パラリンピックで危機一髪! in パリ
パラリンピック観たさに大枚はたいてフランスへ飛んだら、すべてのチケットを直前でキャンセルされてしまい、あわてている人間の記録です。
一度でいいから、夏のパラリンピックを観たい。
生で!熱狂しながら!
2021年、東京パラリンピックのコメンテーターの中継の仕事をした時に、思った。あれは無観客での開催になった。
一度でいいから、ヨーロッパに行きたい。
同じく2021年、清水買いした飛行機のチケットは、母が入院したので紙きれになった。
そして、2024年9月。
パリパラリンピックの開催。
行くっきゃ騎士(ないと)!
ってなわけで、わたし、やりました。
パリ行き飛行機のチケットを、取りまして。
レギュラー出演してる番組「newsおかえり」の撮影陣も、来てくれることになりまして。
よし、よし、いい感じやぞと。
あとは競技のチケットを取るだけやぞと。
ここで、歴史的な円安という濁流に飲まれまして。
た……高い……!
高いよ……!
1ユーロが175円……!
白目むいて泡吹くほど高いのに、チケット、ばんばん売れていく。ハンパない。欧州民の財布の厚さにブン殴られている。ヒィーッ。
「……およ?」
公式WEBの片隅に、安いチケットを見っけた。
Familly offer(ファミリー・オファー)という、家族などで一緒に買ったら、ちょっとお得になるチケット。
「こ、こ、これや!」
わたしが一緒に行くのは母、マジのファミリー。
ただ、うちの母は、
コレ(足)が、コレ(車輪)である。
ファミリー・オファーで購入できるチケットの中には、子ども席はあるけど、車いす席はない。
そら、あかんわ。
と、思ったら、
ファミリー・オファーのチケットの中に、車いすのチケットを含められるって書いてある。
ほんまか?
ほんまなんか?
疑心が暗鬼ったので、ヘルプページのチャットから、事務局に聞いてみた。三日経って、フランス語で返事がきた。
『はい!ファミリー・オファーで購入したチケットは、車いす席に変更できます。開催が近づきましたら、専用のメールフォームから、購入したチケットNo.や人数をご連絡ください。アダンより』
めっちゃメルシー!アダン!
即座に、ファミリーオファーのチケットを購入。
フランスに到着するのがパラリンピックのだいぶ後半なので、
・車いすテニス 決勝戦
・車いすバスケ 決勝戦
超アツい二競技と、閉会式をゲット。スタジアムの中段、フツーの席で1枚8,000円ぐらいだった。
あとはもう、ワクワクして、夏を待ってた。おフランスに夢見る少女だった。スマホの目覚ましも『オー・シャンゼリゼ』に変えた。
完全に、浮かれボンヌになってた。
これから何が起こるとも知らず。
2024年、7月。
一足先にオリンピックの開催が迫りくる頃、パラリンピックの事務局のメールフォームも立ち上がった。
待ってましたとばかりに、チケット変更の連絡をした。
三日後。
『ハロー、奈美!パラリンピックには観戦ガイドっていうのがあって、きみがほしい情報は全部そこに載ってるよ!観戦ガイドを読めば、超エキサイティングにこの歴史的な大イベントを楽しめるからね!安心しなよ!
ポールより』
お、おう……。
指定されて送った、チケットNo.や、母の名前はフル無視かい。
まったく!そんな便利な観戦ガイドがあるんなら、先に送ってよね。プンプンしたフリをしつつ、わたしはまだ浮かれてた。
観戦ガイドを読んだ。
『ファミリー・オファーのチケットに、車いすユーザーを含める場合は、メールフォームから事務局にご連絡ください。』
……?
わたしはもう一度、メールフォームから連絡した。
七日後。
『ハロー、奈美!パラリンピックには観戦ガイドっていうのがあって、きみがほしい情報は全部そこに載ってるよ!
ジョエルより』
永久機関?
そのガイドに、連絡しろって載ってるじゃないのよ!なんなのよ!
「……ハッ!」
もしかして、英語で連絡したのがダメだったのかしらん。そうよ。舞台はフランスだもの。郷に入れば、郷にボンジュールして、フランス語で愛を囁くように話すべきよ。
Google翻訳の力を借り、わたしはフランス語で問い合わせた(ささやいた)。
ほれ、ほれ、ほれ!
フランス語で返ってきた!
返答を翻訳した。
『パラリンピックの体験に、ご家族で感動してくださいね!ファミリーオファーを家族で買うと、安くなるんですよ。子ども用も買えますよ。ファミリーオファーのチケットを車いすで使用するなら、メールフォームから連絡してくださいね!
レナより』
知ってるよ!!!!!!!
だから連絡してるんだよ!車いすで観戦させてくれよ!お願い!
というか、ポールも、ジョエルも、レナも、休んで。いったん奥で休んでて。こっちはわたし、やっとくから。
アダンを呼んで!!!!!
最初のアダンを呼んでくれれば、話が早いのだが、それはできない。
パラリンピックの問い合わせシステムは、こちらから返信はできないのである。なぜだ。
すべてのメールの末尾が、
『パラリンピックに興味持ってくれてありがとね★』
で締められ、満面の笑みでシャッターを降ろしてくる。
わたしが、
『いやいやいや!そうじゃなくて!ってか、もしかして、アダンが間違ってました?そうなら、そうと言ってください!』
などと返信しようものなら、
まったく事情の知らない新人が次から次へとあらわれ、トンチンカンな回答をし、ふたたび満面の笑みでシャッターを降ろしてくる。
およそ日本では体験したことのない対応に、困惑する。
『ボンジュール、奈美!車いすのチケットはここで買えるよ!
ステファニーより』
ほらっ!
わたしが質問した内容、全然引き継がれてないからっ!
『会場では、車いす席の近くで、ドリンクを提供する予定だよ!
楽しみにしててね!
ダミアンより』
どうでもいいよ!!!!!!!!!
飲まず食わずでもいいから、席に座らせて。
頼むから。
仕事の合間に、この不毛なやり取りを繰り返し、気がつけば2ヶ月が経っていた。疲れた。もう楽になりたい。
「入られへんかった時のために、もう、新しいチケット買おかな……」
うつろな目で、チケット販売ページを見たら、
車いすテニスもバスケも、完売してた。
退路が絶たれた。
なにがなんでも、交渉するしかない。
しかし、押せども、押せども、解決策は返ってこない。せめて、どうしたらいいかだけでも教えて。
パリへ発つまで、あと3日を切った。
テレビでもネットでも、パラリンピックの輝かしいニュースが飛び込んでくる。お祝いしたい。飛び上がりたい。
胃からすっぱい味がして、それどころではない。
観れるの……?
これ、観れなかったら、なんのためにパリへ行くの……?
撮影陣もテレビ局から問い合わせをしてもらったが、にっちもさっちも小林幸子状態であった。
母はついに仏壇に向かい、父に祈りはじめた。
お願い、パパ。夜明けとともに、パリのアダンの枕元に立って、今すぐメールを見るように伝えて……!
出発の当日まで、わたしはメールを続けた。
人生初の問い合わせノイローゼになっていた。
そして。
早朝の大阪国際空港にて、スマホが鳴った。
「新しいメールが返ってきた!ちょっと長い!これ、いけるかも!パパがやってくれたんちゃうか!」
母と胸を撫で下ろししながら、メールを翻訳にかけた。
『車いす席に変更することはできません。あなたのチケットはキャンセルして、返金します。そのお金で新しいチケットを買ってね。他のチケットで会場に来ても、車いすは入場はお断りすることがあります。』
なん……やて……!?
おいおいおいおい!
はやる気持ちをおさえながら、チケット購入ページを開いた。
本当にキャンセルされてた。
どっひぇ〜〜〜〜!?!?!?!
パリへ出発する日に、パラリンピックのチケットを、すべて失ったのである。そんなアホな。
いや、アホはわたしである。
最初からケチらなければ、こんなことには。
青ざめながら、母と顔を見合わせた。
急いで、チケットのリセールを探した。
パラリンピックでは、いらなくなったチケットを売る仕組みもあるのだ。
見てみたけど、あかんかった。車いす席のリセールはない。というか、リセールのチケットは、観客席の段と列のNo.しか公開されていないから、どこが車いす席かもわからない。
そして、それすらも飛ぶように売れていく。
パラリンピック、めちゃめちゃ盛り上がってるやんけ……!
観たい、絶対に観たい。
っていうか、番組の取材はどうなっちゃうの。
イギリスに住んでいる『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』の脚本家さんが、焼け石と化したわたしに、打開策を教えてくれた。
「ヨーロッパは、交渉次第ですよ!本当にほしいなら、現地でがんばってね〜〜〜って感じが強いが、がんばったらどうにかなる!」
「わかった、がんばる!」
とは言ったものの、わたしがこの口で話せる言語なんて、日本語と、中川家の礼二がデタラメでたたみかけるインチキ中国語のみである。
羽田空港を駆け抜け、わたしは、かすめ取るようにこれを買った。
ポケトーク(小型通訳機)。
現代のほんやくコンニャクである。これにひたすら、バリバリの関西弁で「困りまんがな!入れてほしいでんがな!」とツバを飛ばしながら話しかけ、AIに切羽つまったフランス語を喋らせるのだ。
これでいける!
いける……かなあ……?
勢いで買ったポケトークが、手のひらの中でやけに小さく感じる。これでパラリンピックでてんやわんやのフランス人と、渡り合えるのだろうか。
そんな迷走中。
わたしが着てる服のブランド・ヘラルボニーの小林恵さんから、連絡があった。
『パリでお会いできるの、楽しみです!お困りのことがあれば、なんでもご連絡くださいね!』
障害のある作家を、異彩作家と名づけて、世に送り出しているヘラルボニーが、パリに支局をつくったので、見学させてもらうことになっていた。
溺れる者は、なんとやら!
わたしは、小林さんにしがみついた。
「困ってます!パラリンピックのチケット、パアになったんです!」
ヤブから棒にお困りもお困り、想定を越えたお困り具合である。
「ええーーーーっ!?」
小林さんは仰天しながらも、
「ちょっとそれ、わたしのツテで聞いてみてもいいですか?」
豪華客船並みの助け舟、繰り出してくれた。
「パラリンピックの事務局に、フランス人の知り合いがいるので」
ツテが登場!
ヤブから棒にツテ、絡まってた!
「魔女の宅急便のトンボくんに似ている、すばらしい人なんです。大きな事務局だから、どうなるかは全然わかりませんが……」
心の中にトンボくんを思い浮かべた。
お願いします。
小林さんが、やり取りを代わってくれることになった。
その間、わたしは、乗り継ぎで羽田空港へ。
ネットが途切れて、気が気じゃなくて、すぐ吐きそうになるので、
永遠に、土浦の花火競技大会を観ていた。
これさ、すごくて。
花火職人が、大玉を一発打ち上げて、競うんよ。
なんか……打ち上げた後に、点数みたいなのが出るんやけど……何もかもわからんくて……。けど、一時間ひたすら、花火と点数を浴びてると、ちょっとずつ美しさの肝がわかってくるの。わかってくると、楽しい。
パラリンピックの競技も、こういうとこ、あるよね。
ぐえええーっ!
観たいよーっ!
羽田空港で、小林さんから受け取った連絡は、こうだった。
「トンボくんに連絡しました!いい返事は得られないかもしれないけど、かけあってみるとのことです」
ルージュの伝言……!
不安な気持ちを残したまま、羽田はディンドン遠ざかっていった。機内では落ち着こうとハーブティーをガブ飲みし、何度もトイレにダンドゥビワダした。
パリに到着した、夕方。
スマホをネットにつなぐと、すぐ、一通のメールが届いた。
『あなたのチケットに、リクエストされた変更を行いました。問題がないことを確認してください。』
こ、これは、もしや……!
チケット、もとに戻ってる!
Wheelchair(車いす)って、書いてる!
パラリンピック、観れるんや!
「やったあああああああああ」
パリの空に、岸田家の咆哮が鳴り響いた。
トンボくんは、ヘラルボニーがパリに進出しようと決めた時から、それはもうめちゃくちゃ応援してくれている、フランス人だったらしい。
ありがとう!
ありがとう、ヘラルボニー!
異彩がパリで歓迎されたことで、まるで関係のないこのわたしが、救われたのである。
そして、同日、入ってきたニュースによると。
車いすテニスの、シングルスは上地結衣選手と、ダブルスは小田凱人選手・三木拓也選手が、決勝進出を決めたところだった。
えっ、じゃあ、わたしが観る試合で、メダル獲るところが見れちゃうっていうの……?
急転直下からのペガサス昇天盛りの高低差よ。
歓喜で目眩がする。
お騒がせいたしましたが、盛り上がってまいりました。
パリで再会した小林さんが、喜びを分かち合ってくれながら、意味深なことを言った。
「フランスはドラマが多い国です。本当に。わたしもスーツケースをふたつ失くしました」
やっと手に入れたゴールデン・チケットを持ってしても、わたしのパラリンピック観戦には、まだ想定外のドラマが待ち受けていたのだ。
(観戦編につづく)