【キナリ★マガジン更新】ボケ続ける世界で生きてゆく(姉のはなむけ日記)
日本中のキッズたちを別府へと駆り立てる!夢の楽園!
杉乃井ホテルだ!
その設備のワンダーランド具合からそこそこお値段が張るのであるが、キナリ★マガジンの購読料をブッ込ませてもらった。やっててよかったキナリ★マガジン。腹が減っては車は買えぬ。
このブッフェの目玉は、カニ食べ放題。あまりの出血大サービスに、カニだって勘弁してくれと願ってる。
800席近い巨大なブッフェ会場には、どこもかしこも、家族たちが目を血走らせてカニを食べている。カニ以外のものを腹に入れてなるものかという己に課した制約すら見える。言っちゃ悪いけど、あんたらは本当にそこまでしてカニが食べたいのか。
「お食事中、すみませ〜ん!ちょっとお写真、いいですか?」
こ、こいつは……!
陽気なカメラマンだ!
「見て楽しんでいただくだけでも大丈夫でェ〜す!気に入ったら3,000円でご購入いただけます!」
陽気な営業カメラマンだ!
観光地によくいる、陽気な営業カメラマンだ!
カメラマンは、わたしたちの隣の卓にいる家族に声をかけていた。例に漏れずその家族も、無言でカニにありついていた。
皿には無数のカニ殻がうず高く積まれ、そびえ立っている。ひと仕事終えた海賊の見せしめのようだ。
「ハイッ!お写真はあす、朝食会場の前にてご覧いただけますので〜!」
メモのようなものを家族に渡すと、カメラマンは次の卓へと旅立っていった。
明日の朝、朝食会場の前に、貼り出されているのであろう。散らばった大量のカニ殻を前にし、引きつったポーズをとる家族の姿が。タイトルはさしづめ“欲の後先”だ。カニに飲まれし者は朝に絶望する。
その点、うちの弟はそこまでカニにお熱ではない。
陽気な営業カメラマンが来る頃には、きっとお育ちの良さがにじみ出るようなバランスの取れた一皿が……。
茶色ッッッ!
弟は茶色い食べ物をとにかく好む。欲望のままに取っていた。
母が弟の代わりに取っていた頃は、もうちょっとサラダの緑や、フルーツの黄色が添えられていた気がする。しかし母の思いやりむなしく、弟が目指した究極の一皿はこうだ。
「エビフライは一本でよくない?」
「いやっ!二本!」
かたくなに譲らなかった。
弟のなかには、海老フライはつがいで皿にのせてやらなければならない制約があるのだ。
いつかわたしがYoutuberよろしく弁当屋とコラボする時は、この皿を再現してやるからな……お前ひとりだけを不健康にはさせねえぞ……!
陽気な営業カメラマンに写真を撮られながら、誓った。
タイトルは“茶色い夢”。
買わなかった。
そして、腹いっぱいになり、ひとっ風呂浴びた、朝。
弟の独り言で目がさめた。
「……オネガイシマスッ……コレハ……ユルシテハイケマセンッ……」
えっ、なに?
「ツミヲ……ツグナイ、ナサイッ!」
なになに?
ずっと独り言をいいながら、服をたたんだり、手を洗ったり、準備をしている。脈絡なく飛び出てくる単語がものすごく怖い。
あまりに怖すぎて母にテレフォン使ったら
「あー、それ、午後のサスペンスドラマのセリフやわ」
弟が“湯けむりドクター華岡万里子の温泉事件簿”の熱心な視聴者であることを初めて知った。なぜサスペンスを。
「ハンニンハッ、アナタデスッ」
そういえば弟は、昔からよく独り言をいっていた。もがもがして、なんて言ってるかはほとんどわからなかったけど。いまはわかる。
あれはテレビドラマのマネだったんやね。ずっとそうやって、誰かと喋りたかったのかね。
今日は夕方まで、別府の街を散策することにしていた。
海地獄だ〜〜〜っ!
青い!眼を見張るほど青い!人工着色料は不使用!自然由来の成分です!
この湯けむりがすごいのである。
どこまで回り込めるのかなと気になって進んだら
「ナミチャーーーーーーーーンッ!」
と焦り散らかした様子で、弟が叫んで追いかけてきた。湯けむりドクター華岡万里子。姉はここにいるよ。
湯けむりドクターは、続いておとずれた、かまど地獄にて
手練の案内人のおじいさんから、手動で湯気を立たせる魔法を習った。
おじいさんからドライヤーと線香をうけとり、湖に向かって煙を送ると、ブワッと湯気が立つのだ。すごい。
あまりにすごいので、どこからともなく陽気なおばあさんがやってきて、カメラで写真を撮ってくれた。うれしいなあ。
写真は一枚1500円だった。
弟は「なんでやねんっ!」と笑った。
もちろん買わずに立ち去ることはできたが、いまもなお現役で動いているパソコンの遺物感に圧倒され、喜んで買ってしまった。
うれしいなあ。
「ごはんや虎太郎」さんのとり天定食。1,000円。安い。ちなみにカレーとカツカレーがどちらも1,000円だったので「これはお肉が違うんですか?」と聞くと「いんや。サービスでカツ乗せてるだけですわ」とおっしゃられたので、ある程度の徳を積んだ者しかたどりつけない慈悲の宮殿だと思う。
弟を見ると、
とり天にレモンをしぼっていた。
「レレレレレモン!?」
レモンをしぼる弟なんて、生まれてはじめて見た。弟はそういう酸味のあるものは、苦手じゃなかったか。どっちかっていうと、マヨネーズやラードなんかをかけたいやつじゃなかったか。
「姉ちゃんも、レモン、やる?」
しかも、相手の分までレモンをしぼっていいかを、ちゃんとたずねている。飲み会スキルが高い。一度も飲み会など行ったことがないはずなのに。
どこで覚えたんやろか。
「ビールほしいとか言わんよな?」
「ビール、おねがいしまっす」
「飲めんの!?」
「なんでやねん!」
弟が笑った。
さて。
別府駅の近くに戻ってきたら、やりたかったことがある。
竹瓦温泉の砂風呂だ。
温泉で蒸されたアッツアツの砂に埋められて、ドバドバと汗を出したい。
しかし、弟はサウナが苦手なのだ。
「あついけど、行く?」
「うん」
「お風呂じゃないで?」
「うん」
めずらしく弟が付き合ってくれるというので、これは弟の気が変わらないうちにとやってきた。
入浴料1500円を払い、浴衣に着替えて、砂場へいく。ビビるほど古い木造りで天井が高い建物の中に、真っ黒の砂が敷き詰められている。
浴衣のまま寝転ぶと、アッツアツの砂を、砂かけさんがワッシャー!とかけてくれるのだ。
わたしと弟は、並んで寝転んだ。
弟は険しい顔をしていた。
まず、わたしが埋まった。あったか〜い!きもちい〜い!
想像の20倍くらい、おも〜い!
「じゃあ次、お連れ様、砂をかけますね」
砂かけさんがスコップみたいなやつで、弟の上に砂を乗せる。
「アーーーーーーーッ!」
弟の断末魔が響いた。
弟は経験したことがないものを、言葉で理解することが難しい。そして、やってみるのも恐ろしい。遊園地の乗り物でも、直前まできて、乗れないと引き返すことが多々あった。
アツアツの砂をどっさりかけられるなんて、わかんねえもんな。
「すみません、かけるのはお腹だけにしといてください」
怯える弟の様子を見て、申し訳ないなと思いつつ、砂かけさんに伝えた。
弟が固まった。
ウンともスンとも言わなくなった。湯けむりドクター華岡万里子の温泉事件簿でいうところの死体役である。
「つきあわせてごめんな、良太。あと10分やから」
かわいそうに思えてきた。
もう早めに出ようかしら。
弟が首だけ横に動かして、わたしをじっと見ていた。
そして
「あのォー、すな、おねがいします」
砂かけさんを呼んだ。
耳を疑った。
「胸の方にも砂かけるん?」
「うん」
「めっちゃ重いで?苦しいで?熱いで?」
「だいじょうぶ」
弟に何度も確認したが、大丈夫の一点張りなので、砂かけさんがゆっくり、ゆっくりと砂をかけはじめた。
弟の首から下まで、埋まった。
「良太」
名前を呼ぶ。弟は苦笑いした。
「おもーい、きもちいー」
額には汗がだらだらと流れている。
絶対にウソじゃん。
あんた、サウナとか、嫌いじゃん。
ハハハ。
その瞬間、わたしは重い砂に埋まりながら、号泣していた。
声をはりあげてしまいそうだったが他の客は眠っているので、「グッ」「ヒグゥ」「ゴェッ」などとうめき声を押し殺し、砂の魔物みたいになった。三角島のゾーンイーター。ゴゴを仲間にしたい。
わたしの知る弟は、こだわりが強かった。
二十六間、ずっと、こだわりが強かった。
鉛筆もリモコンもスマホも、全部集めて、まっすぐ並べる。
Tシャツを一日に三枚着替える。
誰かと歩くときは、絶対に横じゃなく、後ろを歩く。
こだわりから外れることを、弟はしようとしなかった。
のろのろして、不器用で、融通がきかない弟を、見ていられないときもあった。
けどそのこだわりは、弟を守るためのものだった。
言葉がわからない。曖昧なことがわからない。
ダウン症の弟にとって、目まぐるしく、ややこしく、ズルく動いてゆくこの世界は、どれだけ不安だったことだろう。
困っていても、“困っているから助けてほしい”と自分で伝えられない彼は、どれだけもどかしかったことだろう。
弟にとって、こだわりとは、頼れる相棒だ。勇者の盾だ。
その弟が。
熱くて重たい砂に埋まった。
怖いのに。嫌なのに。
それでも一旦落ち着いて。
まわりを見渡して。
姉ちゃんは埋まってる。周りの人たちも埋まってる。埋まっても大丈夫なんだ。じゃあ、ここはいっちょ、埋まっとくか。
空気を読んだ。
空気を読んで、自分を納得させて、勇気を出した。誰に言われるでもなく。弟が、そうしたくて。こだわりを一旦、横に置いといて。
姉は泣いた。不細工に泣いた。砂かけさんは容赦なくカメラで撮っていた。
まだちょっとだけ時間が残っていたので、弟にどこへ行きたいかたずねると、カラオケと即答した。別府まできて……カラオケ……。
弟が星野源を歌った。歌えてないけど。
なんやら、膝をカックンカックンさせて動き回ったり、膝に手をあててわたしを覗き込んでくる。歌いながら。
「膝の調子悪いん?グルコサミンとか買ったろか?」
「なんでやねんっ!」
そのまましばらく観察していて、ふと気づいた。
この動きは……2019年東京ドーム公演の……星野源の動き!
完コピだった。画面に流れているのはプロモーションビデオだけど、弟はライブ映像の動きをしている。よく覚えてるな。
そう、よく覚えているのだ。
よく見ているからだ。
弟は平成仮面ライダーの変身ポーズを全部真似できる。からあげにレモンをしぼれる。重い砂に埋もれる。
誰かがやっているのを、じっと見ていたから。
いつかやってみたいと、憧れていたから。
弟は26年間かけて、言葉じゃないもので、世界を見ようとしていた。
わたしたちはいつの間にか、言葉で、なにかをくくって、わかった気になっている。
「ご立派だ」
「冷徹だ」
「多様性だ」
曖昧なものにも、適当にそれらしい名前をつけて、判断する。
けど弟は、見ていた。
名前すら知らないから、じっくり見て、マネをして、自分で決めていたのだ。
学生のときからわたしが付き合う男が、悪い男かどうかを見抜けていたのは、弟が人を肩書や前科や言葉じゃなくて、ほんのちょっとした動きとか、表情のつくりかたを見ていたから、身についた能力か。
家計が傾いたらそれで一儲けするという手もあるな……。
帰りのフェリーの時間がやってきた。
西大分駅の階段を、えっほえっほと降りて
フェリー「さんふらわあ」だ。でかい。
これに乗って、眠れば、起きたときには故郷の神戸港だ。
「こんなでっかい船、初めてやな。こわくないか?」
拳で余裕をあらわしてくれた。
そしてその拳のまま、敬礼していた。あんたが船を運転すんのかい。
「ぼくがうんてんします」
「すげえな」
「って、なんでやねん!」
このやり取り、本日いったい何度目だろうか。
出航の汽笛が鳴る。
ふたりで甲板に出た。
「ばいばーい!」
別府で会った山本社長も、馬〆社長も、ここにはいないけど。
弟は遠ざかってゆく別府の大地に向かって、手を振った。
「フレーッ、フレーッ」
わたしが言ってみた。
すると、弟は
「フレーッ、フレーッ」
応援団の三三七拍子を始めた。
くるな、と思ったとき、ちょうど。
「って、なんでやねん!」
弟がむちゃくちゃうれしそうに、バシッとわたしに裏拳を入れた。決まった。M-1で優勝する漫才師たちは突然閃光のように「掴んだ」と直感するらしい。弟はそういう顔をしていた。掴んだか。
弟は、相手にツッコミを入れられたいんじゃなくて。
ボケてほしかったんだな。
ほんで、自分がツッコミして。
ガハハ、と笑わせたかったんだな。
別府にいる間、ずっとノリツッコミを自分で繰り出していた弟を思い出す。
きみは、ボケてくれる世界を、ずっとほしがっていた。
ツッコミを入れられる関係性に、ずっとあこがれていた。
できないこと、わかんないこと、いっぱいあると、きみがツッコミを入れられてしまうもんな。
「こんなもんやってられるかボケェ、アホちゃうか」
生前の父の口ぐせである。父はよく、社会の理不尽に怒っていた。
きみがこれから住むグループホームでも、たくさんのままならないことがあるだろう。近隣住民の誰かに、心ない声をかけられるかもしれない。
苦しいところへ、きみを送り出すことを、わたしは迷っていたけど。
大丈夫やね。
きみは、ちゃんと“ボケ”に、“ツッコミ”を入れてゆけるね。
ツッコミを入れ続けて、ボケまみれの世界で、笑って生きてゆけるね。
神戸港について、家に帰って、母に写真を見せた。
「わたし、あんたら姉弟が並んで歩いてるん見るの、初めてやわ」
以下、書ききれなかった別府旅行のかわいらしいおまけエピソード。
・「姉のはなむけ日記」の後半は、キナリ★マガジン(月額1,000円)の購読者さんのみが読めます。詳しくはこちらを。
・購読料はすべて弟が入居予定のグループホームに寄付するお金(送迎車の購入費の不足分、支援員の人件費など)に充てます。
・連載期間中、一度でも購読すると、数ヶ月後に同人誌が無料で届きます。記事最下部のフォームからお申し込みください。
弟は浴衣やガウンが好きなのであるが、フェリーに乗りこむなり、さっさと着替えていた。
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