんに裏を取ってみると、昼食に味噌汁はついていないらしく困惑していた。
「熱があるなら、病院に行こか?」
母が言うと、弟はしぶしぶといった様子で、グループホームに戻っていった。ボストンバッグに着替えを詰めるのに、ゆっくりのっそり、二時間くらいかけていた。牛歩戦術。どれだけ、行きたくないのか。
グループホームへ泊まってる間、あれだけ早く寝なさいと言ったのに、弟はまた深夜二時になるたびに、電話をかけてきた。廊下に響かないよう、小声で。
「つぎ、なみちゃん、いつかなあ?」
「また週末、良太が家に帰ってくるタイミングで、わたしも戻るよ」
「あのーう、ぼく、カラオケ、いいですか」
「ええよ」
しばらく週末は、弟の接待をすると決めていた。慣れない環境で頑張っているのだ。なんぼでも、歌ったらええのだ。
しかし、次の日も、その次の日も、まったく同じ電話がかかってきた。
「カラオケ、いいですか」
さすがにわたしも、これはいかんと思ったので
「ええけど、もう夜中に電話したらあかんで。わたしも寝てるから」
と、あらためて叱った。
「あー……そうですか、ごめん、なみちゃん。ごめんなさいね」
電話の向こうで、弟が何秒か黙ったあと、小さく苦笑いしていた。
何事もなく、週末がやってきた。
わたしは今晩にも京都から神戸へ戻るための荷づくりをしていた。弟は今ごろ、福祉作業所の仕事が終わって、バスで実家へ帰っているだろう。
さて、そろそろタクシーを呼ぼうかと腰を上げた、矢先。
母から着信。
「奈美ちゃん、もう家でた?」
「いまから出ようかと」
「あのな……」
母が一呼吸、黙った。
「良太の行方がわからんくなった」
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