スタンの国がぜんぶ危なそうって、そりゃアンタ思い込みってやつよ(ウズベキスタン新婚旅行)
カレンダーを見たら、一ヶ月後の予定がぽっかり空いていた。
「そうだ、新婚旅行しよう!」
もともと新婚旅行はしないつもりだった。わたしは出張がやたらめったら多くて落ち着きのない作家なので、オンラインで事足りる仕事であれ、
「あっ、いいです、行きます!行きます!こういうのは膝と膝を突き合わせたほうが、ネッ」
むりやり押しかけては前泊し、下卑た笑みを浮かべながら妖怪のように町を徘徊していた。
ちなみに人見知りで、対面だとキョロキョロしてしまうから、膝を突き合わせる意味はない。むしろ逆効果である。肥沃で魅力的な土地の者は、迂闊にわたしに仕事をよこしてはいけない。
「ご家族もぜひ一緒にどうぞ!よかったらご共演も!」と、ご招待いただくこともある。こういう時は全力で甘えて、母と弟、たまに夫のみずきくんにも同行してもらって一家で押しかける。みずきくんとは共演はしないけど、編集や撮影がうまいので、道中で手伝ってもらえると楽なのだ。
ホノルルにて浮かれた家族
ニューヨーク、パリ、フィンランドと飛び回り、ついにハワイのマラソンを家族で走破する(弟が頑として走らず、実際は徒歩だったが)ドキュメンタリーという、人類の歴史上観測されたおこぼれの中でも最高級クラスのおこぼれ仕事を賜った時は、
「もう新婚旅行なんてせんでも、これでじゅうぶんや」
ワイキキビーチでぷかぷか浮かびながら、みずきくんが言った。
「ほんまにええの?夫婦水入らずでゆっくりしたいんちゃうの?」
「おれは呼ばれた場所にはどこにでもついて行き、いかなる環境でもご機嫌に過ごせる生き物やから」
わたしはポータブル式の地蔵のような生き物と結婚したのか。
遠い将来、孫に囲まれながらアルバムを開くと、われわれの新婚旅行の写真にいつも母が映っていることになるので、
「これは誰……?ひいばあば……?な、なんで……ひいばあばが……新婚旅行に付き添ってるの……?」
無駄に怯えさせてしまうかもしれない。新婚旅行に笑顔で同行する母は、いつの世もおそらく普遍的なホラーである。
でもまあ、デメリットはそれぐらいだし、いっか。
ところが、事情は変わってくるものだ。
この春、航空券がズドンッと高騰した。海外旅行など次に行けるのはいつになるか……という暗いムードが世に漂いはじめた。
あとは、思ったより妊娠がうまくいかなかったのもある。いつかは子どもを授かれたらいいなあとボンヤリ考えながら、なんの努力もせずダラダラ暮らしていたのだが、どうやらわたしのコウノトリは超弩級の方向音痴のようだ。これまでの戦績を見るに、ブラックフライデー中のAmazonの配達に近い限界さがある。本気で子どもを願うなら、がんばってカゴ罠をしかけたり、餌をまくなどして、慎重におびき寄せる必要があることがわかった。
ええい、鳥に負けてたまるか、わたしは鳩を素手で掴んだ女だ。(→ソース)
検査や治療に本腰を入れるなら大変だよと先輩から諭されたので、今のうちにパーッと夫婦で遊びにいってやろうと思った。
だいたい新婚旅行の行き先といえば、ハワイだのモルディブだの青い海でシャンペン片手にキラッキラの笑顔を思い浮かべる。
いや、わたしもそれでよかったよ。
しかしみずきくんは、リゾート地に近づけば近づくほど、体調を崩す特異体質なのだ。
「おれの体の中からお釈迦様が“贅沢してはなりませんよ”と呼びかけてくれとるんや……」
天性の僧侶かよ。
ちょっと誇らしげに困った顔をするので腹が立つ。
実際は海で肌が荒れたり、南国特有の花粉に弱かったりするだけのことだ。それにプラスして思い込みの強さが拍車をかけている。犬が大好きなのに、犬アレルギーを発症した哀れな男なのである。
「じゃあどこがええの?」
「シルクロード!」
ほう……。
中央アジアを東西に横断する交易路。荒野とオアシスを越えて、宗教も経済も文化もが混じりまくった、美しく活気のあるカオス。シルクロードには、リゾートとはひと味違うロマンがある。
わたしも馬とロバが好きで、いつか飼いたいと隙あらば目論んで、義母に警戒されているほどだ。遊牧民にも憧れがある。特に『乙嫁語り』というマンガにハマり、女たちがおしゃべりしながらこさえる刺繍を見たくてたまらなくなった。
「ええやん!シルクロードのどの国にしよ?」
いろいろと調べた結果、ウズベキスタンにした。
これを他人に話すと
「えっ、ウズベキスタン?」
百回はびっくりされて
「……大丈夫なん?」
百回は心配された。
これが最後かもしれんからと、戦場にカメラマンを送り出すような面持ちで手を握られたこともある。
スタンのつく土地といえば、反射的にアフガニスタンが思い浮かぶ人が多いんだろう。
わたしは、以下のように百回は説明した。
まず、治安はかなり良い。女性のひとり旅も増えていて、夜にライトアップされた古都をボーッと歩ける。
ゆるいイスラム教で、酒やタバコをやる人は少なく、かといってこちらに強制もしてこない。むちゃくちゃにゴッタ煮したような倫理観と道徳心を持つわたしには、たいへんやさしい国だ。
ごはんもおいしい。ピラフのような飯、串焼きの肉、トマトうどん。動物性油をガンガン使うのでお腹を壊したという声もちらほら聞くが、わたしたちは油を吸収する才能にあふれた夫婦。人間版・固めるテンプルである。願ったり叶ったりで、どんとこいだ。
そして、物価が安い。
もう一度言う。
物価が安い。
なんぜ日本の3分の1だ。
1万円も出せば朝食ブッフェつきの3つ星ホテルに泊まれてしまう。あと5000円も上乗せすれば、なんと世界遺産の中にまで泊まらせてもらえる。東大寺の大仏の横に布団を敷いて寝るようなものだ。
わたしは前に欧州へ行ったが、あこがれの景色に浮かれたものの、カフェのモーニングのトーストとコーヒーごときに3人前15,000円も支払わされて、目が覚めた。アホの国だ。アホの国に来てしまったと思った。
わくわくさんとゴロリが作ったようなサラダに至っては6,000円だった
ウズベキスタンは違う。美しい青色の遺跡を堪能でき、うまい飯とホテルでぐっすり休んで、馬やロバとたわむれて、財布にやさしい。
円安に残された最後の楽園は、中央アジアにある。
……というふうに、ウズベキスタンへの新婚旅行は決定した。
キルギスやカザフスタンといった隣国にまで足を伸ばすか、ウズベキスタンをたっぷり見て回るかで迷った。どちらにせよ、旅行者がかならず訪れるのは「サマルカンド」という古都だ。日本でいう京都だ。
しかし、ウズベキスタン経験者に話を聞くと、
「ウズベキスタンは絶対ヒヴァに行くべきです、あそこだけ何もかも違う」
「わたしは行けなかったけど、ヒヴァに行けばよかったと後悔してます」
口をそろえて、ヒヴァ、ヒヴァ、ヒヴァ。
みんなヒヴァの話をする。
こっちは日本でいう奈良みたいな超古都だが、なんせ訪れるまでが大変らしい。
飛行機を乗り継ぐか、夜行列車でも10時間かかるので、ほとんどの旅行者は泣く泣くあきらめてしまうのだという。しかしこんなにも全員にヒヴァヒヴァ鳴かせる町ならば、行くしかない。
首都タシュケント(東京)→飛行機で1時間30分かけて超古都ヒヴァ(奈良)→鉄道で5時間かけて商業都市ブハラ(金沢)→砂漠を車で3時間横断して遊牧民キャンプ(鳥取)→古都サマルカンド(京都)
このようにウズベキスタンを周遊することになった。
全6泊でホテルがバラバラなんて初めてのことだったが、新婚パワーでこれぐらいの無茶を力を合わせて乗り切ったほうが、いい思い出になるだろう。
いくら物価が安いといっても一ヶ月前に決めたから、航空券もホテルも割高だった。ExpediaとTrip.comを反復横跳びのように行き来して、時にはキャッシュを削除し、時には海外サーバー経由でアクセスし、手を尽くして安く仕上げた。
「10円安いたまごのために自転車で隣町にいく主婦おるけど、あれの旅行版やん。さすがやで」
みずきくんからも称賛された。わたしは1000円安い航空券のためにVPNを乗り回し、海外からWEBをかきわけて航空券をぶんどる主婦だった。
そんなわけで、これからしばらくウズベキスタンの旅の話を書いていく。
運命を揺るがすような大事件もなく、いい気分で帰ってきただけだが、読みながら一緒に同行してもらえるのなら、行った甲斐もあるもんよ。
(つづく)