【キナリ★マガジン更新】姉弟関係はいつもギリギリで森田一義アワー(姉のはなむけ日記)
グループホーム入居を目指し、ダバダバと奮闘する姉と弟の記録。前回のお話はこちら。
その晩、実家から弟がわたしに電話をかけてきた。
「どうしてん」
「あのな、車、ないねん」
「え?」
「車、ないねん」
「なんて?」
このときわたしは、実家のボルボがパクられたのかと思った。
大事件やないか。いや、でもそれやったら、弟じゃなくて、オカンから連絡くるよな。なんで弟なんやろ。
まさか、オカンが乗ったままパクられた……?
警察の二文字が頭をよぎった。弟が続ける。
「グル、むほん」
「グルで謀反!?」
公安の二文字が頭をよぎった。
謀反といっても、うちに出入りする味方など限られている。ヘルパーのおばちゃん、ヤクルトのお姉さん、生活相談員のおばさま、ボケたばあちゃん。このメンツが……グルになって……謀反……?
オバーチャンズ11(イレブン)……!
賭けお手玉でイカサマとかするんか?
弟はいつものぼやっとした発音で「グループホーム」と言っただけなのだが、思い込みというのは恐ろしい。
オカンにそのあと裏を取る電話をかけ、だいたいのことを把握した。
弟が新しくできるグループホームの見学へ行ったこと。
福祉作業所から電車とバスで通うには、難しい立地であること。
「ぼく、グループホーム、いけるかなあ」
弟がそのグループホームをとても気に入ってるということ。
ダウン症の弟は、一年間、引きこもりだったことがある。
小学校、中学校は、普通学校の支援クラスに通い、高校は障害者の特別支援学校を卒業した。
そしてすぐ、実家から福祉作業所に通うことになった。
福祉作業所とは、障害があって就労が難しい人たちが集まり、かんたんな仕事や食事をともにして、集団生活に慣れながら働く場所だ。
「ぼく、あしたから、しごといくねん!」
初めて通う前の晩、弟は誇らしそうだった。ポストに入っていたチラシを持ってきて「ママにマンション、買う」と言っていた。もらえるお給料、一ヶ月で3,000円とかやけども。お昼代抜いたら、赤字やけども。
マンションん、買えたらええなあ。母はニッコニコしながら、弟を送り出した。
しかし、あっという間に弟は、ションボリしはじめた。部屋のまんなかで尻を落とし、首をぶんぶんと横に振る。行きたくないと。
最初は、アレコレとおだてて送り出していた母だが、日を追うごとに弟の尻は動かなくなり、一ヶ月もすると完全に引きこもってしまった。
「なんでやろう……学校も毎日楽しそうに通ってたのに……」
心配がる母に、福祉作業所から電話がかかってきた。相談しようとすると
「いや、そんなの、泣いても叫んでも、無理やり引きずってきてください」
と無慈悲なパワープレイを指示された。
「でも、息子がこんなに嫌がるなんて……きっとなんか理由があると思うんです」
「はあ。知りませんよ。障害者ってそういうもんですよ。ワガママばっかり。お母さんがもっと厳しくしないと」
Amazon primeでバズーカが買えたら、買っていた。
「それより……息子さんにお休みされると、自治体から作業所に入ってくるお金が減るんで、困るんですよね」
ベランダから、撃っていた。
卒業してから一度も連絡をとっていないが、生涯でいちばん鶴竜に似ていた中学校の同級生を連れてきて、鶴竜のふりして張り手を十連打ほどくらわせてやろうかと思った。岸田奈美、23歳。神戸新聞の事件欄に名を連ねることすら辞さない若さだった。
弟は、福祉作業所で、とてもつらい目にあっていたそうだ。
話を聞いてもらえない。
なにか言いたいことがあっても“障害者の言うことなんて”と聞く耳を持たれず、無視される。
なにかを間違えると、叱られる。そもそも、期待すらされてないのに。
残念ながら、こういう福祉作業所も、たまに存在する。
つい最近も、個室に鍵をかけて、いやがる障害者を閉じ込めていた、という福祉作業所がニュースになっていた。
そういうところじゃないと、通えないという人もいるのかもしれない。そういうことをしないと、職員の手が回らないという場所もあるのかもしれない。
けど、わたしの弟は。
わたしより、よっぽど人当たりがよくて。話すのが好きで。だれかを褒めて、だれかに褒めてもらうと喜んで。怒るのも、怒られるのも苦手で。だけど、そこそこマジメに一生懸命で。チャーハンを飲み物のように食らう。
そういう弟なのだ。
弟は、福祉作業所を辞めた。
かわりに別のところを、いくつか母が見つけてきたのだが、見学しにいこうというと弟は渋る。トラウマになっていた。
「どうしよう……このまま家におったまんまで、将来、どないしたらええんやろう」
母は弱り果てた。母の命も金も、永遠ではないのである。
「どうしよう、どうしよう……」
母がため息をついている間に、弟は洗たく機から服を取り出して、せっせとたたんでいた。
「困ったなあ……」
母が頭を抱えている間に、弟は玄関まで走ってゆき、宅配便をポンと受け取っていた。
「ああ……」
母がぽろりと泣いている間に、弟は脚立をかつぎ、つり戸棚にしまってある食器を片づけていた。
「いや、めちゃくちゃ役に立つやん」
弟の隠れた機動力と利便性に、母は目を剥いた。
母は大動脈解離の後遺症で歩くことができず、車いすに乗っている。母にできないことを、弟は二つ返事で引き受けるというのだ。
こういう感じで、コンビニの上の段もらくらく手が届く。
母がやるより5倍は時間がかかるらしいが、いい感じに褒めると、ちょっと速くなるそうだ。USJのエクスプレスパス商法と同じである。
「将来のことを考えたら、おらん方がありがたいけど……おったらおったで、ありがたいわ」
母はそう考えることにした。
そして、弟がまた家から出たくなるまで、ゆっくり待った。
一年後。
弟は、すばらしい福祉作業所にめぐりあい、今も楽しげに通っている。
あまりに楽しいのか、旅行へ行くたび、仲間や職員さんに配るおみやげを吟味しているし、なんなら、わたしだけ出張へ行くときもおみやげをねだり、「もってきたで」とドヤ顔で福祉作業所にふるまうという、お土産ヤクザと化してしまった。
まあ、そんな、過去がございまして。
彼が「これがいい」と思える場所や人と出会えたことが、どんだけ奇跡的なことか、わたしはわかるので。
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・購読料はすべて弟が入居予定のグループホームに寄付するお金(送迎車の購入費、支援員の人件費など400万円程度)に充てます。
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「グループホーム、いけるかな?」
と言われたら
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