【キナリ★マガジン更新】とうとう自分の番がきた in パリ

 

パリに来て、いちばん衝撃を受けたのは、あるパラリンピック選手の話だった。

ドゥミトロ・メルニクさん。ウクライナ軍の現役兵士で、つい10日前まで、激戦地の最前線にいたという。

わたしがドゥミトロさんと会ったわけではない。伝え聞いただけ。それでも、パリで出会った数々の中で、いちばんの衝撃だったのだ。

ドゥミトロさんのことを語ってくれたのは、田中孝幸さん。

13歳からの地政学』の著者で、日経新聞の記者でもある。オーストリアのウィーンに住みながら、ウクライナの取材を続けている。

わたしは、田中さんの話が、めっちゃ好き。


戦争のこと、貿易のこと、目まぐるしく変わる世界のことを聞くと、いつも答えてくれる。

田中さんの選ぶ言葉は誠実で、現実を飾りたてない。だれかを敵だと煽ったり、怒りを増幅させたりしない。

国は生き残るために怯える。国は生き残るために戦う。悲しみが生まれないようにするのではなく、悲しみは生まれてしまう世界という前提で、希望を捨てずに生きるために、考える力をくれる。

田中さんの話にはいつも、そういう人間の悲しみと魂が、こもっている気がする。だから、めっちゃ好き。



そんな田中さんも、取材でパリへ来ていた。

会わずにいらいでか。

モンマルトルの丘のふもとで、待ち合わせた。

会えた。

「田中さんはなんの取材で?」

「ウクライナの選手団が、シッティングバレーに出場するので」

シッティングバレーは、座ったままバレーボールをする競技で、足の障害がある選手たちが出場する。そのひとりが、ドゥミトロさんだった。

つい10日前まで、ウクライナ東部ドネツク州の最前線で戦い続けていた、兵士である。

パラリンピックでウクライナをアピールすることは大切だとわかっていても、ドゥミトロさんは、ギリギリまで出場を迷っていたそうだ。

「試合が終わったら、すぐに戦地へ戻るそうです」

「えっ」

「ドゥミトロさんは士官で、仲間たちを戦地に残してるわけですから」

田中さんの言葉を聞いて、ぞわっとする。
生々しさが一気に押しよせる。

祭典と観光でにぎわっているパリは、どこもかしこも美しく、行き交う人々は浮かれている。車いすや杖をつかう人にはやさしく、おだやかに手を差しのべている。

ここから、戦地に舞い戻るのは、どんなにつらいだろうと思った。

でも、ドゥミトロさんは、田中さんにこう答えている。


『長年の友人でもない仲間のために自分の命をささげようとする戦時の兄弟愛は、戦争を未経験の人には伝えがたい』


愛という言葉を、わたしは二度見した。

愛。
愛のために、戻る。

戦争へ行くことは、とてつもなく、悲しいことだと思っていた。でも、今のドゥミトロさんにとっては、戦争へ帰ることが、愛であり、喜びなのである。

平和に帰ることのほうが苦しく、戦争に帰る方が苦しくない。


「戦時中の一日は、平時の一ヶ月ぐらいに感じるそうですよ」

田中さんが教えてくれた。わたしの想像では追いつかない時間が流れている。





田中さんは、以前から取材している、松葉杖サッカー(アンプティサッカー)のことも教えてくれた。

片足のサッカー、ウクライナ元兵士に「前を向く力」 - 日本経済新聞ロシアの侵略を受けるウクライナで、元兵士が参加する障害者サッカーが盛り上がりをみせている。昨年から各地でチームが立ち上がっwww.nikkei.com

ウクライナ代表チームのうち4人は、やっぱり兵士だ。半年前に戦争で、足や腕を失っている。


この話を聞いて、驚いたのは、わたしの母だった。

母は心臓の大手術の後遺症で、下半身の感覚を失っている。

「わたしは、歩けなくなったことを受け入れるだけで、何年もかかったのに……」

それな。


少なくとも二年間、母はふさぎ込んでいた。

リハビリ代わりのスポーツも嫌がっていた。歩けないなら死んだ方がマシだったと、わたしの前で涙ダムを決壊させる母を見るのはつらかった。

十年近く経ったいまでも、車いすでは通れない道にはばまれると、母の涙ダムからチョロッと放水されることさえある。

たった半年で、足を失ったことを受け入れ、やったこともないスポーツに挑戦し、国の代表チームを引っ張っていくなんて。

なんで、そんなことが、できるの?
立ち直りが早いの?





「戦争で足を失った彼は『とうとう自分の番がきた』と、言ってました」

すごい。
その一言を受け取った、田中さんがすごい。

ロシア軍のミサイルは旧式で、命中の精度が低いらしい。どこに落ちるかわからない。狙っているかはわからないが、本来ならば避けるべき病院、学校にも落ちる。絶対に攻撃されない場所などない。

仲間がひとり、またひとりと、街の瓦礫に埋もれていく。
祈る。外れる。祈る。外れる。

彼が足を失って「自分が番が来た」と思うのは、前に列を成すように、死んだり、ケガをしたりする仲間たちを、それだけ見てきたということだ。





そうか。
戦争って、障害者がたくさん生まれる場所になるのか。





病院のベッドの上で目覚めれば、隣の仲間も、足がない。戦地に戻れないことを、仲間と悲しむ。前を向くために、仲間とスポーツで磨き上げる。





本当の絶望は、障害そのものではない。

本当の絶望は、孤独にある。





「どうして歩けなくなったのか」は、人間を追い詰めない。それよりも「どうしてわたしだけ」が、人間を追い詰めるのだ。

そんなの、想像もつかなかった。

田中孝幸さんが執筆した新聞記事、引き出されている一言、一言の重みと含みがすごいので、ぜひお読みください。
ウクライナのパラ代表兵士、最前線で知った戦う意味


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