自動車教習おかわり列伝-1日目「適性検査の神童」
車を一台、譲ってもらうことになった。
ドラマ「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」で使われた、1992年製の貴重なボルボ240だ。
撮影用に貸し出したオーナーさんのご厚意で、こんな機会はめったにないから、ベソかきながら頂戴した。
納車は初秋。
屋根つき駐車場も、はりきって契約した。
錦戸亮さんのごとく、大切な人をしこたま積み込み、真っ赤なボルボを西へ東へ、颯爽と走らせる人生の幕開けだ!
さて。
問題は、運転免許がないことである。
落ち着けー、落ち着けー。逆に言えば、免許以外は全部ある。
32年に渡る免許不所持の心残りを晴らす、いい機会じゃないか。
思い出せ、あの屈辱を。TSUTAYAのカードつくるのに、他の人はサッと免許証一枚で済むところ、保険証にくわえて電気料金の領収書などを耳そろえて出さねばならぬ、あの悔しさを。
電気代を払うこと自体がイヤなのに、領収書なんてポンポン取っとくわけないだろ!別れた男の手紙も燃やして生きてきたのに!
「学生のときに取っておけば、ラクだったのにねェ〜」
これもよく言われたさ。ああ言われたさ。
けども、考えようによっちゃ、取らないほうがよかった。新卒で入社したのができたてホヤホヤのベンチャー企業だったので、三日徹夜したあとで大阪から名古屋まで社用車を運転する仕事とか、ざらにあった。
あのとき免許なんか持ってたら、わたし、確実に名古屋南ジャンクションあたりで消し炭になるか、ぐるぐると回り続けてバターになってた。
免許を取らないことによって、命拾いしたのだ。
つまり、いま、このタイミングは。
天啓。
32歳、岸田奈美。
この夏、天啓にて、自動車免許を取得します。
そうと決まれば、さっそく入校である。
チャリをこぎこぎ、教習所へ発った。15分でつくはずが、45分かかった。教習所からは逆方向で見えるはずもない、京都民の心のお線香・京都タワーが眼前に現れたときは、迷いの森にでも入ったんかと思った。マスターソードを奪いに来るものを迷わせるという、あの。
もしや天啓的には……免許……取らせたくない……?
スマホのGoogleMapを使ったら、ちゃんと着いた。
セーフ、セーフ。天啓的には、ギリセーフ。
入校初日に待ち構えていたイベントは、適性検査だった。
自分がどれぐらい運転に向いているかを判断してくれるという。
組分け帽子が「フム……これはこれは……勇気もあって、態度もでかいときた……。決まりじゃな。第一種免許ォ!セルシオ!」
的な感じで叫んでくれるのかなと期待したが、ごく普通のペーパーテストだった。教習所にエンタメを期待してはいけない。
適性検査は、IQテストと心理テストを混ぜたようなやつだ。
運転の知識は問われない。試験じゃないから落ちることもない。ひたすら小さなマスにアルファベットを書き続けてイライラする作業や、パズルを正しく結びつける作業をさせられるらしい。
1問あたり数十秒で、時間がくれば強制終了というのがミソだ。一発勝負。回答は見返したり直したりできない。速く、正しく、落ち着いて、さばくことが求められる。
「試験ではないので、正直に、気楽にやってください。何度も言いますが、問題用紙には絶対、何も書かないように」
マークシートを配りながら、教官がしつこく説明した。
スピーカーから自動音声が流れる。
『これから適性検査を開始します。音声に従って、問題用紙を開いてください』
表紙をめくると、◯や●をいくつも重ねた記号が、ダーッと一面に並んでいる。どれも少しずつ、角度や色が違う。
『第1問。見本とまったく同じ模様をできるだけ多くみつけて、マークシートに記入してください。』
バッ!
全員が、いっせいに解きはじめる。懐かしい。受験のときこんな感じだった。なまっていた闘志がわきあがる。
負けてられっかよ!
「……えっ」
正解らしき模様に、うすーく、鉛筆で、印がつけてあった。
状況を理解するまで、数秒かかった。
この問題用紙、使い回しなのか。
つまり、前に試験を受けたやつの仕業である。アホめ。問題用紙になんも書いちゃいけねえって、あんなに注意されてたべ!退学じゃ、退学!
取り替えてもらおうと思ったが、教官がいない。どっか行った。えっ、えっ。
『残り30秒です』
ワーッ!
どうしよう!迷ってる暇はない。とにかく同じ模様を探して、マークしていく。探そうという気概だけはあるが、アホが盛大にネタバレをやらかしてるせいで、どうやっても目が行く。探す間などない。
半分以上、ネタバレで助けられてるので、アホが解ききれなかった箇所にも余裕で手をつけられる。ああ。
第2問も、第3問も、第4問も、ぜんぶ。
鉛筆で印がつけてある。
試されるべきわたしの適正を、アホのネタバレが余裕で追い越していく。
全教習生の中で、わたしがダントツ、とんでもないスピードで問題を解いていってることがわかる。感覚でわかる。鉛筆を走らせる音からしてもう、違うもん。
間違い探しみたいな正誤問題も、堂々と間違いに印がつけてあるから、一瞬で終わってしまう。みんなが必死でカリカリやってる中、余裕で鉛筆を置く。
これ、むちゃくちゃ頭のいい人に思われてんじゃないか。
ちがうよ、ちがう。これはわたしの実力じゃないのよ。佐為が憑依してるヒカルみたいなもんなの。ヒカルの誤!
冷や汗をかきながら進めていくと、問題が『5種類の中から、好きな絵を直感で選びなさい』という種類に変わった。
ホッ。
これでもう、速さは関係ない。
アホはごていねいに、自分の好きな絵にも堂々と印をつけていた。しかもなんか、ちょっとウキウキしてそうな大きさの丸印である。アホの丸印を延々見せつけられてきたわたしだから、違いがわかる。
こんなやつでも免許を取れることに、安心のような、絶望のような、複雑な感情が芽生える。うんざりしてた。はずだった。
あっ。
アンタはそういう抽象画が好きなんだ、フーン。
……いいじゃん。
アタシはこれが鳥に見えるけど、アンタには花に見えてんだ。
……その感性、嫌いじゃないよ。
さっきまで一緒に並走していた相棒に、急激な人間味を感じていく。ただの丸印が、人間の輪郭を浮き彫りにしていく。
名残惜しいが、そろそろ、このアホともお別れである。
最終問題は、自己分析だった。
『第10問 自分は、真面目でていねいな人柄であると思う』
鉛筆で、でっかく、でっかく、◯を書いてあった。
嘘をつくんじゃない!!!!!!!!!!!!!
声が出そうになったが、もうひとつあった。
『第11問 上手な運転をしたら、褒められたいと思う』
ちっちゃな、ちっちゃな、◯を書いてあった。
ちょっとだけ、抱きしめたくなった。
結局、教官が戻ってきたのは、適性試験がすべて終わったあとだった。
数時間後、結果の用紙を渡された。
「これを参考に、自分がどういう運転をしそうな人間か、じゅうぶん理解をしてから教習にのぞんでください」
注意力……A
判断力……A
緻密性……A
適応性……A
健康体……A
精神性……A
大谷翔平と三笘薫と羽生結弦と藤井聡太を混ぜた、バケモン並みの能力値を示すレーダーチャートが爆誕した。教習界の神童として、名を馳せるかもしれない。
バカげた予想は、翌日から、現実となった。