【キナリ★マガジン更新】遊園地特化型貧乏症

 

わたしの父は、遊園地が好きじゃなかった。

行列にも、騒音にも、絶叫にも、いちいち腹を立てていた。とりわけ、父の地雷といえば、子どもだまし、だった。

無駄によくできたホラでわたしをだましてはゲラゲラ笑うくせに、自分がだまされることには、めっぽう我慢ならん男なのだ。

新幹線に乗れない弟を喜ばせようと、父は神戸から東京まで夜通しボルボ940を走らせ、ディズニーランドへ連れて行ってくれたことがあった。

好きではなくとも、そういうことは、やってくれる男なのだ。

ところが、到着するや否や、ちょろっと園内を回ったらやっぱり腹が立ったようで、母とわたしたちを置き去りに駐車場に舞い戻り、ひとり爆睡していた。夢の国の駐車場で、夢を見る男なのだ。

「あんなもん、子どもだましや!俺がホンモノちゅうもん、見せちゃる!」

そう言う父が、ギンッギンの眼で案内するのは、

関西学院大学の三田キャンパス。
カルチャータウンのワシントン村。
ラーメン屋「希望軒」の夙川レトロ館。

などだった。

アメリカやスペインの伝統建築や、昭和初期の家具を使って組まれたセットだ。確かにホンモノではある。建築の仕事をしていて、映画を愛する父は、わたしの美意識を育てたかったようだ。

しかし、ンなこたあ、大きなお世話なのである!

「アメリカの空が広いのはなあ!こうやって、電柱を地中に埋め込んどるんやなあ!」

「ふうん」

「クリーム色の壁に赤色の瓦!こんなん見たことないやろ!スパニッシュミッションスタイル言うてなあ!」

「ほおん」

「どうや!」


どうやとこうやと言われても、つまらんのである。正直に言おうもんなら、躍起になった父によりマニアックなものを見せつけられそうなので、わたしは精一杯、興味があるフリをした。

おもむろにしゃがんで芝生をなでては「やわらか〜い」などと、方向性を失った褒めを棒読みするわたしに、薄々、父も平々凡々な小学生相手に英才教育が過ぎたことを悟っただろう。


しかし、そんな父に、吉報が訪れた。

2001年、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンが開園!


当時の触れ込みは、

「ハリウッド映画の舞台裏を、余すところなく体験できる本格パーク!」

だった。父の胸はズドンと撃ち抜かれた。

園内には本物さながらの映画のセットが展示され、映画『バック・ドラフト』の撮影体験ができるツアーでは、鼻先まで大爆発を感じることができた。

あと、なんてったって、水上ショーがすごかった。

等身大のキングコングを背に、ド派手な花火がバンバン打ち上がるのである。大迫力だ。それもそのはずで、後に1.3トンを上回る異常な量の火薬を使っていることが判明し、法令違反で起訴された。

そこも含めてハリウッドすぎると、父は武者震いしていた。刺さったらとことん刺さる男である。

遊園地なので、当然、わたしが大好きな子どもだましのアトラクションも揃い踏みというわけだ。

小学四年生のわたしと、父のニーズが、奇跡的に一致した。

「おい!明日、ユニバに連れてっちゃる!」

晩ごはんのあと、父から誘われて、夢かと思うほど嬉しかった。

オープンしたてのUSJは、芋を洗うような大混雑だった。E.T.の自転車ライドは1時間待ち、ジョーズの遊覧船は2時間待ち。

目移りするわたしの手を引き、父は、

「そんなもん、あとや!あと!写真撮るで!」

とはしゃぎ出した。はて、写真とは。あっ、向こうに、スヌーピーがいる。人だかりになってる。エルモもいる。あれと写真を撮らせてくれるんだわ。そうに決まってるわ。

ワクワクしながら父についていったら、なんか、ボロッボロの看板の隣に、立たされた。

「これが、1916年の漁村の看板や……この汚し方、すごいでえ……ようできたーる!」

父がシャッターを切った。
わたしは真顔だった。

ようできたーる、ようできたーる、と父が感心しながら、小屋、アメ車、シダ植物などの無機物の面々とわたしのツーショットを連写していく。美意識の押し売りである。

「おい、見てみろ!これがニューヨークの地面やぞ!これ、ひび割れとるけど、あえてやっとんか?」

突然、地面を調べはじめた。

ニューヨークを模した地面の芸の細かさがいたく気に入ったようで、父は、通行人にカメラを預け、撮ってもらった。

地面を凝視する、わたしと、父。

どっかで見たことあると思ったら、リットン調査団と同じ構図であった。

シュールすぎる写真撮影で時間は過ぎ、さすがにわたしも抗議を始めた。ジュラシック・パークの急流すべりに乗ってみたかった。

一番人気のアトラクションで、3時間待ちの列が伸びていた。

「わかった、わかった。ほなそれ乗って、帰ろか」

父は意外にも、乗り気だった。

しかし、アトラクションの列には並ばず、隣のレストランにサッサと入店していった。

「3時間も待ってたら、腹が減るやろ。並びながら食うための、弁当を調達せなあかん!」

父にしては冴えた提案である。

しかも、選んでくれた弁当が、特別だった。ティラノサウルスが描かれた紙バスケットの中に、大好きなハッシュドポテトやフライドチキンが入っていた。スッカスカなのに、2000円もした。

これを父が買ってくれるなんて。
わたしは感動に震えた。

「さあ、並ぶで!」

父が、大手を振って、歩き出す。
しかし方向が真逆だ。

「こっちちゃうで!列はあっちやで!」

「まあ見てみ。俺はな、待ち時間が短くなる秘密の入り口を知っとるんや」

父はニヤリと笑った。

身震いした。さすが父である。そういう賢い情報は星の数ほど仕入れていそうな男だった。

父がずんずん歩いていき、

「秘密の入り口は、こっちや」

どんどん人気がなくなっていき、

「そうそう、こんな抜け道やったわ」

キョロキョロしながら、入場ゲートに近づき、

「あ、なるほど、なるほど……この扉やろか」

そのまま、ずんずん歩いて、普通に退場した。


あまりにも自信満々に、退場ゲートをくぐり抜けるので、疑いもなく勢いでついて行ってしまった。

くるりと父は振り返り、苦笑いした。

「あちゃ〜!まちがえて、出てもうたわ!」


わたしはこの時の衝撃を、生涯、忘れることはないだろう。地球が割れるかと思った。再入場ができなかったので、呆然としながら家に帰った。

とんでもねえ男である。

それで父を嫌いになる、ということはなかった。騙し討ちを仕掛けられても、己を曲げない父を尊敬してはいたんだろう。


しかし、この衝撃は、わたしの人格に大いなる爪痕を残した。

大人になったわたしは、極度の遊園地特化型貧乏性になっていた!

遊園地と名のつくところに行くと、現世最後の桃源郷かのごとく、隅から隅までなめ回すように満喫せねば気がすまないモンスターと化した。

効率厨であり、始発厨であり、課金厨である。

下調べに何時間も費やし、一切の無駄なく走り回り、開園から閉園まで遊び尽くす。期間限定のイベントやフードなどをひとつでも取り逃すのが怖くて、園内では常時、息が上がり、眼は血走っている。

しかも、出力を調整することができない。

そんなに興味のわかない遊園地に付き合いで来た時や、知人の幼児がいるので大人向けのアトラクションに乗れない時など、

「まあ、今日はゆるく楽しんだらいいよね」

と頭でわかっちゃいる日でも、気づけば、眼が血走っている。

別にUSJが好きなわけじゃない。それなのに小学館の編集者が子連れでUSJに行くという話をチラッと聞いただけで、なぜか徹夜で、お手製のガイドブックを作りあげ、送信していた。壊れた狂戦士。

遊園地で絶対に損をしたくないのだが、こうなるともう、何が損かを見失っている。遊園地に取り憑かれ、遊園地に追われる女と成り果てた。

父が生きていれば、泣きながらポコポコと肩をどつきたい。

そんなわたしが、今月のはじめ、母と弟とディズニーランドへ行った。


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