伊丹空港へ飛ぶはずが
仕事で札幌へ行く用事ができたので、いま空港にいる。
京都からだと、伊丹空港までリムジンバスで一時間。関西空港までだと十五分ほど遠くなるし運賃も倍になるけど、こっちの方が航空チケットが安かったので、関西空港を選んだ。
空港までのリムジンバス乗り場は、京都駅の八条口にある。
八条口といっても、タクシーのロータリーから遠い位置にあるので、市街からタクシーで行く人は「八条口まで」じゃなくて「アバンティ前まで」って伝えた方がおすすめ!わたしみたいに時間ギリギリになって、息を切らして駆け抜けた道を振り返りたくなければな!
空港までの道のりをゆっくり歩けた記憶がないので、いつもどっかでキャリーバッグを死体のように引きずって走っている。心斎橋筋商店街の店先でチェーンに繋がれて投げ売りされてる安いやつだと一瞬でコロコロがお陀仏になったし、なにより空の状態でも重いので、わたしの持ち物のなかでもキャリーケースはめずらしく高級品の部類に入る。この十年、大きいのも小さいのも、ずっとサムソナイト。人に借金して買ったサムソナイト。全然壊れねえ。
空港にくるのは、なんだかんだで二年ぶりだ。会社員をしていた時には、出張であんなによく乗っていたのに。
わたしのような人間が、空港でトラブルに巻き込まれないわけがなく。
ミャンマーのヤンゴン空港では、腰に巻きつけた大量のカメラのバッテリーを爆弾だと疑われて、両脇を警察に固められたり。
韓国へ向かうための成田空港では、出発直前にトイレで札束の詰まった子ども用リュックを見つけて大騒ぎになったり。
それがわたしの空港トラブルメモリーズの二大巨頭すぎて、長らく人に伝えないままきてしまったメモリーが、もうひとつあった。
あれは五、六年前くらい。
羽田空港でのことである。
大阪に住んでいたわたしは、東京での仕事を終え、羽田空港から伊丹空港へ向かう飛行機に乗る予定だった。
わたしにしては恐ろしいほどの余裕を持ち、スムーズに保安検査場を通過すると、天井からこんな声が聞こえた。
「伊丹空港行き、◯◯便にご搭乗のお客さまへ。座席をお譲りいただける方を募集しております」
飛行機にはオーバーブッキングといって、予約の調整がうまくいかず、座席が足りない状態になることがある。そういうときに、後の便に変更してくれる乗客を探すらしい。
昔、沖縄へ行こうとしたら台風がやってきて便が半減したとき、
「翼でもええから乗せてくれ!」
とアロハシャツに身を包んだおじさんがグランドスタッフさんに食い下がっていたのを思い出した。なけなしのユーモアを披露したところで、じゃあ補助席出しますんでとはならんのが飛行機である。
さて。
そのアナウンスが聞こえたとき、わたしはちょうど、航空会社のカウンターの目の前にいた。
どうしようかな。でも、後の便ったって、ここで二時間も待つのはしんどいな。東京で営業して歩き回って、疲れてるしな。
「ご協力いただいた方には、一万円の協力金をお支払いします」
いくらでも譲ったる。
激務だったので時給に換算すれば1000円くらいで大安売りしていたわたしの時間である。一万円で売れるなら大儲けだ。豪商になったる。
「座席、譲ります!」
大股で三歩、カウンターに詰め寄った。
「お申し出ありがとうございます。どちらへのご出発ですか?」
「伊丹空港です!」
ほかにもオーバーブッキングが発生したのか、はたまた一万円に釣られた亡者なのか、両隣にもほぼ同時に豪商たちが並んでいた。一気にカウンターが慌ただしくなる。
そのまま座席の変更などの説明を受け、わたしは新しいチケットと協力金を受け取り、ホクホク顔で出発ロビーへ翻る。
こんなこともあろうかと、iPhoneには大山のぶ代版ドラえもん映画の傑作「ドラえもん のび太の夢幻三剣士」をいつでもオフラインで再生できるよう、ダウンロードしている。もうセリフも覚えてしまったが、何度聞いても胸が熱くなり泣いてしまう武田鉄矢一座の名挿入歌を聞きながら、時間を潰すだけで一万円がもらえるとは。
人生、こんなにチョロいことがあっていいのか。
おっと。熱中して搭乗しそびれたら元も子もない。
チケットを見ておく。搭乗口と集合時刻を確認し、指定された19番(曖昧な記憶なので仮とする)の搭乗口付近のベンチに座って待つことにした
この時、愚かなわたしは気づいていなかったのだが、チケットの数字だけを見ていた。それ以外の印字は目に入らなかった。
およそ一時間半後。
「ナンタラカンタラ空港行き、17時発。◯◯◯便にご登場のお客さま。19番搭乗口にお越しください」
「おっ!」
わたしのチケットに書いてあった時刻と搭乗口だ。
ナンタラカンタラの部分は、ドラえもんに夢中で聞こえなかったけど。人間、「これだ」と注意している言葉が聞こえたら、即座に反応できるものである。
何度も言うが、愚かなわたしは時刻と搭乗口しか確認していなかった。
列に並び、最終の搭乗口ゲートで、チケットのQRコードをかざす。自動でゲートが開いた。
そう、開いたのだ。
ここが重要なポイントだ。わたしのチケットは確かに機会で認識され、ゲートを通過した。
機内に乗り込み、チケットに示された座席番号を探す。機内持ち込み可能サイズギリギリのサムソナイトのキャリーケースを、よろめきながら持ち上げ、荷物棚へと押し込む。
その時だった。
「〜〜新千歳空港行きの当機では、ただいま期間限定キャンペーンとして……」
なんて?
いま、新千歳空港行きって言った?
まさかそんなはずは。なにかの聞き間違いか、ただの北海道フェアの告知だろう。北海道フェアってどこでもやってるし。
キャリーケースを押し込み、座席に座ったが、嫌な予感がして、尻ポケットに突っ込んだぐしゃぐしゃのチケットをもう一度取り出す。
氏名 KISHIDA NAMI
目的地 CTS 札幌(新千歳)
なんで?
反射的に立ち上がる。
あまりの勢いの良さに、隣に座っているくたびれたサラリーマンがビクッと肩を震わせた。
「すみません!これ、チケットが新千歳行きです!」
身をよじるように狭い通路を抜け、「まもなくドアがしまります」というアナウンスをしたばかりであろうCAさんのそばへ行き、話しかける。彼女は笑顔を崩さなかったが、声色はどこかキョトンとしていた。
「はい、当機は新千歳行きでございます」
「わたしは伊丹空港に行くんです!」
CAさんから一瞬、笑顔が消えた。
「さっきまで確かに伊丹空港だったんです、なんか、あの、前の便を譲るってカウンターで言ったらこうなってて」
なにごとかと近寄ってきたもう一人のCAさんからも笑顔が消えた。
それからはもう大騒動も大騒動であった。
「岸田さま、お預けの荷物はありますか!?」
「ないです!このスーツケースだけです!」
「ああよかった!それをお持ちしますので」
荷物棚から大蛇でも引っ張り出すような勢いでCAさんがサムソナイトのスーツケースを降ろし、わたしを見つめる。
「機内を出たら、走ってください!」
「あっ、えっ」
「伊丹空港行き、まだドア閉まってません!それに乗ります!お疲れのことろご迷惑をおかけいたしまして、大変申し訳ありません!」
情報と謝罪と配慮がごちゃまぜになっていた。すごい。明らかに大変なことが起きているというのがわかる状況であるのに、CAさんは冷静である。
飛行機を飛び出す。
CAさんはここまでだった。黒いスーツに身を包んだ、明らかに「偉い立場の人」が待ち構えており、スーツケースを受け取って、ブリッジとロビーを駆け抜ける。早い。第一次ハンター試験・地獄マラソンを思い出す。
「本当に、本当に申し訳ありません。わたくしどものミスでございます。あってはならないことです、お詫び申し上げます」
これだけのことを噛まずに、振り向きながらも一直線に疾走し、それでいて指先まで流れるような優雅な動きであることに圧倒された。航空会社にはそういう訓練もあるんだろうか。
このあと、特に遅れてはいけない予定があるわけではないので、怒ったり呆れたりという感情はわたしの中に一切なく、ただただ目を白黒させて、転ばないようついていくばかりであった。
気がついたら、切れる息に喉から鉄の味を感じながら、いつのまにか伊丹空港行きの飛行機の座席に座っていた。
しかも、わたしの薄給じゃとても乗れない、ちょっと良い席だった。
伊丹空港に到着し、到着ロビーを出るまで、それはそれは何人もの方々に謝られた。謝られすぎて、なんだかわたしの方が申し訳なくなってきた。
ごめんなさい。わたしの運が悪いばかりに。
月日が経ったいま、ふとその時のことを思い出す。
あれは一体、なんだったんだろうか。
ところで、わたしはお仕事漫画が大好きだ。何時間でも読んでいられる。
元CAである御前モカさんの「CREWでございます!」は、華やかなイメージのある航空業界の人々の、過酷すぎる舞台裏をコメディ風に描いていて、しかもそれが全部実話なのがまた笑える。保安の話とか、勉強になるのも多いから、飛行機の旅が好きな人は読んでほしい。無料で読めるので。
モカさんとTwitterでつながっていることを思い出し、上記の顛末を話してみた。一体、わたしになにが起きたのか。
モカさんの第一声はこうだった。
「ご体験の話ですが、よくお気づきになってくださいました〜(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`) よかったです!」
えっ。
「航空会社はお客様を安全に目的地までお連れすることが業務ですから、ミスにより、違う場所に連れて行くなんてことは保安上の理由においても、あってはならないことです。アナウンスでお気付きになってくださるなんて、本当に素晴らしくありがたいと思いました」
恐縮しながら、褒められた。
トラブルを起こして褒められるのはなかなかないことなので、なんだか嬉しくなってくる。
「お名前が間違っておらず、チケットの行き先が違っていたのであれば、発券する時のミスである可能性が高いかなと思います」
やっぱりあの時か!
譲りますとカウンターに申し出て、チケットを後続の便に変えてもらったのである。わたしの他にも集まっている乗客がいたので、その中にたまたまいた、新千歳行きのオーバーブッキングに譲るつもりの人と間違えられたのかもしれない。
モカさんが言うには、国際線ではパスポートとチケットの本人確認が必須である会社が多いので防げるミスだが、国内線ではその確認がないので名前や行き先の間違いは、ごくたまに起こるらしい。
「忙しい時期、イレギュラーな業務が重なったときこそミスが起こりやすくなりますから、それを自覚して、地上係員同士で思いやり、ミスをさせない・チェック体制・チェックを依頼する環境づくりが航空会社側には必要だったと思います」
元CAさんならではのお話である。一を聞いたら十答えてくださるので心強い。
モカさんも過去に一度、同じようなミスの現場に居合わせたことがあるらしい。その時はキャプテンが大層お怒りになり、それからダブルチェックの体制ができたとか。
今では当たり前のようなチェックの仕組みも、誰かのとんでもないミスから生まれてるんだなあ。人間がやっている以上、網の目から抜け落ちるようなミスが。
「なんでやねん!」と叫びだしたくなるような社内のミスを、お客さまのことを第一に考えて行動し、頭を下げて謝って、協力して新しい仕組みを生み出し、網をどんどん細かくしていく人たちがいる。
そうやって、ミスからも航空会社のサービスは磨かれてゆく。
思えば、空港での予想してないトラブルは多いけど、それ以上に、予想してない嬉しさに遭遇する方がずっと多い。
うまくしゃべれない弟が、自分で保安検査場を通過したいというので、ゆっくりした動きでも、なにも急かさず微笑ましく見守ってくれたり。
歩けない母を不安にさせないようにずっとついてくださって、「どうやってお手伝いしたらご安心ですか?」と、椅子への移乗方法をていねいにヒアリングして持ち上げてくださったり。
慣れない海外の空港に着いてドキドキしてたら、母ともうひとりのおばあさんのために、超巨大トラックで乗り付けて運んでくれたり。
南の島らしい、めちゃくちゃテキトーで雑な押し方だけど、そんなん気にならんくらい、ずっとフレンドリーに身振り手振りで話しかけてくれたり。
よく考えたら、人間を山盛り積んだ鉄の塊が空を飛び、県境や国境を越えるということが、奇跡的なことだ。おそろしい。
体を運んでくれるだけでもありがたいのに、心に寄り添ってくれる人たちがいる。どんだけ奇跡を起こしてくれるのであろうか。
今日、関西国際空港を訪れると、二年前まではあんなにひしめいた人々が一人も見当たらなかった。カウンターも真っ暗で、締め切っている。
あの日、あの時、わたしたちに優しくしてくれたスタッフさんたちは、一緒に走ってくれたスタッフさんたちは、今どこでなにをしているのだろうと思うと寂しい。
命が危なくならない限りは、どんだけのトラブルが降りかかってもいいので、飛行機に乗って、好きなだけどこへでも行ける日がはやく戻ってほしい。
Special Thanks……御前モカさん