【キナリ★マガジン更新】【小説】聖母の天職(6-債権回収会社 小岩藤 勇也の証言)

 

あらすじ 探偵・相沢たくみに「婚約者の仕事を調べてほしい」と依頼する御曹司。聖女のように可憐で清楚な恋人の職業は———借金の取り立て?証言を重ねていくたび、奇妙な彼女の人生が浮かび上がってきて……。全8話完結、第1話はこちら(装画は星野ちいこさん、本作のための描き下ろし)

鞠亜の奇妙な仕事ぶりについて知る人間に、話を聞きたかった。懐まで飛び込むとなると、今のやり方ではむずかしい。

鞠亜をやっかんでいる同僚がいないだろうか。酒が入っていればペラペラと愚痴を喋ってくれるかもしれない。なんとかして、行きつけの居酒屋でも調べたい。

こういうのはアイザワ総合リサーチを頼れば一発だとはわかっている。長年の探偵稼業で築かれた人脈の賜物だ。だが父も兄も頼れない。千寿が個人的に依頼してきている以上、進藤家の専属探偵である二人とは利害関係が生まれてしまう。

いや、単純に、頼りたくなかった。昨日までは。

玄関をくぐるといい匂いがした。うちの夕飯の時間は、昔からピタリと決まっている。まだ一時間あるから、他の家族は帰ってきていない。おれは真っ先に台所へ向かった。

「あら、たくみ。おかえり」

母は涼やかな顔で、海老芋と格闘していた。六角形に面取りした芋が、まな板に行儀よく並んでいる。

「母さん、ちょっと」

おれが声をかけても、手は止まらない。包丁の動きは見ていて気持ちがいいほど、速くて滑らかだ。

「なんやの、あらたまって」

「ナブディス・フィナンシャル・エスって会社の社員が行きつけにしてる店、どこでもいいから教えてほしい」

「……どちらさんの案件?」

「言えない」

包丁が止まった。母が顔をあげて、おれを見た。狐によく似た目が、品定めをするように細くなる。探偵の目だ。子ども頃からこの目に睨まれると、どんな嘘も隠し通せなかった。

「ふうん」

母がにんまりした。

「ちょっと待ち。あ、おナベ見といて」

前掛けで手を拭きながら、母は三階の事務所に上がっていった。

まな板に残された海老芋も、鍋の中の棒鱈も、まるでプロの仕事だった。十分後に戻ってきた母は、煮立った鍋を見て

「アホ。ただボーッと見てるだけの人がおるかいな」

お玉でゴン、とおれの頭を叩いた。

「祇園の『まるえびす』ゆう小料理屋。金曜、そこの大将にウチの名前いうたら席作ってくれるわ。社員さんの予約もちょうど入っとるって」

「大将がわざわざ?」

母はちらりとおれを見て、また口元だけで笑った。

「去年、大将の奥さんの件でお父さんがお世話しはったから」

「……不倫調査か」

「そういうこと」

聞かなければよかった。母は菜箸で器用に芋をつかみ、鍋に沈めていく。どぷん、どぷん、と小気味いい音がする。

「お父さんとお兄ちゃんには言わんどくから」

まさにどう口止めするか迷っていたら、先回りされた。

「……なんで」

「我が家の末永い商売繁盛のためや」

「おれなんかが継がなくても、あの兄貴で安泰だろ」

「あの子は優等生や。お父さんの顧問先のお客さんも安心して任せられるって評判やし、実際、どんどん引き継いでくれてるからなあ」

「ほら」

「でもな、それは既存のお客さんばっかりなんよ。無難に仕事してるうちは細く長く続くけど、いつか人は老いるし、会社も無のうなる。新しいお客さんをグワッと掴むには、危ない橋も渡らんと」

「おい、息子に何させる気だよ」

「いややわ。そういう意味ちゃうわ。予防線を引くような優等生やなくて、夢中で奥へ奥へ入っていける天才にしかこなせへん仕事ってあるの」

おれは鼻で笑った。

「やめろって。おれ、本当に探偵なんかまっぴらなんだから」

「そう?やりたくないって思てる仕事が、案外、いちばん向いてる仕事やったりするんよ」

母はやっと手を見て、おれをまっすぐ見た。

「あんた、ウチの仕事のなにが不満やの?」

口を開きかけたが、どこから話せばいいのか。他人の傷を暴いて、出し抜いて、金に変えるような仕事へのあふれるような不満を、いったいどこから。

「やっぱええわ。聞いてたら日が暮れそうや」

さらりと流された。

「ま、つまり、人はほんまに嫌で嫌で許せへんって思うもんほど、本質をようわかってるってこと」

母が鍋の火を弱めた。ふたをずらして、湯気を逃がす。抜かりのない几帳面な手つきだ。

「お母さんな、お料理、だいっ嫌いやの」

「……冗談だろ?」

思わず声が出た。鍋の中でひとつも崩れずに色を染める海老芋と棒鱈。家庭でここまでやるかという仕上がりだ。

「あーっ、やりとうない!頭おかしなる!って思って、どうしたら早よできるんか、疲れずにすむんか、考えつづけて練習したんよ。な、お母さんの執念もたいしたもんやろ?」

中学生だった時、下校中にファミレスで外食するのにハマッたら、烈火のごとく母に叱られたことを思い出した。普通じゃない稼業をしているのだから、食卓だけはどこよりも普通の、この上なく幸せそうな家庭にする努力がいるのだと母は言っていた。

「なにより、あんたがちっとも疲れてなさそうで安心したわ。金曜はごはん、いらんね?」

九谷焼の大皿に芋の山を築きながら、母が歌うように言った。

日時 2025年5月29日20:50
場所 小料理屋 祇園まるえびす
対象者 小岩藤 勇也 (40歳)


やあ、お兄さんは営業ですかあ。

ノルマ、キツいっすよね。わかるわかる!わかりますよお!

おれもそうやもん。債権回収の会社なんスけど……ははっ、ビビらんといてくださいよ。カタギですよ。まあ、カタギのルールやから、シンドいんやけど……。

あ、もう一杯いいすか?大将!冷で八海山!

お兄さんも飲みます?ほな二合、おれの伝票で!

いやいやいや、ええんですよ。けど、お兄さん、けっこうわかるクチやから、ちょっと聞いてもらっていいすか?なんか、今日はほんまにシンドくて。ずっとモヤモヤしてるんですわ。

ちょっと前に、転職してきた女がいるんです。

最初はなめとったんです。ドンクサくて、オドオドしよって、なんでこんなん採ったんやろって。ウチって体育会系の男ばっかりやから。せいぜい電話番かなって思ったら、なんでか回収グループ……まあ、つまり、現場の配属になって。

何日で逃げ出すやろかって、仲間内で賭けてたんです。

でもね……アイツ、おかしいんですよ。ほんまに。

こういう仕事って、基本は案件をできるだけ早よ片づけることやないですか。ウチは債権回収の会社なんですけど、催促状打って、電話して、精神的にガン詰めして、追い込む。そういう仕事です、はっきり言って。債務者は甘やかしたら、つけ上がりますから。

アイツはそれをせえへんのです。

ひとりの債務者に時間かけまくるんです。何度も電話して、相手の与太話にばっか付き合うて。どう考えても非効率や。おれが五件も追い込んでる間に、とろくさいアイツは一件しか動かしてへん。

アイツがどんな電話してんのか、聞いてしもたことがあって。

相手は六十代ぐらいのオッサン債務者で、怒鳴りっぱなしやったんです。

「おどれらがしつこいから、女房が出てったんじゃ!人様の生活を壊しよってからに、会社に火ィつけて同じ目ェ遭わせたるからな!」

とか、もう、支離滅裂なわけで。おれやったらガチャ切りして、即、インターフォン鳴らしに行きます。こういう手合いは夜討ち朝駆けしたったら、大抵ひるむんで。

アイツは電話を切らへんかった。


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