【キナリ★マガジン更新】のびしろしかない30歳に抜かされるんだが

 

読者さんから、道ばたで声をかけられた。その人は息子がダウン症だから、わたしの書く弟にあるあるを感じてくれていたらしい。

「ダウン症の子は、16歳から成長が止まるって聞いて……」

そうなん!?


あごの外れたセイウチの顔をするわたしに、その人は戸惑った。

わたしの弟は、もう30歳だ。成長が止まるどころか、この5年ぐらいの伸びが、笑っちまうぐらい著しい。

「ちがうんですか?」

わ、わからん。
少なくとも、うちの弟に限っては、ぜんぜんちがう。


短い怪文書をLINEで送ってくるようになった。
ICOCAを駆使して、買い物ができるようになった。
家を出て、グループホームでうまいこと暮らしはじめた。
『ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド』を自力でクリアした。

あとなんか、うちの夫を紹介したら即日で、夫を舎弟にしやがった。

もし本当に16歳が成長のピークだとすれば、30歳の弟はとっくに下り坂のはずである。なのに、生きのびるコマンドを増やし続けている。

そういうわたしは34歳。まわりの30代なんて、いい感じに脂が乗って、落ち着いてきた。仕事ではうまくサボる方法を覚え、10年後の自分をなんとなく計算し、諦めたりやり過ごしたり、人生の波乗りをしていく年齢のはずだ。

……その世界で弟は、高校受験生の夏!みてえな伸び方してる。

第四コーナーを回ってぐんぐん伸びてくる得体の知れない馬、正直、めちゃ怖い。ぼやぼやしているわたしなど、すぐ追い抜かれそうだ。こちとら人生、大荒れの有馬記念である。姉の威厳という馬券が宙に舞う。

「16歳っていう数字がずっと頭から離れなかったので……ああ、なんだかホッとしました!」

くしゃっと笑うその人も、油断していたら、ブチ抜かれて親の威厳という馬券が紙切れになるだろう。つっても本望かしらん。親になったことないからわかんねえや。


つい最近も、弟の成長を、思い知らされた。


わたしたちの父は、20年前に死んだ。

葬儀のとき、父の眠る棺に、弟は一歩たりとも近づかなかった。

「パパの顔見れるん、これが最後かもしれへんから……」

まわりがどれだけ説得しても、弟は絶対、動かなかった。

「パパじゃない」

父は白い着物で、口に布を詰められて、目をかたく伏せていた。もうわたしたちに得意げに笑いかけてくれなかった。繰り返した。

「パパじゃない」

弟は泣きもせず、落ち込みもせず。葬儀場のはしっこで、座ったり、うろうろしたり、居心地が悪そうだった。

死というのが、弟はわからないのかもしれない。
そう思った。

やがて、わたしは結婚した。僧侶の夫が、帰省するたびに父の仏壇で、お経を唱えてくれるようになった。

「あっ、これうちの畑でとれたミニトマトです」ぐらいカジュアルに「あっ、ええお経を唱えときます」ってやってくれるので、人生にはどの棚に陳列していいかわからん種類のラッキーが突然発生するもんである。

すると、弟も、目を閉じ手を合わせ、お経をマネしはじめた。

「なんまんなー なんまんなー なんまんなー」

南無阿弥陀仏らしい。

「なみちゃんー しねー ひろみー しねー みずきー しねー」

一人ずつ名前を唱えながら、まさかの“死ね”だった。家族全員でドリフのようにずっこけた。

おい!ボケが鋭利すぎるやろ!
呪いの儀式かよ!

でも弟はまじめにやっている。死の意味もきっとよくわからず、それが、仏壇という突如としてリビングに設置された、謎のミニステージに対して、唱えるべき言葉だと思っている。


でも、死をわからないって、幸せかもしれない。
だって、悲しまなくて済むから。


弟は今でも、父が最期を迎えた病院の前を車で通るたび、

「パパ いるね」

と指さすのだ。

父とは二度と会えないさびしさを思い知っているわたしは、弟がちょっと、うらやましかった。


弟には、としちゃんという友人がいる。

同じ福祉作業所に通っていて、同じ年齢で、同じ背格好で、同じダウン症だ。ふたりとも言葉があまり得意ではないけど、ふたりにしかわからない理由でよくケンカをするし、よく仲直りもする。

並んでゲームをする姿を、一度だけ目撃したことがあるがどう見ても「ザ・たっち」だった。

としちゃんが、最近、福祉作業所を休んだ。
その日のことを、わたしはよく覚えている。

母がたいへんなショックを受けていたからだ。

「としちゃんのお母さんが、亡くなりはったんやて……」

近所に住んでいた、としちゃんのお母さんは、としちゃんのことが大好きで、かわいくてかわいくて仕方なくて、口を開けばとしちゃんの話をしていた。

まさか突然、亡くなってしまうなんて。

母はその日しばらく、ふさぎ込んでいた。障害のある子を残して、先立つということが、どれほど無念なことだろうか。考えるだけで、母は胸が詰まるようだった。

数日後。
としちゃんは、福祉作業所に姿をあらわした。

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ここからは、わたしが直接見聞きしたわけではなく、職員さんが母に教えてくれた話を、わたしが又聞きしただけだ。

「なんで」

弟はとしちゃんにズイッとつめよった。昼休みに一緒にゲームをするのが日課だったから、突然の休みが不満だったのだろう。

「おかあさん もう いないねん」

としちゃんは、そう答えた。


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