【キナリ★マガジン更新】こんなふうに生きられたら(姉のはなむけ日記)

 

グループホーム入居を目指し、ダバダバと奮闘する姉と弟の記録。前回のお話はこちら

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一ヶ月間の、弟のグループホーム体験入居が終わった。

「良太。ほんまに、あそこで暮らせそう?」

母には「うん」と答えたらしいが、何度かたずねると、たまに「うーん」と首をひねっている。そりゃそうだ。生活が大きく変わる、人生の節目。

弟とふたりで話してほしい、と母から頼まれた。

「良太はな、奈美ちゃんといるときはめっちゃ笑うねん」

そんなアホな。

しかし、母が自撮りして送ってくるツーショットでは、弟はいつも仏頂面である。

「体験入居中、良太が夜中の二時とか三時とかに電話かけてきたやろ?」

「うん」

「あれな、わたしも叱ったんやけど、良太が言うには」

良太が言うには?

「週末に奈美ちゃんと遊べるのが楽しみで、寝られへんかってんて。スマホのカレンダーにも、奈美ちゃん、って登録してたみたいよ」

「……」

ふう〜〜〜ん。

土曜日、帰ってきた弟をマクドへ誘った。

三宮センター街のマクド。高校生のときから、事あるごとにここへきた。茶をしばいた数より、バーガーをしばいた数の方がめっぽう多い。

母が歩けなくなって入院していて、重い気持ちで弟とお見舞いへ行ってたときも、ここで黙って夕飯を食べて帰ったな。なつかしい。

あの頃から、わたしたち姉弟はなにも変わらず……。

レジの列に並びながら、弟がスマホを見ていた。

クーポンだった。

自分のお金でマクドを買うようになったのが昨年10月のこと。それだけでもわりと衝撃だったが、クーポンで節約までしようとしているのに、言葉を失った。成長が早い。クーポンという響きが大好きな母の血だろうか。

わたしはこういうの、開くのが面倒くさくて、いつも損しているのだ。

弟との個性がはっきりわかれていることに戸惑ったが、弟が頼むメニューは二十六年近く、ほぼ変わってなくてホッとした。チキンナゲット、コーラ、ポテトね。

「ぼく、マクドで、はたらきます」

「え?」

弟の視線の先には、マクドのアルバイト募集のポスターがあった。

「ぼく、マクドで、はたらきます」

「なんでや」

「えーと、あのー、ナゲット」

「ナゲット」

ナゲットを愛し、ナゲットを讃え、ナゲットのために働く男。給料はナゲット支給。いたって真剣な顔だった。弟はスマイルを安売りしない。

「良太、グループホーム、楽しい?」

「あー、まあ、ですね」

「いやなこと、ない?」

「ない」

「これからも、グループホームのみんなとやっていけそう?」

弟がナゲットの最後のひとつをつまみながら、うーん、と首をかしげて、それからニヤニヤと笑った。どっちなんや。

これからどこに行きたいかをたずねると、カラオケという熱烈なリクエストに応じた。

「グループホーム、うるさいって」

「なにが?」

「あかんって、ダメーっ!て」

弟がマイクを持つ仕草をしたのち、両手で大きくバッテンを作る。

「グループホームで歌ったら、誰かから怒られるの?」

弟は渋い顔をしてうなずいた。みぞおちの辺りがヒヤッとした。弟はいつも仕事が終わって家に帰ってきたら、iPadでyoutubeを流しながら、気持ちよさそうに歌っていたのだ。

「いつ歌ってるん?」

「夜です」

「それは怒られるわ」

それは怒られるわ。

家だったらなんぼでも歌ったらええから、それと比べたら気の毒だなとも思ったが、都会のひとり暮らしで浮かれて、ムダに友だちを呼んだり、掃除機をこまけにかけたりしたら、隣人から壁ドンされてヘコんでからが大人の始まりである。

わたしは東京のワンルームでルンバを動かしていたら警察を呼ばれた。

カラオケにきた。弟がマイクを離さないので、独壇場である。

友だちでも、仕事の同僚でも、とにかく他人とずっと一緒にいると、わたしは疲れてしまう。がっかりされないか、雰囲気がシケてしまわないか、そんなことばっかり考えて、気を回しすぎてしまう。

わたしと弟は、一緒にいてもほぼ喋らない。ユニバーサルスタジオジャパンへ行っても、基本的にはずっと黙っている。来場者のなかで一番静かな自信がある。

だから、とても楽だ。

いい景色が目につけば立ち止まってじっくり見られる。おいしいものを食べたらおかわりができる。イマイチな何かに出くわせばソッと立ち去れる。言葉で間を埋めなくても、本当のことだけを共有できる。

喋らない。隣で並んで歩かない。約束もしない。仲がいいっていうか、色んなことがちょうどいい。

弟が次々に選んでゆく歌に、大興奮してしまった。

武田鉄矢「少年期」
海援隊「さよならにさよなら」
吉田拓郎「気持ちだよ」
ガーネットクロウ「夢みたあとで」
ZARD「君に逢いたくなったら…」
スキマスイッチ「ボクノート」
小林幸子「風といっしょに」
雛形あきこ「SIX COLORS BOY」

31年間生きてきて、遭遇したことのないセットリストである。もしこんなライブがあったら有り金はたいてでも泣きながら参戦する。

ほとんどが、子どものときにずっと弟と見ていたアニメの主題歌だ。わたしと弟はずっと同じアニメを見て育ってきたから、このあたりのバイブスが合っている。楽しすぎる。

弟はかつて、パチンコ玉であった。

弾かれたように道路へ飛び出すわ、派手に転がって大泣きするわ。何度も車にひかれそうになって、母が震えながら抱きとめて命拾いした。

父も自営業で忙しかったので、わたしたちの最高で当たり前の遊びはビデオだった。歌詞を追っていくだけで、あのときの気持ちとか、好きだったものとか、次々によみがえってきて泣きそうになる。走馬灯か、これは。

弟はチャーハンとラーメンを頼み、間奏でかっ込みながら歌う、という術を身につけていた。マイクへの執念がすごい。こういうやつが天性のスターになるのだ。Nizi projectだったらJYPから協調性(人柄)のキューブだけもらえてない。

しこたま歌って食って、店を出たら、すっかり三宮の町は暗くなっていた。

肝心なことをすっかり、忘れていた。

わたしは弟に、ちゃんと聞かなければならないのだ。

「良太、来月からグループホーム、どうしよう」

「うーん」

「あっちで暮らすことになっても、毎週のお休みは、こうやって遊べるよ」

わたしは毎週木曜、大阪のABCテレビでレギュラー出演がある。京都から新幹線代ももらえるから、帰りはそのまま新神戸まで向かえば、簡単に実家まで戻れる。

「あのな、良太」

「うん」

「ごめんな」

言うつもりはなかった。でも、ぽろっと口からこぼれ落ちた。ずっと思っていたけど、言えなかった。

これは弟の未来にとって、家族の関係にとって、きっといいことだ。頼る先を、安心して生きられる場所を、増やしていきたいのだ。

でも、それで弟は、経験したことのない混乱にぶち当たっている。

わたしや母の思い込みやエゴじゃないか。車が手に入って、看板も作って、noteでお金も助けてもらえて、どんどん状況はよくなっても、その不安は変わらない。ずっとある。

「良太も、いろんなこといっぺんにウワーッてなって、しんどいよな」

「うーん」

「オカンと姉ちゃんもな、良太とずっと一緒におりたい。良太はええやつや。姉ちゃん、こんなんやから、あんまり友だちおらんけどな、良太と遊んだり、温泉行ったりするんがほんまに楽しいねん」

「へへへ」

「せやけどな、姉ちゃんはな、オカンや姉ちゃんになんかあったら、良太がしんどい思いするんが、怖いねん。オカンもそうやねん。良太にはな、たくさんの人に、愛されててほしい。嫌なことも、しんどいこともあるやろうけど、そういうとき、助けてくれる人が、良太のそばにたくさんおってほしい」

「うーん」

「そのためにはな、良太も、たくさんの人を助けていくねん」

弟とわたしは隣で並んで歩かない。弟はなぜかいつも、わたしの三歩あとくらいを、のっそりのっそり歩いていく。

昔はそれで何度もはぐれたり、イライラしたこともあったりだったけど、今はよかった。顔を見たら泣いてしまいそうになる。泣いたらだめだ。弟に罪悪感を背負わせては、いけない。

「良太はすごいわ。姉ちゃんが“こうやって生きられたらな”っていうもんを、全部持ってる。めっちゃ優しい」

でも。

「でも、姉ちゃんとずっとおったらな、そんな良太がな、誰かと出会って、誰かを助けていくのを、邪魔してしまうねん。姉ちゃんは、姉ちゃんは、良太のことがほんまに好きやから」

どうやって言葉を選んだらいいかわからなかった。本音に迫れば迫るほど、わかりづらい言葉ばかりが口をつく。弟にどこまで伝わっているんだろうか。もっといい伝え方があったんだろうな。後悔が募る。

「せやけど、良太がイヤなんやったら、もうやめてええねんで」

大きな交差点で、信号待ちのために立ち止まった。後ろから追いついた弟が、ポンッと肩をたたいた。

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・購読料はすべて弟が入居予定のグループホームに寄付するお金(送迎車の購入費、支援員の人件費など500万円程度)に充てます。

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