パラリンピックのコメンテーターになったら、櫻井翔さんと再会した
9月2日から9月5日まで、NHKが中継するパラリンピックのコメンテーターをさせてもらうことになったら、初日から情緒がボルケーノした。
文章が混乱が伝わってくると思うけど、誰かに向けてこれを書くことによって、一旦わたしは落ち着きを取り戻しつつあるため、“読んで積めるタイプの徳”として我慢していただければと。
なによりもまず、選手のみなさん、サポーターのみなさん、本当におつかれさまでした。とんでもねえ歴史の瞬間や、 走り抜けるような人生を目の当たりにさせてもらいました。
2週間前、NHKのディレクターさんから。
「少し短い時間になりますが、櫻井翔さんとの共演になります。楽しい再会の場になれば幸いです」
どんな顔して再会すればいいんだ。
わたしと櫻井さんが会ったのは、2016年、まだわたしが会社員だったときのことである。
NEWS ZEROの取材で、車いすの操作や、目が見えない人の誘導を学ぶための研修にきてくれた。
そのときのことがあまりにも衝撃的だったので、このように、語彙力がお亡くなりになったので、見たままを素直に書いたら一周回って表現がバグり散らかした記事を書いた。書いてしまった。だって会うことないと思ってたから。
とはいえ、それも6年前。
しかも、わたしなど吊るしのドドメ色スーツに身を包んだ、パッとしない一介のスタッフだ。
覚えてないやろ。
「岸田さんのお話をしたら、以前お会いされたときのお話を伺いました」
覚えてた。
こわい。
そう、こわい。
わたしは嵐や櫻井翔氏の熱狂的ファンというわけでもなければ、イケメン好きなわけでもない。ただ、ただ圧倒的すぎるパワ〜を目撃してしまったというか、野生のブッダに遭遇してしまったというか、とにかくそういう「あてられた人」でしかない。
櫻井さんのことは心から尊敬している。応援している。
ただ、願わくば会いたくないのある。彼の活躍を見守るただの壁になりたい。視界にわたしを入れてほしくないし、美しき人生の因果律にわたしがなるべく干渉したくない。
なに言ってんのか自分でもわかんないけど、こわい。
パワーを目の当たりにすると関節にくる癖があるので、事前にパーソナルトレーニングで筋力を補強し、眠れずに迎えた今日。会場入りの3時間前。
なんと、NHKの公式WEBサイトに掲載されている「本日の出演者」一覧から、櫻井翔氏の名前が消えたのだ。
「あっ……これ、出演日が変わったんやわ!おらんのやわ!」
なんだあと落胆すると同時に、わたしは確実に安堵していた。
会場入りして、ディレクターさんから
「今日、お席は櫻井翔さんのとなりですよ!」
おるんかい。
この時点でもう、慣れない環境と、選手たちの一挙一動を見逃さない緊張がミックスシェイクされて、情緒がおかしくなった。
18時40分。生放送の10分前。
櫻井さんがスタジオに入ってきた。
外は雨が降っていたけど、その瞬間、世界から音が消えた。気がした。
「わっ、岸田さん!お久しぶりです!」
「アッ……ウァ……ヒャァイ」
入室してから、6年前に一度会っただけのわたしに気づき、ご自分から声をかけるまでの一連のスピードが機敏すぎて、わたしが処理落ちした。
「お母さんもお元気ですか?あの、車いすの操作教えてくださった!」
「お元気デェス……アリガトゥザイマァスェ」
親のことまで。
「あっ、そうだ。note読みましたよ!」
終わった。
「誠に申し訳ございませんでした……」
大困惑した。今日一番でなめらかすぎる発音だった。
「謝るようなことはなにもしてないじゃないですか……」
櫻井さんも大困惑をしていた。心が7つの海より広い。
「岸田さん、今日が中継コメンテーターは初めてですか?」
「そうなんです。もう緊張してまして」
「あっはっはっ。じゃあ知ってる人が現場にいてよかったじゃないですか!」
「知ってる人とは」
「いや、僕ですよ、僕」
今日は初めての現場だから緊張する!でも櫻井翔さんがいるからモーマンタイ!という思考になれる境地の人間がこの地球上にどれくらいいると思われているのだろうか、このお方は。立場をおわかりか。わたしの中のじいやが叫ぶ。
まあ言うても「気づかいがすごい人だから、事前に調べてきてくれたのかな」とわたしは疑っていたのだが、そうではなかった。
中継の現場には、5mほど離れたところにモニターが置いてある。ここにいわゆる“カンペ”が出るのだけども、このカンペがあまりにもシンプルすぎてびっくりした。
「VTRを見て、ここで自由にコメント」
くらいしか書かれていないのである。
めちゃくちゃびっくりした。ゲストの櫻井翔さん、根木慎志さん、アナウンサーの中野淳さん、杉浦友紀さんたちは、本当に、本当に自分の目で見て、心で感じたことを、頭で即座に短く編集して、口に出している。
これがどれだけ難しいことかわかるだろうか。
一度、競技の映像を生放送で見て、即座に15秒とか30秒とかで感想を声に出してみてほしい。それも人とかぶらず、人を傷つけない内容で。
なかなかできることじゃないのに、できている。
機転も、知識も、視点もハンパない。
特に、櫻井さんがブラインドサッカーを観た直後のとっさのコメントが凄まじかった。
「これは個人的な見解で、なにかを否定するつもりは全くないんですが『まるで見えているかのようなスーパープレー』って、ちょっとブラインドサッカーにおける正当な評価じゃないんじゃないかと感じていて。見えてない中でのスーパープレーがすごいんだと、僕は思っているんです」
こんなもん出ないぞ。というか言葉選びをひとつでも間違えたら、真逆の意味で捉えられかねない。だけど間違えない。
ほかにも、とっさに選手の過去の活躍に触れたり、尺が伸びたらちょうど良いところをでかいつまんで話したり。話の奥行きと幅がやばい。
「なんでノー打ち合わせ、ノーカンペでこんなコメントできるんですか」
と聞くと、櫻井さんは
「そんなそんな。運良く試合や練習を見させてもらったからですよ」
ご謙遜を。
一度見ただけで、そんな記憶して、そんな慮ることができるのか。どうなっとるんや、脳のメモリ。
これはもうわたしの不徳のいたすところだけど、どんだけ賢いと言うたかて、気づかいが炸裂している人だから、覚えてるんじゃなくて事前にちょっと調べてるとか、マネージャーさんから聞いてるとか、そういうアレだと思ってたの。わたしのことも。
違うの。ぜんぶ自分で覚えてんの。
NHKのディレクターさんが、
「調べるもなにも、“岸田奈美さんって覚えてますか?”って初めて打ち合わせで名前出しただけで、お名前も、お母さんのことも、ユニバーサルマナーで学ばれたことも、全部スラスラと話されてましたよ」
と教えてくれた。
「櫻井さんって二、三人おるんですかね」
「たぶん、一人だと思うんですけど」
どうなっとるんや、脳のメモリ。なにを食べて育ったんや。わたしなんてもう、日々、忘れていくことばかりだというのに。昨日の夕飯も思い出せない。
中継序盤で「選手が使うのと同じ義足を紹介する」っていう企画があって、そこはガッツリ構成も台本も決まってたんだけど、試合が早まって、急遽、ものすごく尺が短くなり。
ドタバタする現場のなか、直前で櫻井さんが
「僕のコメントはどれだけ削ってもらってもいいんで、義足の凄さをちゃんと説明しましょう!中野さん!」
って中野さんに提案し、中野さんも変更にまったく動じず義足の説明をしはじめ、櫻井さんが急遽、義足を持ち上げながら可動部分を動かして説明したり、「ここに足を乗せてると思えば、そう何度も踏み込んだりできないですもんね(一回、一回の練習に選手が入魂しているという意図)」ってリスペクトにあふれたアドリブのコメントも入れていた。
中野さんも杉浦さんも冷静にあわせにいくのが、もう、これがプロの現場か……と圧倒された。
もちろん、今回の大大大主役は、選手でありコーチでありサポーターの皆さんであるのだけど。
彼ら彼女らが積んできた努力を、正しく、熱く、わかりやすく、そして競技の発展を願っておもしろく伝えるというNHKと出演者のみなさんも、奔走する立役者なのだと思った。
彼らはテレビの前で語りかけている。
だけど、その一言を紡ぐためには、背景に莫大な量の言葉にならない言葉がある。頭のなかを流れる広大な海から、瞬時に一滴をすくいあげて、届ける。その覚悟たるや。
「じゃあ僕は、先に移動します!楽しんでくださいね!」
たった15分にも満たない共演時間だったけど、そう言ってスーツの襟をなおし、スタジオのどんなスタッフにも聞こえるはっきりとした声で挨拶をし、颯爽と去っていく櫻井さんは、「櫻井翔」よりも「櫻井翔」だった。
気づいたら、しゃっくりが止まらなくなっていた。
許容量を越えた人間力に、横隔膜が耐えられなかったのだ。いろはすを2本いただいた。
中継でも櫻井さんは、車いすに乗るわたしの母について触れてくださったので、これは母もびっくり仰天するぞと思っていたら、なんと母はサブチャンネルという機能を知らずに通常チャンネルをテレビに映していたらしく、放映がはじまったのは櫻井さんが完全にいなくなった後だった。
「櫻井さん、喋ってくれたで!」
「えっ……スタジオに櫻井さん、おらんかったやん」
にわかには信じてもらえず、まるでわたしが夏の終りに幻覚を見たような扱いになっていた。
そんな再会だった。
わたしが観た陸上競技と選手の方々への感想、中野さん・根木さん・根木さんたちから教えてもらった「良い解説とはなにか」、障害のある選手を支えるサポーターの本当の姿など、話しても話したりなかったことがたくさんありすぎるので、
明日から追って、別のnoteでちゃんと書きます。
(全部ここで書こうとしたのに、櫻井さんの序章だけで文字数がとんでもないことになってしまったので今日は一旦ここでおさらば)