【キナリ★マガジン更新】弟のパンチには信頼と実績の茶番
弟の良太は、優しい男である。
心がでっぷりしている。
ちょっとや、そっとじゃ、動じやしない。
いつも何かしらで慌ててるわたしを、生暖かい目で見つめ、解決策に関係ないコーラ(飲みさし)をくれる、優しい男である。
暴力などとは、もっての対岸!
ああ!世界に良太が満ちれば、平和が訪れるのに!
おっと。
実家の母から、電話。
「えらいこっちゃ。良太が作業所で、パンチしてん」
ぼ、暴力!!!!!!!!!!!!!
突然の純度100%バイオレンス!凍りつくわたし!
間髪入れずに出頭!生まれて初めてブチ込まれた拘置所で、同室になるスリの銀次!良太に芽生える友情!裁判にて情状酌量を求め、泣き崩れる母!大急ぎで司法試験の勉強を始めるわたし!
Netflixオリジナルドラマ第1話のような疾走感あふれる走馬灯が、脳裏を駆け巡った。
「そ、それで、相手の容態は……!?」
誤報であれ!誤報であれ!
やめてよ、知ってるでしょ。わたしってば、最近「ダウン症の弟がくれた優しさ」みてえな、平和なネットニュースがでたのよ。
「当たってない」
ホッ。
「寸止めやから」
ブレイキングダウン!!!!!!
一夜にしてネットニュースが書き変わる。ダウン症の弟がブレイキング破壊くれてもうた。NHKで絶賛ドラマ放送中のタイミングでこれ。
もう終わり。絶対に炎上する。
「寸止めのパンチをね、作業所の利用者さんにしてんて」
福祉作業所を、拳一つステゴロで、のし上がろうとするんじゃない。
「何度もやるから、職員さんが止めに入ってくれたらしいねん」
「な、何度も……」
電話で一報を受けた後、謝り倒したであろう母の声。今もなお、べこべこと謝る赤べこスキルは健在。
「でもな」
母、意外にも冷静。
「良太が怒ったり、脅したりするような感じはないそうなので、職員さんと事情聴取をしました」
家庭内事情聴取。リビングという取調室に連行されていく良太の姿が浮かぶ。ここからでも入れる保険があるんですか。
パンチの真相や、いかに。
「まずは、こちらをご覧ください」
神妙な母が、動画が送ってきた。
良太が暮らすグループホームで撮影されたものだ。リビングで、ゴリゴリのクラブ・ミュージックに乗った良太が、ブイブイ踊っている。
彼の隣には、ジュリアナらしき人もいる。なんか制服を着ている。ふたりでブイブイしている。紛うことなきダンスタイム。
「なにを見せられてんねん」
「よう見て!テレビ!」
踊る彼らの目前にある、テレビ。
これは……
ボクササイズ!!!!!!
ボクシングの動きで踊り狂いながら、脂肪を燃焼するという!なつかしい!東京ではこれを暗闇の中でやるのが流行った!わたしも通った!開始15分で鼻水と涙をダラダラ流し、うずくまってた!
「良太って、健康診断で肥満って注意されたやろ?」
「あったなあ」
「訪問看護師さんといろんな運動を試して、これがいちばん楽しかったらしくて」
あっ、一緒に踊ってたの、あれ看護師さんなのね。
「それで体重も減って、めっちゃ褒められてんて」
「ま、まさか」
「あまりに嬉しくて、作業所のみんなを誘いたかったと」
寸止めパンチは、ボクササイズのお誘いだった。
つまり、あれである。
グラサンにタンクトップ姿のムキムキのインストラクターが「ヘイヘイ、キッズ!オレっちのスピードについて来られるかな!ヒィアゴッ!」的にパンチを繰り出すテンションだったということ。
そんなL.A.みたいなノリ、通じるわけないだろ。
殴ろうとしたんじゃなくて、よかった。弟は“見せパンチ”の罪に問われただけだった。
「とは言え、見せパンチされたらビックリするし、もし当たったらえらいことなので、今後、ボクササイズは禁止とさせていただきます」
母権限により、岸田家にボクササイズ禁止令が発せられた。
破ったらカレーライスのライス抜きという重い措置に処される。岸田家の歴史においてはかなり重罪だ。夜にリコーダーの練習禁止令以来の重罪に震える。
翌週。
実家に帰ったら、リビングが騒がしかった。
母が良太に、なにか叫んでいる。
「ええか、良太!もう一度言うで!」
「あい」
「運動するのは、オッケー!人をパンチしたら、ダメーッ!」
指導している……!
しかし、弟の方は、苦笑いしながらもどこか、不服そうに後ろ手を組んでいる。母が動いた。
「パンチ、する!ズルッと転ぶ!ほんなら、人に、当たる!そしたら、どうなる?」
どうなるって言うんですか。
「ドカーン!バシーン!いたーい!いたいよー!助けてェ〜〜〜〜ッ」
「えっ」
母が車いすから転げ落ちんばかりのオーバーリアクションで、殴り、殴られる演技を始めた。転げ落ちたら骨折する。決死の覚悟、ガラスの仮面。
「ピーポーピーポー!けが人はこちらですか!ああっ!血が!ブシャーーーーッ!おまわりさーん!」
登場人物が……多い……!
「ウゥゥゥー!ウゥゥゥー!ファンファンファン!」
柳沢慎吾?
「逮捕!有罪!ガッシャーン!良太ァ……うっ……うっ……!ライス抜き!」
捕まっちゃった。裁判という現代司法がない時代の話だ。
母が、寸劇をしていた。
風が吹けば桶屋が儲かるみたいな理論の劇である。
しかし、即興とは思えない登場人物の多さ、展開の速さ、身ぶり手ぶりの激しさ。思わず見入ってしまった。おそろしい子っ。いや、おそろしい親っ。
「はあっ……はあっ……良太、わかった?」
良太が、しばらく考えて、口を開く。
「パンチ、いたい?」
「そう!いたい、いたいよ!」
「ボクササイズ、だめ?」
「誰もいないところ、オッケー!」
「人、だめ?」
「イエス!」
納得したようで、弟がほほ笑んだ。
グループホームに戻るまでの2日間、良太はひたすら、母の寸劇をブツブツとつぶやいていた。洗面所で歯磨きしてる間も、夜にトイレへ立った時も、つぶやいていたから、出くわして怖かった。
「ボクササイズ、だめ、ひとり、オッケー……いたいいたーい……」
もはや念仏の域。忘れないようにしているらしい。
時折、シュッシュッとシャドーボクシングをしたり、くるりと踊ったりしながらつぶやいて、部屋をウロウロするので、踊り念仏のようだ。
良太が福祉作業所で、見せパンチをすることは、なくなった。
それにしても、冷静だった母には感心した。
十数年前、良太がコンビニで万引きしたかもしれないと濡れ衣を被ったときは、パニックだったのに。事情聴取のち寸劇をする余裕があるとは。
良太が帰ったあと、母とふたりで、話してみた。
そこに、驚きの事実があった。
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